第10回詩歌トライアスロン候補作
●三詩型融合部門
1、 うたいあい
1 調律師の場合
季節に添えられた雨の呼び名を、男は閲覧室で眺めている
「B」の項には欠損がみられた為、一人、回廊を何度も往復した
歴史上、まずは季語から失ってそれから声色が狭まった
長い時間楽譜の中を探しても何も分からぬ耳には、音を
鳴らす何かが必要で実際、眼を閉じ木や石を
叩いたりするところから始めなければならなかった
初めての哀悼の意を示すため彼らの骨で拍を割る始祖
それは壁画から躍り出た古い装飾だった
こちまごちくんぷうのわききたおろし
四季折々の、例えば風が去った後、図書館は慌ただしくなる
ここに集められる、脈絡はない
歌になる前の、私たちがとうに不要としたもの
桜散り使い古した語彙の塵
男は調律師だった、整頓された言葉を一つ一つ精査する
汚れているのは意味だけではない
手に取り舌の上に放つとすぐにそれは音便した
水枯れる川肌で喘ぐ岩魚かな
歌人でもあった男はその意味を考える
「てんい」という語を棚から取り出す、耳を立て
アグニ、流離、星の意図
どこからきて、どこへいくのか
男にも、もう分からない
中庭に光の粒が集まり手を止め無季の顔をするひと
2 エンジニアの場合
空中庭園の一角に備わる工廠では、当然四季は乏しく
句は淀み成層圏で鳥は嘆き
そう歌ったのは大震災を知らないアンドロイドだったか
女はここで量産されている幼体の
フェールセーフ機能の再設計を任されている
外乱を歌い上げる関数の無限ループを抜け出せぬ子ら
ここで産まれたほぼ全ての個体が、あの日から
聴覚に関するエラーを吐き続けている
産室は庭園から摘んできた植物で埋まっている
光度下げアンスリウムという花に
室内灯が季語を求める
女は再起動を待ちながら、つるりとかえりのない耳を撫でる
そのままの指で、つまんだメモリには滅んだ花の
歌あまた眠り
3 美術商の場合
著名な歌人が彫ったとされる版画を買い取った
雪原を歩く女性が両手に向日葵を抱えている
一輪の虚ろな顔がうつむけば口ごもる冬陽陰に吸われ
お聞きになられましたか?
持ち主曰く、真贋を見分ける基準は
そこに歌が現れているかどうかだという
なるほど、と彼は手を叩いて納得した
画廊を訪れる人々は思い思いに、歌や言葉を残していく
4 鳥類学者の場合
鳥の声をキャンバスを裂く音で作りたい、と言われ
喧嘩になってしまった
ヤンバルクイナの絵を引き裂いたとて
蓮は独り花びらを閉じ、私たちは午睡に入る
うつせみの世に溢るる紛いの音
夢を渡るあの鳥の声さえ
古い地層から発見、復元された、ある鳥類学者の日記は
このような歌で終わっている
5 アンドロイドの場合
アンドロイドの間でコミュニケーションが生まれた
長い回廊を行き来して運んでいるのは
『うた』と呼ばれていたもの、人が去り
語る口も、頼る耳も不要になり
必要最小限の機能しか備わっていない彼らの
腕の自由度だけは滑らかだった
メモリの隅で揺らいでいる
滅んだ花の『うた』をほどき純度の高い事柄を渡す
肩 ¦¦ 肘 ¦¦ 手首 ¦¦ 指と順に駆動させ
ない音と
ない音が生む流線、その所作は確かに
彼らだけの『うたいあい』だった
縁取った白色光が淀みないイメージを生み愛燦々と
初雪や舞い降りじわり腕に溶け
形づくりたい
読みとりたい、そういう願いで満ち溢れ
虹くぐるアンドロイドも夢をみる
眼の約束だけで
交わしていく
ヒバリ鳴く声採譜して垂る枝
君に教わるあれが梅だと
春時雨水瓶に降り生まれる輪
我を忘れて踊るマズルカ
名月に顔だす兎届かぬ手
すすきの軽い触れうたいあい
………
※※
聞こえる『うた』と聞こえない『うた』
見えない『うた』と見える『うた』
未完の伝承は
『きご』を追いやっているだけではないか?
