リゲイン狩猟日誌-頑張れマスターズ!

ハンター”リゲイン”の狩猟記録と日々思うこと。

リゲインの箸休め/昭和家電回顧録

2023年11月30日 08時11分52秒 | 狩猟生活

本来ヨットの話題で始めたブログだけど最近はやれ狩猟だ、射撃だとだいぶ脱線しつつある。

 

ここいらでちょっと箸休め的に自分の生きてきた時代を振り返ってみよう。若い方には全く分からない世界かもしれない

 

新しもの好きのリゲインは常時Apple Watchを身につけ、スマホはiPhoneの最新モデルを使い、PCは編集用にMacbook Proを持ち歩いている・・・

 


発売ごとに買い換えるiPhoneはまさにAppleへのお布施・・・

 

しかしだ、私の幼少期はまさに昭和の高度成長期、今では落ち目(失礼)の国内の家電メーカーがこぞって三種の神器と言われた、いわゆるシロモノ家電を次々に発売していた時代、、、

 

テレビの保有率は今や一家に数台が当たり前だが、当時は白黒テレビを導入するだけでその家の裕福度が評価された時代でさえある、、、テレビのない家庭が電気屋の前で見た「街頭テレビ」なんて言葉が今や「パブリックビューイング」に変わっている、もちろんテレビは自宅にあるのであるが感動を仲間と共有することへと目的が変化しただけである

 

そんな昔、我が家にも次々と当時は最新と言われた家電が導入されたのである

 


とても最新とは思えないサンヨーの白黒テレビ、、、その後発売されたカラーテレビは「総天然色」今や4K、8K

 

当然ブラウン管である、子供のころは中に人がいると信じていてよく覗いたものだ、ロンパールームを見ると"うつみみどり"さんが「鏡よ鏡よ鏡さん、あ!さとしくん!元気ですか?」なんて言うと向こうからも見えているのだと信じて疑わなかった

 

一度、中の人をつかもうと手を入れて感電死しそうになった・・・

 

そしてインターネット時代の現代と比較すると面白いのが当時の思い出の記録方式である、現代ではスマホで動画も写真も高画質で保存でき、SNSにアップロードすることで多くの人と簡単に共有ができる時代になった。

 


スマホやアクションカメラで撮影した映像は出先でも簡単に編集してyouTUBEにアップロード

 

昔は音は音、映像は映像、写真はあくまで写真で全てが別々に記録されていた。

 

まずは動画である、当時は動画の保存は8mmビデオが主流であった、現代でもちょっと前には8mmが流行ったが現在では販売はしているが当時ほど流行ってはいないようだ

 

 


8mmビデオは専用のデッキで再生しなくてはならない、自宅の壁などに映写機で映し出すのである、したがって共有するにはその家に集まらねばならない・・・全く持って不便であるが当時は皆この映写会にワクワクしていたようだ

 

次に音だが、これも当時はオープンリールタイプのデッキにマイクをつけて録音するのだが、今になっても何が楽しいのかよく理解できない、我が家にもデッキがあった、「東京通信工業製」である、この名前を聞いて現在の社名を言い当てる方はかなりのオタクである、そうこれが現在の「It`s a Sony」である。

 



三種の神器に話を戻そう

 

まず、三種の神器とは何ぞや?であるがこれは元々は日本神話に出てくるもので天皇家が代々引き継ぐものであるが家庭生活において欠かせないそれは冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビであった

 

そして、この3つを揃えた家庭は昭和の中流家庭でも上位にランクされるので当時のサラリーマン家庭ではこの3つを必死で買い求めたのである

 

我が家も危うくは氷で物を冷やす原始スタイルであったが東芝の冷蔵庫を導入した、前のドアにデカく「東京芝浦電気製」と書いてあった、芝浦かよ・・・

 

 

最後に洗濯板からのアップグレード版の洗濯機である

 


写真;金沢くらしの博物館より


当時の洗濯機は多くが一槽式で必ずといって謎のハンドルがついていた、そのハンドルは上下二つのローラーを回転させるもので、洗った洗濯物をここに挟み込んでハンドルを回すと水が絞られて煎餅のようになって外のカゴに落ちる仕組みである、今やこの仕組みはガソリンスタンドの洗車コーナーのマット洗い機でしか見ることはない

 

そして現代ではもはや生活インフラといっても過言ではない通信である、もちろん現代ではインターネットであり、メール、ウェブ、SNSや各種アプリの利用などを通じて情報の収集にとどまらずオンラインショッピングや代金の支払いも簡単でモバイルSUICAを使えば定期にもなる。そして何より個人の情報発信源としても活躍する通信インフラである

 

では当時の通信インフラは何か、、おわかりであろう。。そう電話である

 

 

当時は電話も全家庭に普及していたわけではない、どうやってコミュニケーションしていたのか、、思い出せない

 

おそらく近距離であれば会う。。。遠距離であれば手紙・・・・まさに江戸時代と変わらない

 

我が家に電話が導入された日はよく覚えている、当時の電電公社(現NTT)の方が来て設置工事を行い、お厳かに開通したのである、今や携帯が主流であるからショップで詳しいお兄さんお姉さんに料金プランを聞いて即開通であるが当時は固定電話しかなかったので厳かな設置工事である

 

そういえば、一時期爆発的に流行ったのがポケベルである、ポケベルと公衆電話は愛の証であった・・・

 

携帯電話の飛躍的な普及もインターネットの普及と相乗効果で我々のライフスタイルを大きく変えた

 

昔の携帯電話はバッテリーがバカでかくて外で使うには肩かけ式のベルトでデカいバッテリーからのコードに繋がった電話機で話すという携帯とは程遠い無線機であった。やがてPHSが底辺層で普及して安価に買えるPHSが個人ユーザーに普及した、この頃docomoがMovaを発表したが個人所有するにはハードルが高く企業での使用が主であった気がする

 

やがてdocomoがi-mode、FOMAを発表、そして通信サービスは群雄割拠の競争時代に入り、劇的に料金も端末代金も下がり5G時代の現代に入り、携帯を持たない若者はおそらく限りなくゼロの時代に入るのである

 

温故知新というが、あえて使ってみたい過去の家電は存在しない、あえて上げるならあまり使わない自宅の固定電話に黒電話・・・とか



最新の画像もっと見る