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アトリエ・瑠璃色ビードロ

ポーセラーツや、ドライフラワーなど、手作りの趣味のブログです。

一周忌と、四十九日

2008-12-14 18:40:05 | コラム
クリスマスまで、あと10日。

今日は、父の一周忌です。
10日に、お墓の掃除を、兄と、しました。
次の日に、下の兄夫婦と、揃って、お墓の修復を、しました。
福岡は、数年前に、大きな地震が、あって、中央区のお墓では、墓石が、倒れた所も、多かったんですが、博多区に、ある古い墓所は、なぜか、そういう被害が、なかったのです。
ただ、少しだけ、墓石が、微妙に、ズレて、いるので、速乾セメントで、修復を、しなくては、なりませんでした。
兄弟が、みんな関東に、住んでいるから、こういう、機会でもないと、集まりませんから、お墓の修復は、みんなの集まった日に、なりました。
もちろん、力仕事は、兄貴たちに、任せて、女二人は、お供えの花を、買いに、いきましたが。。。(⌒‐⌒)
久しぶりのお墓参り。
お天気は、温かでした。
義母の四十九日とは、大違いの温かさに、コートも、要りませんでした。ただ、お墓参りしたあとに、雹が、降りました


義母の四十九日は、中央区の御寺の坊さんが、お経を、よんでくださり、講話もされたのですが。。。なんだかなぁ義母は、何年も、御寺に、通っていたのに、坊さんは、義母のことを、まったく、ご存知なくて、葬儀の念仏も、下手でした。葬儀のあと、ご挨拶に、いっても、事務所経由でしか、お話できませんでしたし。。。高い念仏料だけ、請求され、お話も、下手くそすぎて、何度も、同じ言葉を、繰り返すだけで、聞いていて、イライラしました。。。おまけに、内容が、あまりにも、相応しくありませんでした。悲しいきもちが、癒されない内容でした
あんな話なら、聞かないほうが、どんなに、良かったでしょうか。悲しい気持ちに、なりました

父の一周忌は、博多区の御寺で、しました。
こちらとは、100年以上のお付き合いです。
もともと農家だった、我が家は、分家なので、先祖は、かなり、貧乏でした。
御寺への寄進も、わずかしか、したことありません。
それでも、父のことを、親身に、考えてくださいました。母を、亡くした父が、ショックで、落ち込んでしまったとき、四十九日まで、私が、父を、四国に、連れていくことになりました。そのとき、母のお骨を、預かって、供養してくださったり、お世話になりました。
父の新盆のときも、お婿さんと、お二人で、お経を、あげて、頂きました。
今回も、その若い和尚さんが、仏事のお供えを、綺麗に、手際よく供えてくださいました。
お花も、我が家から、持っていったのが、より、綺麗に、見えるのです。
お花のアレンジ習いたいって、思うほど、素敵キャハできるなら、に、収めたいくらい綺麗でした
お経も、声が、はりがあるし、合唱みたいで、荘厳な気持ちに、なりました

そして、帰るときに、和尚さまのご家族が、みんな笑顔で、私たちを、お見送りしてくださいました。
このときに、和尚さまの奥様に、博多の『ごりょんさん』の心意気を、みんなが、感じました。
奥様の入れてくださる美味しいと、博多のお菓子のご接待、和尚さまのよこで、(⌒‐⌒)にこやかに、微笑み、私たちに、同じように、接してくださるご様子は、とても、癒されます。
まさに、手をあわせ、感謝したくなる風情なのです。
昔、日本人は、みんなこんな風に、お互いに、家族のように、接していたのに、いつからか、互いに、『感謝』することを、わすれ、金銭で、サービスを、買うように、なってしまって、貧しいことが、悪いみたいに、思われています。
でも、本当は、サービスを、金銭で、買うことが、いかに、虚しいものなのかそのことに、気付いて、欲しいです。
今の私たちの心が、癒されないのって、そういうことでは、ないのかな
昔の日本人が、当たり前に持っていた、『感謝』の心や、『思いやり』の心が、今の日本には、足りません。それは、サービスを、金銭で、買うからです。

和尚さまが、『御寺に、お孫さんを、お連れください。手をあわせ、感謝している姿を、もっと、見せてあげてください。私たちが、身を持って、感謝の気持ちを、お子さまに、教えてあげることが、できるように。。。』と、おっしゃいました。まさにその通りです。『思いやり』や、『優しさ』は、幼子に、年寄りが、教えてあげるものですね。
私は、年老いた父に、育てられましたから、お年寄りを、見ると、自然に、『席』を、譲ってしまいます時々、『私は年寄りじゃない』って、怒られて、しまうことも、ありますがキャハ
私は、子供が、いないから、残念ながら、教えてあげることは、できません。
でも、兄は、父の位牌を、胸に、関東の我が家に、戻りました。孫と、一緒に、手を合わせる日も、近いようです

