塩づくりプロジェクト発 海老塩浜(かいろうしおはま)情報

現在の広島市佐伯区海老園・楽々園の一部には、むかし入浜塩田があったらしい。
その歴史と現在のまちについてのいろいろ。

松永の塩田

2010年11月30日 | 塩づくりプロジェクト日記
瀬戸内海周辺にある『塩田』に関する博物館、資料館をおとずれることが増えました。

これは、松永駅からすぐのところにある「はきもの博物館」。下駄の町として知られる「松永」ももとは塩田で栄えた町で、塩を作るとき(釜焚き)に必要な材木から「下駄」という流れになったようです。


この夏に見学に行った大きな家ともリンクします。村上家住宅

つい最近のこと?

2010年11月22日 | 塩づくりプロジェクト日記

11月始めの講演会&散策会に参加していただいた方が、11月18日のプロジェクトの定例会議に参加してくれました。

その定例会議の中で興味深い話しをしてくれました。

「昭和32年、バスガイドとして広島市内から宮島方面に向かう途中のバスで、この周辺を通ると、『このあたりは昔海老塩浜と呼ばれ塩田がありました』というガイドをしていました。」、と。

当時の2号線は「観光道路」とも呼ばれており、宮島や岩国など見所満点のルートだったのでしょう。

そして、『海老塩浜』も明治時代に製塩は終わったとされますが、江戸時代から明治、大正、昭和と、時代を超えて人々に言い伝えられた歴史ある地域であったということが想像にかたくありません。ね。


*写真は現在でも昔の名前を残す「電柱クン」です。(隅の浜→廿日市へ向かう2号線にある電柱です)

瀬戸内の塩田の歴史と海老塩浜

2010年11月05日 | 塩づくりプロジェクト日記

海老塩浜塩づくりプロジェクトPresents!の講演会&散策会が11月4日に開催されました。

製塩に関する専門家のお話を聴く機会はなかなかなく、公民館・区役所の協力あってのイベントとなりました。(ありがとうございます。。。)



前半の講演会は修道大学の落合先生から、現存する海老塩浜に関する記述(古文書や歴史文献など)はとても少ない中で、瀬戸内という広い地域での製塩と海老浜の繋がりについて、いろいろな情報を交えながらのお話が聴けて、とてもよかったです。

後半は、プロジェクトスタッフがずっと前からやりたかった、一般参加者対象の「散策会」です。



スタッフによる説明は物足りないところもあったかもしれませんが、参加していただいた人たちがが地元に住む方々だったため、知らなかった新たな情報も聴けたりして、こっちのほうが充実しておりました。(こちらも、ありがとうございます。!)

次なる一手は、何になるかは分かりませんが、11月18日(木)13時過ぎからのスタッフ会議で、そのベールを脱ぐことになる?、と思いますので、スタッフとして活躍していただける人はバンバン公民館に来ていただきたいです。


追記:こんな情報も。