シーパグこてつと友達になるまで

2012年12月10日生まれ(1才)のシーズー&パグの雑種こてつ(♂)とダメ飼い主の記録。

こてつの現状

2013-12-28 11:46:48 | 日記
①常に落ち着きがなく、人間が動くとついて回る。寝ていても必ず起きてついてくる。

②興奮しやすい。少しの刺激で噛みに転じたり、部屋の中をグルグル走り回る。

③猫ののんちゃんの姿を見るとロックオンして追いかける。のんちゃんが嫌がってもしつこく追い回し、噛むそぶりを見せる。止めに入れば入る程興奮してくる。

④いいことをしたらおやつをあげるようにしていた為いい子という言葉で興奮し、常に人の手を見ている。

⑤クレートやゲージでの生活をさせてしまったので閉じ込められることが恐怖で部屋のドアをしめるのも嫌がる。

⑥知っている人以外はみんな恐い。人が恐い。

⑦物音への警戒が強く少しの音でもビクビクしてしまう。

⑧家に知らない人がくると極度の緊張から唸りながらガタガタ震える。

⑨留守番が苦手。

⑩拾い食いが多い。他犬、猫の食糞あり。

⑪散歩が苦手。

⑫散歩中は常にグイグイリードを引っ張りゼーゼーいう程。

⑬人、犬を見つけるとロックオンして動こうとせず、すれ違う際に突進する。姿が見えなくなるまで後を追おうとする。




自己紹介のん編

2013-12-25 13:02:19 | 日記
我が家にはこてつを迎える前から猫ののんちゃん(1才メス)がいます。

のんちゃんは、まだ寒い2012年3月10日に以前住んでいたアパートの駐車場でうずくまっているところに出会いました。

すぐに、病院へ連れていき治療してもらいました。目は目やにで全く開いてませんでした。
当時住んでいたアパートは、ペット不可だったのでごめんねと駐車場でお別れし、私は出かけました。その日は夜遅くに帰ってきました。午前中お別れした猫がいないか気になり駐車場を探しましたがいませんでした。

私が部屋のドアを開けた瞬間大きな声で猫が泣きました。私はもしかしてと慌てて声のする方へ行きました。駐車場の横の林から猫が出てきました。夜はとても寒くそのままにしておくことができず、連れて帰りました。

私は猫を飼ったことがなかったのでどうしたらいいかわからずお水をあげるくらしかできませんでした。その日は段ボールの箱のなかで寝てもらいました。余程疲れていたのでしょう死んだように寝ていました。心配で心配で何度も生きているか確認しに行きました。

とりあえず風邪が治るまで面倒をみようと決めました。次の日猫ミルクやトイレを買いに朝早くホームセンターへでかけました。

猫ミルクをあげるとたくさん飲みました。それから膝の上でぐっすり寝ました。膝から下ろすと泣いてまた上って寝る。お薬とご飯をたくさん食べてみるみる元気になっていきました。

でもその頃住んでいたアパートはペット不可のためこのままずっと一緒にいるわけにはいきません。
まだまだ目やにがひどかったのですが里親探しを始めました。
猫の里親を探すのはとても大変なことをこの時初めて知りました。

やっと飼ってくれるという方がいても多頭飼育だったり、外飼いだったりまだまだ目やにのひどかったのんちゃんを預けることはできませんでした。

私の中でのんちゃんはもう家族になっていました。旦那さんがもし猫を飼っていいアパートを探すことができたら引っ越してもいいと言ってくれました。

私は必死に探しました。そして1月後猫可のアパートへ引っ越しました。

不思議なことにのんちゃんは前のアパートでは、泣くこともなかったのですが、引っ越してもうここに居ていいのだと理解したのだと思います。その日からかわいい声でなくようになりました。