正直に言う、今はまだ
やはり『ことば』はよそよそしい
(中家・堀田 野村選)
2、夏の逃走
まみどりの髪はあなたのたてがみと思うよ強風ハローの夜更け
崖下に海を眺めながら ふたり歩いた
暗いし、海面は遠かったけど 水がつめたいことも
波が激しいことも分かった
海風に髪をめちゃくちゃにされながら
どこまでだって歩いていけると思った
道端の風リン売りから買った地図をひらいて
トーキョーまでの距離をたしかめる
さんざん迷って、金魚の風リンも買った
青い硝子鉢の中に金魚が泳ぐ風リン
ほんとうに生きている本物の風リン
波の音、海風の音を聴き分けてあなたは眠たげに目を伏せる
夏の夜のにおいは雨に似ているねかわりばんこにラムネを飲んで
うつくしい誤字はたしかに地図にあり薔薇もアザミも海に咲くこと
明日なんてないってような遊び方をしようよ爆ぜる花火を掲げ
(どうして炎を見るとこれほどになつかしい気持ちになるのだろう)
この湾の向こうに見えるトラス橋
その橋を越えた先にあるのがトーキョー
ほらあれが密入国をしようとしているひとたち
あなたが指さす崖下 すこし奥まったところにいくつかのちいさなボートがはりついていた
目をこらせば遠く、まっくらな海水にゆらゆら漂うボートも見える
沿岸警備のサーチライトがときおりわたしたちをかすめる
あなたはいちご味のポッキーをかじりながら
もう一生お菓子しか食べないなんて宣言をする
草笛の運んでくれた風いちまい
アロハシャツやたらに似合う共犯者
暴力を語れば溢る砂糖水
密入国者のうち 四割は海に沈み 三割は銃で撃たれ 二割は収容所送りになり 一割は行方不明になるという
(そのときがきたらどんなふうに死にたい?)
通り過ぎる車が 時々クラクションを鳴らしてゆく
車のヘッドライトがわたしたちの影を長くして、そしてまた短くする
見たことのないトーキョーをわたしは想像してみた
ひかる大きな観覧車 森の中に建つビル 真珠色のムービングウォーク
公園には噴水があって、売店にはユニコーン色のわたあめが売られている
たぶんきっとそんなふうだ
風リンの金魚がちゃぷんと跳ねた
からだごと飛ばされそうな風のなかなんでもないって言ってみせてよ
真夜中にあなたが語る詩のなかの海鳴りあれがほんとうの海
暗やみに撮った写真のやわらかな輪郭、あなたの手のあたたかさ
知ることは怖いことだねさめざめとあなたの髪に指さしいれる
バス停の錆びた支柱にもたれつつ、でもそれだって、はじめてのキス
(そのときがきたらどんなふうに死にたい?)
遠く、銃声が聴こえた
空は暗すぎて月も星も見えない
はつ夏よ夢のすべてをかなえたらどんなふたりになるのだろうか
(堀田・野村選)
3、風をみだして
月冷た俯けばみな獲物なり
抱卵はしろびかりして両の手にこれは正夢になるはずの池
あらゆる種子の奥からひきずりだしたむらさきと、
きまぐれに第四関節をくぐらせた渓流の青を
盗むのはたやすいことだけれど
戻すことはどうしてもできなかった
よわい風がまぜた色彩の結晶
静寂をうばいにゆけば握力は花の終わりのかなしさだった
いきものの湯気はおだやか止まり木にいくつか飢えたような嘴
つやめいたものから玩具に変えてゆくおまえの指はおまえの顔で
葉脈のをはりに落とす龍の玉
裸木の胴のあたりを風湿る
欠くるときたまごうつくし冬の雷
にぎりあわせた鉤爪の、尖ったしろがねのなかに
脈打つ皮膚とつめたい瞳、ほそい光の膜がうるんでいて、
わたしはそれをころさなかった
わたしはそれに傷をつけなかった
わたしはすこしだけ啼いてねむった
月光にゆすがれながら瞳孔を置けば荒野はゆるぎない匣
北へひろがる氷の床を前脚でつつく
しゃら り り と さびしそうに中身をさらけだす
