小さな旅

気ままなドライブ旅行、思いついたこと

もっちゃん

2015-03-30 22:38:48 | 思いつくまま

私は、眼科医の待合室に座っていました。

平日の夕方なので、通勤帰りの人たちが来ていました。

受付から、「急に目が痛くなって・・・・・・」などいう話声が聞こえてきます。

私は少し前に、「車の運転をしている時、日の光がまぶしくて目を開けて

いられなかった」ので、目医者に駆け込んだのでした。

「日の光がまぶしくて目が開けていられないし、涙が出るのです」というと

目医者さんはいとも簡単に、「白内障ですよ」

「白内障?」年をとると、なるとは聞いていたけど・・・・・・。

「白内障といっても、未だ大したことはありませんよ。もっと悪くなったら

手術をしなければいけないのですけどね」

と言うようなわけで、白内障を遅らせる点眼液を貰いに来たのでした。

「この薬は、白内障を良くする薬ではありません。今以上に進まなくする

薬です。1日3回点眼して下さい」

待合室で目を閉じていると、ふと、「もっちゃん」のことを思い出したのです。

待合室の患者さんの中に、痩せた人がいたからかも知れません。

 

「もっちゃん」はもと子さんと言うのですが、友達も自分も「もっちゃん」と

言っていました。痩せていて背が高く、面長で目が大きい女の子した。

いつも陽気で友達も多く、「もっちゃん」の周りは賑やかでした。その屈託の無さを、

羨ましく眺めていました。

同じ町内と言うだけで「家へ遊びにおいでよ」など言って、側にいた友達たちを

自分の家の2階に連れて行きました。「もっちゃん」の家は、時計屋さんでした。

1階の店では、道路に面したガラス窓越しに男の人の姿が見られました。

年配の男性は「もちゃん」のお父さん、若い男性はお兄さんのようです。いつも

まぶたの片方に、虫眼鏡のようなものをつけて、時計の修理をしていました。

誠実そうな感じでした。

(その眼鏡は、「キズミ」というそうです)

私は戦火を逃れるために、父の郷里近くに引っ越して来たばかりだったので、

友達もいませんでした。そんな中、「もっちゃん」に出会ったのです。

「もっちゃん」と話したのはその時だけでした。

その後暫くして町を離れることになり、いつしか「もっちゃん」のことも忘れていました。

 

年月が過ぎたある日、その町に行く機会がありました。町の様子は以前と同じで、

静かな時が流れていました。

子供の頃いつも歩いていた、「もっちゃん」の家の近くに来ました。ところが

「もっちゃん」の家が、見当たらないのです。私の記憶違いかもしれません。

 

後から聞いたところによると、「もっちゃん」の両親は他界し、兄は友達に誘われて、

都会に行ったそうです。

「もっちゃん」は若くして亡くなった、というのです。

周囲に明るい笑顔をふりまいていた「もっちゃん」のことを思う時、空腹を

抱えながら過ごした、戦中・戦後の時代のことをを思い出すのです。

 

○ 1年前に行った「石垣島・沖縄」のHP、やっと出来ました。

*石垣島・沖縄