クリスマスまで、あと10日。
今日は、
父の一周忌
です。
10日に、お墓の掃除を、兄と、しました。
次の日に、下の兄夫婦と、揃って、お墓の修復を、しました。
福岡は、数年前に、大きな地震が、あって、中央区のお墓では、墓石が、倒れた所も、多かったんですが、博多区に、ある古い墓所は、なぜか、そういう被害が、なかったのです。
ただ、少しだけ、墓石が、微妙に、ズレて、いるので、速乾セメントで、修復を、しなくては、なりませんでした。
兄弟が、みんな関東に、住んでいるから、こういう、機会でもないと、集まりませんから、お墓の修復は、みんなの集まった日に、なりました。
もちろん、力仕事は、兄貴たちに、任せて、女二人は、お供えの花を、買いに、いきましたが。。。(⌒‐⌒)
久しぶりのお墓参り。
お天気は、
温かでした。
義母の四十九日
とは、大違いの温かさに、コートも、要りませんでした。ただ、お墓参りしたあとに、雹が、降りました
義母の四十九日
は、中央区の御寺の坊さんが、お経を、よんでくださり、講話もされたのですが。。。なんだかなぁ
義母は、何年も、御寺に、通っていたのに、坊さんは、義母のことを、まったく、ご存知なくて、葬儀の念仏も、下手でした
。葬儀のあと、ご挨拶に、いっても、事務所経由でしか、お話できませんでしたし
。。。高い念仏料だけ、請求され
、お話も、下手くそ
すぎて、何度も、同じ言葉を、繰り返すだけで、聞いていて、イライラしました
。。。
おまけに、内容が、あまりにも、相応しくありませんでした
。悲しいきもちが、癒されない内容でした
。
あんな話なら、聞かないほうが、どんなに、良かったでしょうか
。悲しい気持ちに、なりました
。
父の一周忌
は、博多区の御寺で、しました。
こちらとは、100年以上のお付き合いです。
もともと農家だった、我が家は、分家なので、先祖は、かなり、貧乏でした。
御寺への寄進も、わずかしか、したことありません。
それでも、父のことを、親身に、考えてくださいました。母を、亡くした父が、ショックで、落ち込んでしまったとき、四十九日まで、私が、父を、四国に、連れていくことになりました。そのとき、母のお骨を、預かって、供養してくださったり、お世話になりました。
父の新盆のときも、お婿さんと、お二人で、お経を、あげて、頂きました。
今回も、その若い和尚さんが、仏事のお供えを、綺麗に、手際よく供えてくださいました。
お花も、我が家から、持っていったのが、より、綺麗に、見えるのです。
お花のアレンジ習いたい
って、思うほど、素敵
キャハ
できるなら、
に、収めたいくらい綺麗でした

お経も、声が、はりがあるし、合唱みたいで、
荘厳な気持ち
に、なりました
そして、帰るときに、
和尚さまのご家族
が、みんな笑顔で、私たちを、お見送りしてくださいました。
このときに、和尚さまの奥様に、博多の『ごりょんさん』の心意気を、みんなが、感じました。
奥様の入れてくださる美味しい
と、博多のお菓子のご接待、和尚さまのよこで、(⌒‐⌒)にこやかに、微笑み、私たちに、
同じよう
に、接してくださるご様子は、とても、癒されます。
まさに、手をあわせ、
感謝したくなる風情
なのです。
昔、日本人は、みんなこんな風に、お互いに、
家族のよう
に、接していたのに、いつからか、互いに、『感謝』することを、わすれ、金銭で、
サービス
を、買うように、なってしまって、
貧しいことが、悪い
みたいに、思われています。
でも、本当は、
サービス
を、金銭で、買うことが、いかに、虚しいものなのか
そのことに、気付いて、欲しいです。
今の私たちの心が、癒されないのって、そういうことでは、ないのかな
昔の日本人が、当たり前に持っていた、『感謝』の心や、『思いやり』の心が、今の日本には、足りません。それは、
サービス
を、金銭で、買うからです。
和尚さまが、『御寺に、お孫さんを、お連れください。手をあわせ、
感謝している姿
を、もっと、見せてあげてください。私たちが、身を持って、
感謝の気持ち
を、
お子さま
に、教えてあげることが、できるように。。。』と、おっしゃいました。まさにその通りです。『思いやり』や、『優しさ』は、
幼子
に、
年寄り
が、教えてあげるものですね。
私は、
年老いた
父に、育てられましたから、お年寄りを、見ると、自然に、『席』を、譲ってしまいます
時々、『私は年寄りじゃない
』って、怒られて、しまうことも、ありますが
キャハ
私は、子供が、いないから、残念ながら、教えてあげることは、できません。
でも、兄は、父の位牌を、胸に、関東の我が家に、戻りました。孫と、一緒に、手を合わせる日も、近いようです

今日は、


10日に、お墓の掃除を、兄と、しました。
次の日に、下の兄夫婦と、揃って、お墓の修復を、しました。
福岡は、数年前に、大きな地震が、あって、中央区のお墓では、墓石が、倒れた所も、多かったんですが、博多区に、ある古い墓所は、なぜか、そういう被害が、なかったのです。
ただ、少しだけ、墓石が、微妙に、ズレて、いるので、速乾セメントで、修復を、しなくては、なりませんでした。
兄弟が、みんな関東に、住んでいるから、こういう、機会でもないと、集まりませんから、お墓の修復は、みんなの集まった日に、なりました。
もちろん、力仕事は、兄貴たちに、任せて、女二人は、お供えの花を、買いに、いきましたが。。。(⌒‐⌒)
久しぶりのお墓参り。
お天気は、
















あんな話なら、聞かないほうが、どんなに、良かったでしょうか




こちらとは、100年以上のお付き合いです。

もともと農家だった、我が家は、分家なので、先祖は、かなり、貧乏でした。
御寺への寄進も、わずかしか、したことありません。
それでも、父のことを、親身に、考えてくださいました。母を、亡くした父が、ショックで、落ち込んでしまったとき、四十九日まで、私が、父を、四国に、連れていくことになりました。そのとき、母のお骨を、預かって、供養してくださったり、お世話になりました。

父の新盆のときも、お婿さんと、お二人で、お経を、あげて、頂きました。

今回も、その若い和尚さんが、仏事のお供えを、綺麗に、手際よく供えてくださいました。

お花も、我が家から、持っていったのが、より、綺麗に、見えるのです。

お花のアレンジ習いたい







お経も、声が、はりがあるし、合唱みたいで、



そして、帰るときに、



このときに、和尚さまの奥様に、博多の『ごりょんさん』の心意気を、みんなが、感じました。

奥様の入れてくださる美味しい



まさに、手をあわせ、


昔、日本人は、みんなこんな風に、お互いに、






でも、本当は、



今の私たちの心が、癒されないのって、そういうことでは、ないのかな

昔の日本人が、当たり前に持っていた、『感謝』の心や、『思いやり』の心が、今の日本には、足りません。それは、


和尚さまが、『御寺に、お孫さんを、お連れください。手をあわせ、










私は、








私は、子供が、いないから、残念ながら、教えてあげることは、できません。
でも、兄は、父の位牌を、胸に、関東の我が家に、戻りました。孫と、一緒に、手を合わせる日も、近いようです

