田禾(ティエンホー/Tian He)1964年、湖北省大冶市生まれ。1982年に詩作を開始し、詩集『故里に呼びかける』、『野の向日葵』、『家路にて』など11冊がある。第4回魯迅文学賞をはじめ、多くの詩歌部門を受賞。
次に紹介する3篇は、『田禾詩選』(2012、思潮社)から採っている。
田禾詩3篇
流水
江南は水でできている 水でできた江南は 至るところを水が流れる
一万年前の水も 一万年後の水も
同じ方向へ流れている
水は山深くから流れ出し 谷を通って流れる
水源から 雲のてっぺんと高山から 流れてくる
ある年 私は黒(ヘイ)おじさんと薬草採りに山に入ったが
うっかりせせらぎを追ううちに 麓まで駆け下っていたのだった
水は谷川に沿って 低い方へ低い方へ流れ
谷から延々人の住む平地にまで流れる
村の干上がりそうな池を満たしたあと 引き続き前方へ流れ
耕し古された半畝(ムー)*の ヨモギとソラ豆の生い茂る畑を過ぎ
搾油工場の跡地を過ぎて突然
曲がり 引き続いて何度も曲がり
曲がりながら菜種畑と何軒かの貧乏家の裏庭とを過ぎ
道すがら何輪かの野の花と 秋の終わりの雨とを
引き受けて私心なく養育し そうして
水深が60センチに増す村の前の小川まで 流れる
幾らかの水は木桶や水差しに汲み上げられ
幾らかは農民が汲み上げて灌漑し 幾らかは平らな姿勢になって
ゆっくり流れる 水の遠出というのはどうやら帰省することらしい
*1畝は666.7㎡。
兄弟分家
いわゆる分家 分家とは食を別にすること 分家とは父と母を分離すること
一つの鍋を分けて幾つかの鍋にすること
一つの竈を分けて幾つかの竈にすること
豚と羊は折半 鶏と家鴨も折半 一匹だけの三毛猫は
均等に分けられないから 父母のお供に残す
食糧は大籠単位で 土地は畝単位で 家屋は部屋単位で
麻袋は枚数で テーブルは卓数で 椅子は脚数で
柄杓、盆、碗、箸は頭数で分配する
篩、箕、鶴嘴、鎌、金槌、熊手は
誰もがそれぞれ一つ
オマル 男の夜間用便器は 分けるまでもない 各自自分のを持ってゆく
自分たちの子供はそれぞれ自分の家へ連れてゆく
親戚は皆に共通のもの 友人はそれぞれのもの
父母の杖は分けられない 父母はまだそれを頼りに歩くのだ
父は言う お前たちに申し訳ない わしには金がない
彼は病苦と咳と そして
東寄りの二間の瓦葺の家を残した
母は涙の粒を落としながら 嫁入りに持参した銀の飾りを
一つ一つ取り出し 息子の嫁たち一人ずつの頭に付けてやった
二人の孫は傍らで只々ジジババにいて欲しいと泣いている
苦難
もし私が死んだなら 親愛なる皆さん
どうか私の身体の中から苦難を取り出して下さい
私の命の中にある一番大切なものは それ以外ではありません
人に最も見下げられるものも それです
この世の苦難もあれば 前世の苦難もあります
沢山の食糧の素と土壌のカルシウム
そして清潔さと私本来の面目も内包しているはずです
長きにわたる苦難もあれば 短期の苦難もあります
もしもそれらを繋げてみるとしたら
それが私の一生です もしも一節一節取り出したなら
どれもこれも私の困難な歳月 もしくは
こまごました惨めな暮らしぶりです
私の重さはつまり私の苦難の重さ
私の容積はつまり私の苦難の容積
でも一粒の食糧と天秤にかけてもよいぐらいに軽い時があり
一枚の硬貨に守らせてもよいぐらいに小さい時もあります
次に紹介する3篇は、『田禾詩選』(2012、思潮社)から採っている。
田禾詩3篇
流水
江南は水でできている 水でできた江南は 至るところを水が流れる
一万年前の水も 一万年後の水も
同じ方向へ流れている
水は山深くから流れ出し 谷を通って流れる
水源から 雲のてっぺんと高山から 流れてくる
ある年 私は黒(ヘイ)おじさんと薬草採りに山に入ったが
うっかりせせらぎを追ううちに 麓まで駆け下っていたのだった
水は谷川に沿って 低い方へ低い方へ流れ
谷から延々人の住む平地にまで流れる
村の干上がりそうな池を満たしたあと 引き続き前方へ流れ
耕し古された半畝(ムー)*の ヨモギとソラ豆の生い茂る畑を過ぎ
搾油工場の跡地を過ぎて突然
曲がり 引き続いて何度も曲がり
曲がりながら菜種畑と何軒かの貧乏家の裏庭とを過ぎ
道すがら何輪かの野の花と 秋の終わりの雨とを
引き受けて私心なく養育し そうして
水深が60センチに増す村の前の小川まで 流れる
幾らかの水は木桶や水差しに汲み上げられ
幾らかは農民が汲み上げて灌漑し 幾らかは平らな姿勢になって
ゆっくり流れる 水の遠出というのはどうやら帰省することらしい
*1畝は666.7㎡。
兄弟分家
いわゆる分家 分家とは食を別にすること 分家とは父と母を分離すること
一つの鍋を分けて幾つかの鍋にすること
一つの竈を分けて幾つかの竈にすること
豚と羊は折半 鶏と家鴨も折半 一匹だけの三毛猫は
均等に分けられないから 父母のお供に残す
食糧は大籠単位で 土地は畝単位で 家屋は部屋単位で
麻袋は枚数で テーブルは卓数で 椅子は脚数で
柄杓、盆、碗、箸は頭数で分配する
篩、箕、鶴嘴、鎌、金槌、熊手は
誰もがそれぞれ一つ
オマル 男の夜間用便器は 分けるまでもない 各自自分のを持ってゆく
自分たちの子供はそれぞれ自分の家へ連れてゆく
親戚は皆に共通のもの 友人はそれぞれのもの
父母の杖は分けられない 父母はまだそれを頼りに歩くのだ
父は言う お前たちに申し訳ない わしには金がない
彼は病苦と咳と そして
東寄りの二間の瓦葺の家を残した
母は涙の粒を落としながら 嫁入りに持参した銀の飾りを
一つ一つ取り出し 息子の嫁たち一人ずつの頭に付けてやった
二人の孫は傍らで只々ジジババにいて欲しいと泣いている
苦難
もし私が死んだなら 親愛なる皆さん
どうか私の身体の中から苦難を取り出して下さい
私の命の中にある一番大切なものは それ以外ではありません
人に最も見下げられるものも それです
この世の苦難もあれば 前世の苦難もあります
沢山の食糧の素と土壌のカルシウム
そして清潔さと私本来の面目も内包しているはずです
長きにわたる苦難もあれば 短期の苦難もあります
もしもそれらを繋げてみるとしたら
それが私の一生です もしも一節一節取り出したなら
どれもこれも私の困難な歳月 もしくは
こまごました惨めな暮らしぶりです
私の重さはつまり私の苦難の重さ
私の容積はつまり私の苦難の容積
でも一粒の食糧と天秤にかけてもよいぐらいに軽い時があり
一枚の硬貨に守らせてもよいぐらいに小さい時もあります
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