天と地の狭間で

2007年4月3日をもって、引っ越しを行いました。

地球を大切に?ということ。

2005-09-07 | 静流
地球に優しく。
地球を大切に。
正直に申し上げるならば、私はそれらの言葉が、あまり好きではありません。
人間という種族がどれだけ生態系を破壊しようとも、環境を乱そうとも、それもまた自然の一部でしか無いからです。
「自然」の対義語は「人工」とされていますが、人が万物の霊長等と名乗った所で所詮は地球上の一種族にしか過ぎません。あくまでも自然に内包される存在なのですから、対立者や庇護者を気取る事は傲慢であると思えてしまうのです。

小学校時代国語のテストで「自然」の対義語を書きなさいという問題に対し、「自然とは特定の事象では無く世界そのものを指し示す言葉なので対義語はありません」と書いて叱られてしまった事を思い出して……ふと、そんな事を考えました。
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2 コメント

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こっそりお邪魔させて頂きます (Estrella)
2005-09-07 19:33:57
人間が地球上の一種族に過ぎず、

地球上に生まれた人間が環境を乱そうとも、

生態系を破壊しようとも、

それもまた自然の一部であるという考え方は

その通りであると思います。



ただ、地球上の一種族とは、換言すれば

地球上の一部分であるという考え方もまた可能であるわけで。



私は「己」を大切にする人が好きです。

誰かに優しくできる人が好きです。

大切な刃を大切なものに向ける人もまた

好ましく思います。そこには強い想いを感じますから。



しかし、誰彼構わずに明確な意図も無く刃を振り回し、

それを「強さ」だと思い込む輩に関しては

失望感なら未だしも、憎しみさえ感じることが時おりあるのです。

(憎しみを。この私が!/何)



極論を書かせて頂きますと、

「地球に優しく」「地球を大切に」という言葉は

「貴方を大切に」「私を大切に」にも通じ得るのではないか、と

私はそう考えるわけです。

全ては「存在する」という一点において等しく、

すべてを己の内に完結させないというためにも、それらと向き合う

(敢えて、愛おしむという方法に限らず、ただ向き合う)ことには、

何か大切なキーワードが隠されているのではないでしょうか。





まとまりのない文章でごめんなさい。

名前をエストレリアにした以上、ロールプレイングも混じえ…とも思ったのですが、

よく考えると静流さんと初対面な上、

いきなり現れて持論をぶつ、という恥ずかしいキャラになってしまぃますね。

ぁーぅー…

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心より、歓迎致します。 (静流&中身)
2005-09-07 23:12:41
ごきげんよう、はじめまして、エストレリアさん。そう、初めて言葉を交わす筈ですのに、何故かとても懐かしいような、慣れ親しんだような……愛情にも似た既視感を感じてしまいました。



全ての存在を否定する事無くあるがままに受け入れて、そして己自身を見失う事無くそれらの可能性と向き合い続け、意志を貫く。それは私が心から望む事であり、理想とする在り方です。

そして、確かに貴女の仰る通り、「地球に優しい」という言葉の中には「私や貴女」も含まれるのでしょう。

その事実をしっかりと認識なさっているエストレリアさんには、甘さも傲慢さも欠片たりと感じません。私が貴女から感じ取るのは、静かで穏やかで底知れぬ強さ。



私は、強い方が大好きです。

強く在ればこそ自らの足で立ち歩む事が出来ますし、それが出来ればこそ大切な誰かに対し、胸を張って対峙する事も叶うと信じるが故に。



エストレリアさん、同じ時代の同じ大地の上、同じ空の下に貴女と出逢えました事を、本当に幸せに思います。





【以下、中身】

いらっしゃいませ、全力を以て歓迎いたします♪



エストレリアさんは静流の天敵となるか親友となるか際どい感じで、非常に興味深い所ですけれど……もう、凄く楽しみにしていますのでっ(わくわく)

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