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腫瘍内科医一家のニューヨーク滞在記

ニューヨーク研究留学中での出来事を感想を交えてメモ代わりにつづります。

サッカー解説者(評論家)について

2010年07月05日 00時15分10秒 | 日記
 毎回、サッカーワールドカップは楽しい。やはり今回もはまっている。
 メジャーリーグのベースボールのようなエンターテイメント性などなくても、真剣勝負の世界は人を惹きつけるのだろう。
 
 ブログや仲間内で好き勝手に言うことと、職業としてサッカーの評論をするのは全くの別次元だと思う。ブログなどは、公開している日記、酒場の愚痴、落書きのようなもので、ある意味取るに足らないものでしかないから、基本的に倫理的に逸脱しない限り好き勝手に発言しても許容されると思う。
 
 しかし、仕事として解説者をしている人には、プロの職業人としての「プライド」と「責任」を持っていただきたいものである。言いすぎだろうか。
 
 私が最も尊敬する人物の一人である叔父が私が小学生のころに話してくれた言葉がある。「自分は評論家という職業が一番嫌いなんだ。外野から好き勝手言うのでなく、どのような仕事や立場であっても自分が当事者となって行動することが社会に対する責任の取り方だと思うよ。」大企業の中で、とびきり格好良く「スマート」なトップランナーとして振る舞い、そして、死ぬまで全力で走り続けた叔父から、どうしても取りたい大きな契約を取るためにどのように行動したかを聞かせてもらったことがある。子供心にトップランナーの「孤独」と「不安」を感じるとともに、どのような局面でも前向きに生きることが格好いいことだと思えた。
 私などにはとうてい及ばないレベルであるが、その言葉は今も私の心に刻まれていると思いたい。
 
 もちろん、職業に貴賎はない。これは至言であり、評論家も専門知識を一般人にトランスレートするために必要な仕事である。実際に需要もある。しかし、今回のワールドカップにおける多くの日本の解説者、評論家のコメントは、私のような「ド素人」でも言えるような当たり前のことばかりではなかっただろうか。日本が勝てないときは説教モードで文句を言い、逆に、調子の良いときは手放しで褒めたりするだけでなく、未来に向けてどうすればいいのか我々に建設的に解説していただきたいものである。
 
 またまた、長々と失礼しました。

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