まっくらな碧の喉の奥をつらぬいて、
飲み下すときにちいさな稲妻の痕がつく
渇いていたのか 渇いていたのか
ゆきずりのいのちのことをおもうなら針ふる夜のその先端へ
氷柱もう遠景が近景のなか
まっしろな空が暮れてゆき
ばらばらに伸ばされた朱色の雲、
ときおり空気を裂いてゆく直線の風、
いくつもの獣が星座の上にめざめはじめて
交じり合わない咆哮を栞にして夜を閉じる
しゃら り 羽とふ羽へざらめ雪
朝焼けのとなりの薄い月をしるべにして
紺青の鎧のいのちは呼吸した
ときどきそれをながめて啼いてみると
射抜かれつづけるわたしの眼はふるえて
睫毛にうすく花びらが降りてくる
かれらは黒い土に接するとすぐに溶けてゆき
振り返るたび、わたしのながい尾はぬれていた
ひと晩の吐息を溜めて渓谷ははるか氷の奥へあかるむ
霧の丘にうまれたことを刻むのはどの声に、どの爪をにぎって
やがてわたしはわたしではないいのちを抱く
たまごの殻を拾い集めて、ふかい洞穴にしまっておく
触れた鼻先の鉄のようなかたさを
まばたきに起こすひとすじの雨を
地平線めいた眼底にゆらめく炎を
わたしに植えつけて、そして去る
渇いていた 渇いていたね おまえはもうぎんの池には帰らない龍
ひるがえす翼の裏のやわらかく孕めなかった季節の跡地
それぞれの背を包みこむ冬銀河 東へ西へ風をみだして
(野村選 中家・堀田選外佳作)
4,風船
二月、
池を見ればそこに何かがあるように集まっていく鴨、陽の当たる
公園で、休めるところを探した。
剥げている手すりに足をそのように乗せてベンチでコーヒーを飲む
コーヒーはマックで飲みたかったけどやめた 隣が煙草臭くて
座っていられなかった。お店を出て、線路沿いに公園を見つける。春を呼び込むようにがらんと空いた公園。いつもより音に敏感になる。
月曜は振り向かなくても踏切が鳴ったら後頭部をゆく電車
踏切はあまねく二月を切り分けて
ベンチに腰掛けて、思い起こすのは今日のこれまでのこと。
昼だから家主のいない家で焼く豚肉ちゃっかり洗濯もする
家主は働いていたから、朝ごはんを食べて送り出したら暇になった。
髪色でどっちかわかる(掃除機をかけたい人だったらどうしよう?)
家事を少しだけした。床の髪の毛の中に、金と緑のわたしの髪の毛がある。掃除機をかけるとその部屋の居心地がよくなった。本棚に歌集を見つける。読みながら洗濯が終わるのを待つ。
十四時に木陰になった 午後からの洗濯向きではないんだろうな
ゲームを攻略しているような気持ちで
四泊くらいできたらいいけど、冷蔵庫にはまだ手をつけないでいるけど
ベンチに座って公園を眺める。公園を訪れる人の多くは老人で、ときどき赤ちゃんを連れた人が散歩をしている。わたしのように、暇を持て余している若い人も二、三人いる。
何もないための時間があることをわたしは定職と引き換えに
したのだと思う。部屋を出るときに持ってきた
文芸誌に自分の名前が無いことのベンチにコーヒーが冷めていく
友人や知人の名前を本屋で見ることが増えてきた。コーヒーを飲み干してベンチを離れる。わたしは散歩をしながら、誰にでも等しく流れるという時間のことを考える。
持ってきた荷物が部屋に馴染むのと出ていくまでの時間と、それ以外
水面を離れるために羽ばたいてしばらく水と一緒に飛んだ
時間。
潜るとき首がにょいっと伸びて今ハサミがあったら切ると思った
水底に口先で触れるときひとり
迷子のような
風船が飛んでてほしい平日の空のどこにも雲がなかった
居場所のなさは
水紋が池に戻るまで眺めたらネットバンクで残高を見る
減っていくのはお金だけじゃないはずで
働いていない暮らしが当たり前になってきてからたくさん歩く
