仕立屋のつぶやき

毎日、着物を縫う仕事を生業にしているおいしゃんが、気になったことや感じた事をつぶやきます。

仕立屋修行記 その23

2014年06月06日 02時08分13秒 | 仕立屋修行記
この頃のおいしゃんの経済事情、給与は27000円でした。
毎日の銭湯110円、床屋2800円、タバコ100円、外食はあまりしなかったので、その他レコードや、ステレオ等身分不相当の買い物をしていた。毎月一杯一杯だった。
仕事では、比翼を縫っていた。これは黒留や色留に付けるもので、着用すると下着を着ているように見えるものです。
付け比翼と本比翼がありますが、現在は付け比翼が主流で、本比翼を注文する人はなかなかいません。
後日、東京の講習会で本比翼を縫いましたが、なかなかおもしろいです。特に袖は本尾翼の方がくけが嫌いなおいしゃんには楽なような気がした。
二年目ということで、いろいろと仕事が増え、師匠の病院通いの運転、もちろん納品も。唐津まで運転していったのもこの頃である。
九州連合という集まりが九州各地で持ち回りで開催し、この年(昭和50年)は佐賀が担当でした。
東京から、じーさんが来て、師匠と宮本先生と空港まで迎えに、その足で師匠の師匠(大師匠)のお宅へ。
初めてお会いした印象は、とても大きな方で、この歳の人には珍しく、180センチはあったと思う。
このメンバーを載せて一路唐津へ、もし事故でも起こしたら、和裁業界に多大な影響を与える先生方ばかりなので、とても緊張していました。高速などもなく、一般道をひたすら慎重に運転したので、
無事着いたときは、汗びっしょりで(エアコンなしの軽でしたので)昼食も喉を通りませんでした。

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