博多人やから♪

2008-12-09 02:10:56 | コラム
昨日は、旦那を、福岡空港まで、見送って、櫛田神社に、一人で、お詣りに、行った

櫛田神社は、博多の護り神。
夏祭り、『博多祇園山笠』は、この神社の境内を、山笠の御輿を、担いで、その速さを競う

私が、幼いころから、『男子』に、産まれなかったことを、悔しいと、思うのは、まさに、この雄壮な、山笠に、由来している。
なぜなら、どこかの『客寄せ御輿』と、違って、『女御輿』など、あり得ない世界だからだ。
男の子が、男子に、なる祭りと、いっても、いいだろう。
だからこそ、『神聖』で、なくては、ならない。
なんでも、『男女平等』が、まかり通る世の中で、唯一、ここだけは、女が、入りづらい世界なのだ。
だから、こそ、『価値』が、ある。
ここでは、女が、裏方に、回って、男たちを、支えている。
私は、その姿に、『美徳』を、感じるのだ。
人生に、おいて、お互いを、支えあうと、いうことは、大変なことだ。
男たちが、思う存分に、『山笠』を、できるのは、博多のごりょんさんの内助の功が、大きく、関係している。
黙って、支えるひと、しりを、叩いて、励ますひと、色々いていい。
祭りとは、そうした、夫婦や、親子が、助けあったり、支えあったり、してお互いのあり方を、考えるときではないかと思う。祭りは、互いの気持ちが、まとまったときに、高揚し、楽しいと、思える。
そして、最後に、神と、かみさんに、『感謝』を、しつつ、終わるものだ。キャハ
それは、まさに、人生そのものでは、ないだろうか。
華やかな舞台に、上がる人が、必ずしも、偉いわけではない。
それを、かげで、支え、一緒に、喜べる人が、いてはじめて成り立つ。
だが、最近では、『縁の下の力持ち』に、なりたがらない人が、増えて、世の中が、寒々と、している。
博多のごりょんさんに、出会うと、なぜか、ホッとする。
昨日は、櫛田神社から、キャナルシティや、川端商店街を、散策した。
『博多人』やから、まず、帰ったら、『櫛田神社』で、御祓やねキャハ

福岡の夜

2008-12-08 06:09:19 | コラム
おはよー

昨日は、遅い時間に、戻り、休んだのは、一時過ぎ、今朝は、5時前に、目が、覚めました。

旦那は、神奈川に、戻りますが、旦那の実家の後始末で、今日は、早朝から、出かけます。

σ(^_^)は、自分の実家の一周忌だから、まだまだ、こちらに、残ります

本音を、いえば、こちらで、仕事が、あれば、独り暮らし始めたいキャハ

だって、神奈川は、すっごい、不便なとこに、住んでるからぁ

ここだと、目の前に、あの有名な、フランス菓子のお店の『16区』や、近くには、『白玉』の美味しいお店フランス料理や、イタリアンさらには、ラーメンの『一風堂』やら、『叙々苑』やらと、グルメなお店が、いっぱいなので、帰りたくな~い(゜o゜)\(-_-)コラコラ

昨日は、早速、『16区』で、ダックワーズ買ってきて、食べました
懐かしい
亡くなった父と、よく、いっぱい、お菓子買ってきて、食べたからぁ(i_i)\(^_^)コラコラ
懐かしい思い出の味です
昨日は、義母の四十九日でした。
義母と、最後に、外食した、『タイメシ』が、食べたくなりました。

お店が、いっぱいだったから、仕方なく、諦めました。
でも、こっちに、いる間に、行ってきますよ

福岡のは、いま、とっても、綺麗です
西は、ドーム博多は、キャナルシティ天神どこもかしこも、クリスマス・イルミネーションが、いっぱいですキャハ

一期一会の贈り物

2008-09-24 18:37:26 | コラム
茶道は、苦手です^^;
子供のときに、母から、無理やりに、茶道部に、入れられてしまい・・・。
ほとんど、とんずら。。。「茶道部」ではなく、「さぼり部」でした。

そんな私も、大学生になって、広島に、一人暮らしを、することになったんですが・・・。
広島に、身寄りの、まったくいなかった私に、
大学の学生課で、部屋探しをしていたら・・・
お嬢様を、連れた、お母様が、偶然、声を、かけてくださり。。。
娘と一緒に、家に、住んでくれないかといわれ。。。
めっちゃ、幸運な、お言葉に、私は、その話に、乗ってしまいました。。。
結構、これって、きついことだったんですよね。
だって、お互い、見も知らない、他人が、ひとつ屋根に、住むわけで。。。
でも、1年間は、同居しました。
でもって、いっぱい、楽しい思い出が、できました。