のんちゃんは、あまり抱っこや触られるのが好きではないのですが、お腹が減ったよ、遊びたいよ、ベランダにでたいなとたくさん私に教えてくれます。

控えめに甘えてくるのんちゃんが大好きです。

自己紹介こてつ編5

2013-12-24 14:09:30 | 日記
そのブログでは、人間本位のしつけはせずに犬の気持ちを尊重することが書いてありました。泣きながら読みました。こてつに何かをする時私はたずねた事なんてありませんでした。一方的に私が決めてこてつに選択肢などありませんでした。従うのが当然だし、なつくのが当然だと思っていました。普通に考えたらそんな人と仲良くなんてなりたくないですよね。なんでわからなかったのだろう。こてつに長い間ひどいことをしてしまったことは後悔してもしきれません。

3ヶ月程実家で過ごしました。実家では寝る時と留守番の時はまだクレートの生活を続けていました。ダメだダメだと思いながらも実家での室内完全フリーはできませんでした。実家だからフリーにした場合まだまだ落ち着きがなく、クルクル回るこてつが家族に迷惑をかけてしまうのではないかと思っていたのです。まだまだ私は人間の方を優先していました。

3ヶ月後自宅へ戻りました。こてつは6ヶ月になっていました。これから日中はこてつと2人っきり不安でした。自宅へ戻って2週間は実家と同じようにリビングのみフリーで、寝る時、留守番はクレートの生活をしていました。

狭いアパートを寝室とリビングの間に仕切りをして過ごしていました。人間もとっても生活しづらく、窮屈でした。この頃こてつは日中はほとんど寝るようになっていました。それでも起きると部屋の中をグルグル走りまわったり、突然噛みついてきたりしていました。窮屈な生活にこてつも嫌気がさしていたのだと思います。
私がリビングから出ると泣き、ドアをカリカリしていました。

出張しつけサービスも2回利用してやめました。トレーナーさんから指導されたことも止めました。
こてつを心からかわいいとやっと思えました。部屋のいたるところで仰向けになって寝る、側に寄ってきてくれるようになりました。

仕切りを取り払い室内完全フリーにしました。こてつは全くイタズラもせず嬉しそうに寝室の匂いを嗅いでまわってました。その日から留守番の時もフリーにしました。こてつは、なんの問題もなくお留守番していました。私が隣の部屋へ行けばついてきて、トイレに行けばついてきてずっと後ろをついてまわってました。
それでも夜はクレートで寝せていました。おやすみと言い鍵を閉める行為がとても嫌でした。朝方になるとキュンキュン泣いてドアをガタガタしていました。泣く時間はどんどん早くなり、長くなりました。私はいつ泣き出すのかが気になり眠れなくなりました。私は働いてないけど、旦那さんは仕事があるのに、睡眠を妨害させてはいけないと思っていました。私は夜もクレートへ入れることを止めたいと旦那さんに言いました。クレートへ入れるのが辛いと言いましたが、旦那さんはまだあまりいい返事をしませんでした。

相変わらずこてつは朝方泣き続けていました。ある日こてつが私達が寝る時間になっても旦那さんのベッドで熟睡していました。
私は起こすのかわいそうだねと言いました。旦那さんも同じでした。今日はそのまま寝るかと言いそのまま寝ました。
その日からこてつはベッドで毎日一緒に寝るようになりました。

こてつを完全に自由にしてあげるまで5ヶ月もかかってしまいました。5ヶ月もストレスを与え続けていました。本当にひどい飼い主です。

この間にこてつの心は悲鳴を上げていました。
フリーになって、あらゆる主従訓練をやめた今も心の傷は深く、こてつは心を開いてくれていません。当たり前です。

今フリーになって5ヶ月たちました。こてつに許してもらおうとは思いません。好きになってもらわなくてもいいから、私のことを恐いと思ってほしくない、心から安心してただただありのままのこてつであって欲しいと思うのです。

これから何年かかってもいいからいつか友達だと思ってくれる日がくるように私はこてつと接していきたいと思います。

自己紹介こてつ編4

2013-12-24 00:26:37 | 日記
こうして実家での生活が始まりました。
実家には、いつも誰かしら人がいるので、こてつもクレートから出ている時間が増え、私自身も一人でお世話している時と違い少し心に余裕が出てきました。
これまでの私は、しつけとかないと大変なことになると変な強迫観念に追われていましたが、母は小さな事は気にせずこてつのすることなすことケラケラ笑って過ごしていました。こてつもそんな母のことが大好きでペロペロ顔を舐めたり、尻尾をブンブン振ったりキラキラしていました。

