朽木渓谷 旅した司馬遼太郎(街道をゆく 1 1970年?)琵琶湖湖西 北小松港見聞
後 朽木谷 興聖寺(こうしょうじ)訪れ足利義晴の流寓地に造られた枯山水の庭園へ須田剋太画伯を案内
「時間による風化のまま素直に荒れていて 観光という人工が加わっておらず
そのことに須田画伯が感動の声をあげてくれた・・」
私事 今回は2回目の訪問 1度目は現在の様に駐車場整備されてなく地道 拝観料も当時は無料
司馬さん訪れた時は粉雪が激しく
見学を終え 駐車場近く居た地元の老人と40分程 談笑 「朽木は雪も積もり冬は厳しい・・」
「春になると観光バスも多くて・・」 談話も終わりの頃 以前から気にかかっていた
朽木村の「日本の古い宿場のシルシともゆうべき溝が流れている」 溝
「むかしは旅人がこの溝で馬の脚をあらい 地下のものは野菜などを洗った」 溝何処にあるの?
何度朽木を通過しても 溝は無く老人に問うと「現在の道でなくて朽木本陣を通過しガソリンスタンド前を
左へ折れると 大きな溝がある・・」話された道を入ると確かに 溝 は現存し清水が流れいる
この溝なら馬の脚も洗う事も可能 「溝まわりは石で囲って堅牢につくられている」 (穴太積み あのう)
現状はコンクリートで石を被い 路もL字に作られて 敵を困惑させるための昔の名残りを留め
(道の両側は民家が建ち 鯖街道と言われ 魚 塩 運ぶ人々の宿場として栄えた面影が偲ばれる)
この挿絵を見てから 溝 探し ヤット 辿り着いた
庭園
赤字 街道をゆく 抜粋 画 須田剋太の旅 検索から
14日午後9時過ぎNHK熊本地震報道しばらく呆然とTV画面 震度7 阪神脳裏ニ
各民放TV局 相変わらずの馬鹿騒ぎ番組(嘆かわしい) 暫くすると堰を切った様に地震報道に切り替え
・・・睡魔に襲われ やはり気になり眠れず 真夜中1時40分頃 (京都TV「TVショピング」琵琶湖TV「買い物情報」)
酷い番組は3人女性のグループ歌番組に変更されており え ナニ ナンナノ それはナイデショウ
○10個 チャンネル 天下の? 読○テレビ なに考えているの
難攻不落の熊本城
地方出身者には情報は必要 たのみは情報だけ
昨日のブログ 寂光院入場料700円記載し気になり検索 現在600円と表記あり
訂正すべきか悩んだ末 訂正はしません意固地かも知れませんが
訪問したのは(2000年5月火災で損失~2005年復興)復興して数年後
当時再建に建設費が必要なため入場料高く設定してるんだと勝手に納得してたけど・・違うかな?
源平合戦の時 入水した安徳天皇を寂光院で祈り生を全うした ↑ 建礼門院(平清盛の息女)
平清盛 安徳天皇を祀る赤間神宮
参考 三千院 拝観料700円 苔に住む 石地蔵 小さい