親から、開放された、喜びもあって・・・。
心行くまで、図書館に、引きこもって、勉強したし。。。
本を、朝まで、読みまくっても、怒られないし。。。
うちは、「消灯9時」だったから。。。
読みたい本が、読めなくって、
電車や、バスで、読んでたわけで。。。
友達に、いっぱい、本を、借りて、今まで知らなかった、推理小説や、サスペンスのとりこに、なって行きました。

と、同時に、なぜか、友達に、誘われて、「茶道」「華道」を、始めてしまいました。
広島の先生は、優しくって、私の意匠的な花も、ちゃんと、それなりに、見られるように、活けなおしてくださって、とっても、勉強に、なりました。

でも、やっぱり、私には、茶道が、向いていませんでした。。。
なぜって。。。お点前を、まったく、覚えないんで、先生は、かなり、がっかりだったようです。。。

その後、実家に、戻ってから、親戚のお茶の先生に、指導していただきました。
私は、この先生が、とても、好きでした。
先生は、お点前よりも先に、「美しいもの」を、見る心を、教えてくださいましたから。。お茶会めぐりは、それは、楽しいものでした。

やがて、私も、婚期を迎え・・・。旦那さんの転勤で、松山に、着ました。
松山では、2人の先生に、習いました。
松山の最初の先生には、とても、よくして、いただきました。
でも、そのせいで、私は、いじめに、あってしまいます。
その話は、いずれまた。。。

次に、教えていただいた、先生は、いままでの先生とは、まったく違っていました。
とっても、可愛く、家庭的な方でした。
いつも、掛け軸のほかに、可愛い、小物が、いっぱい、お部屋に、飾ってあるのです。可愛くて、心が、解ける・・・。
そんな先生の、教室に、通うのは、とっても、楽しい時間でした。
お料理や、小物の作りかたまで、習って、母に、そういうことを、あまり、習ったことが、なかったから、母のような、そんな気持ちで、先生に、いろいろ、教えていただきました。
時には、「お味噌ドレッシング」を、いただいたりして・・・。

本当に、楽しいときを、すごしました。
そのときの私が、この、画像です。
4年前の画像です。。。
先生のおうちでの、初釜のお稽古です。

 
先生に、出会ったおかげで、私は、子供のころ、好きだった、縫い物や、編み物を、また、始めるように、なりました。。。
亡母が、あまりに、手が器用だったから、のんびりした性格の私が、編み物をしていると、ちょっと、席を、立った間に、もう完成してたりして。。。私には、がっかりな瞬間が、いっぱいでした。
だから、亡母が、得意分野は、すべて、手を、引いていたわけです。
でも、先生に、出会ったことで、自分が、少しずつ、取り戻せたようです。。。

人との出会いは、不思議です。
その人に、会うことが、まるで、運命のように、私の、人生の岐路で、いつも、誰かに、出会います。

「一期一会」一番好きなことば。。。
だって、出会った方に、いっぱい、幸せを、いただいたから。。。

今、夢中なのが、「はんどandはあと」、いろんな小物の作り方が、載っているから、自分で、アレンジして、作る喜びを、味わっています♪



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幸せは、みかんいろ

2008-09-23 20:59:25 | コラム
松山に、しばらく、というか、長く、住んでいました。
子供の頃、過ごした福岡は、市内の中心部だったせいか、あまり、綺麗な星空を、見た記憶が、ありません。
松山に、行って、びっくりしたのは、すばらしい、自然に、恵まれていたことです。周りが、田んぼで、近所の溜め池や川には、白鷺や、鴨、キセキレイ、などが、季節ごとに、やってきました。春には、鶯の鳴き声で目覚め、近所の桜に、メジロが、飛び交い、夏の夜空には、手が、届くのではないかと、思うくらいの今にも、落ちてきそうな、天の川が、きらきらと、輝きます。
はじめて、美しい夜空を、見上げ、私は、その美しさに、飲み込まれてしまいそうに、なりました。
秋には、田に、実る垂穂を、眺め、冬には、道路脇に、実る、伊予柑畑を、横にみながら、自転車を、走らせました。
冬の夜、山に、たわわに実るみかんが、まるで、ランプのように、ドライブするわたしたちを、照らしてくれます。
そんな、素敵な、松山も、老齢化と、宅地開発で、伊予柑畑や田んぼが、いつの間にか、住宅街に、なっていきました。

でも、長く、暮らしていると、不思議なことが、起きてきます。
それはね。冬になると、みかんで、いっぱいに、なるんです。(⌒‐⌒)
松山に、きたころは、買っていた、みかんが、いつからか、買うことが、なくなるの。。。
それはね。お友達が、運んでくれるから。
みかんの数だけ、幸せが、増えていくって。。。お話でした。(*^▽^*)

画像は、松山時代に、リハビリで、はじめた、「水墨画」教室で、描いた「猿」です。うまく描けていませんが、いま、「病」に、去ってほしいから、「病去る」の願いで、載せました。
皆様の健康を、お祈りします。時節柄、ご自愛くださいね。(^ー^)