私の見たことのないこてつがいました。私はショックを受けました。リーダーにならなきゃと厳しく接した私との態度の違いに愕然としました。
母は一切怒ったり、褒めたりしていないのに何なんだこれは!と。

甘えるこてつ。笑うこてつ。がそこにいる。

しつけって何?私が望むものはこてつが幸せでこてつが幸せだから私も幸せであること。こてつの気持ちが知りたいと強烈に思うようになりました。どうしたら甘えてくれる存在になれる?どうしたら笑ってくれる?どうしたら側にいてくれる?どうしたら私のこと受け入れてくれる?友達になってくれる?

どうして肝心なことを忘れていたのだろう。こてつと暮らして3ヶ月がたとうとする頃、ようやく私は我に返り、今までの数々のひどい行動を後悔しました。今思い出しても吐き気がします。

それでも、実家ではリビングのみフリーの状態でした。夜寝る時や食事の時はクレートに入れていました。まだまだひどい状況でした。お留守番も長い間クレートの中でした。
その頃、あるブログを見て私のやっていたことが完全に間違いだったことに更に気がつきました。

自己紹介こてつ編3

2013-12-23 23:39:01 | 日記
こてつが来てから一ヶ月たつくらいまで毎日こてつにとってひどすぎるしつけとは名ばかりの虐待の日々でした。

トレーナーさんが2回目に訪ねて来た日こてつは部屋の隅でガタガタと震えていました。おしっこももらしました。完全に怯えてました。この時もやたらハイテンションに褒めるように指導されたり、好ましくない行動をしたらリードでガツンと引っ張っることを習ったりしました。
トレーナーさんが私の褒め方が抑揚がないため伝わりにくいと言われました。怒っている、褒めているなどの感情をもっと出すように言われました。

元々あまり感情を表に出すことが苦手な上に思ってもいない褒め言葉を言いなさいと言われてもできませんでした。ますます混乱しました。

その頃のこてつを思い出すこともできないほど私は訳がわからず毎日を過ごしていました。
こてつの悲痛な泣き声とこてつから全く受け入れられない自分、こてつのことを受け入れていない自分、とにかくずっとモヤモヤしてました。

こてつが来たのは私が新しい土地に引っ越して約3ヶ月後でした。私は新しい土地に馴染めず、家に引きこもり体調もすぐれず相当暗い顔をしていたのだと思います。

旦那さんから、誕生日のお祝いに犬を飼っていいよと言われ本当に喜びました。結婚当初から犬を飼いたいと私はずっと言ってましたからきっと元気づけようとしてくれたのだと思います。
旦那さんは、ちゃんとお世話してねと言いました。私はちゃんとお世話しなくちゃ、きちんとしなくちゃと思いました。だから悩んでいても、相談できずにいました。
迷惑かけてはいけないと思い込んでいました。一人でどうにかしなくてはとずっと思ってました。

私はこてつが来て2ヶ月たった頃、病気になりました。すぐに手術が必要と言われ、パニックになりました。知らない土地での病気、頼れる人もいない。どうしよう、どうしようと今まで生きてきた中で一番落ち込みました。

こんな状態でこてつの面倒なんて見れない、どうしよう、どうしようと。手放すことは全く考えませんでしたが、不安でたまりませんでした。この大事な時期に側にいられなくなることを心から申し訳なく思いました。

旦那さんは、仕事が忙しく帰宅も深夜なため、子犬のこてつを面倒みれる訳がなく、私は実家へこてつも一緒に連れて帰り地元で手術することにしました。

こてつは約4ヶ月の時に飛行機移動というとんでもないストレスを与えてしまいました。よほど怖かったのでしょう、迎えに行ったこてつは便まみれでした。