早上がりしてくれた家主と落ち合って、銭湯に行く。銭湯代を出してもらう。有休をとって温泉旅行しようという話が出る。「俺も仕事辞めたいよ」と言われる。「やりたいことがないことが苦しい」と言われる。わたしは書きなよと思う。「何してたの」と聞かれる。「公園行って、鴨を見てた」と言う。「そういうのが一番良いよ」とつぶやくのが聞こえる。「明日、朝何時に出ますか」と聞かれる。明日はもう泊まれないことがわかる。露天風呂で目を閉じる。
昨日、
髪染めてるんですねをいただいて見せたインナーカラーのグリーン
ときどき、
遠回りするとき春地蔵の笑み
今日、
笑うだけで持っていないとわかったらわたしを離れた鴨たくさんの
今日、
指先を冷やして打ったメールには 跳ねるように歩くわたしのいない街
目を開ける。湯気の中に、風船が見えた気がした。
(中家選)
5、水槽や庭に設けた池などでペットとして飼育される魚類
——Wikipedia日本語版「観賞魚」より 2024/03/31閲覧
いきものとわかいしたことはありますか めをみつめたことはありますか
教室でかってる魚の世話が週に一回あって、
わたしは魚を水槽からだす
魚はにげなかった
魚はわたしの手に全体重をあずけた
水槽からわたしは一匹魚をだして、
桶にいれた
水槽のおおきさは
見た目ではふつうだったけど
魚がたくさん入っていた
かぞえてないけど、たぶん30はこえていた
ここだけが世界で色のある場所だそして世界に黄緑はない
魚はびりびりのお財布ぐらいのおおきさで、
わたしが触れればしずかに動きをとめた
一匹いがいぜんぶを、わたしは水槽と壁の隙間に並べて置いていった
動きは止まったままだった
20匹あたりで昼休みがおわって、のこりをいそいでだした
続きはあとでやろうとおもった
手がちょっと湿ってた
ハンカチは水を拭くためにありいまはわたしのせいですこし湿った
五時間目は体育だった
もちろん着替え間に合ってないし、走った
ふと、魚は水がないと死んじゃうんじゃんっておもった
結構あせった
水面はこことあそこの境目で面に厚みはないものとした
もう一度チャイムを聞いた
教室に戻ったら魚が全部二枚貝になっていた
貝がとじていたからまだいきてるなっておもった
貝をつかんで、水槽に戻して、熱帯魚だらけの水槽が二枚貝だらけになるのを見た
美術の先生がゴジラを生徒に
見せているのを聞いた
とりかえしのつかないことはいつまでもどこまでもだれかのなかに棲む
一色になった世界もすてきだよすべてがわたしであるみたいだ
昆虫の基準のようにわたしではすべてをいきものの基準にする
せいめいの個数はいつも変わらないけれど沈黙の色は変わる
生と死を分けゆくときにひとびとはまばたきせずにどこを見るのか
(中家選)
●三詩型鼎立部門
1、短歌「リフレイン」俳句「鏡」自由詩「待つ」
短歌「リフレイン」
ひとすぢに時ながるるや錆あかくトタンの壁の波間をゆけり
思い出と呼ぶには、すこしだけ静かな記憶たち
少年の頬赤き日に見上げゐしはつか宇宙を透かしたる空
水面みな光の息づく肌にして指をさそひぬ 底なすひかりへ
蝉落ちぬ落ちしかたちに照らさるるが夜に還さざる影をのばしつ
泡立草へ足あと消えてあめあがりからりと口に硬しキャラメル
「虫は地球外からやってきた」という説を熱心に信じていた
闇ぬちに目つむる闇に鈴虫の星をかよへる声も聴きしか
つままれてゆびの腹なる翅しづか風のやはきにふるへゐる見ゆ
砂時計ひつくりかへしくりかへし過去は未来に未来は過去に
コンロにて灯す煙草火わが窓に沈ましむべき夕陽はあらで
象(かたち)とはなべてさびしさ ひとすぢの今をながるる砂の音はも
俳句「鏡」
砂日傘人ゐなければ影ひとつ
緑陰や風を梢と同じうす
靴ひもの解(と)けぬがにある星河かな
鏡みな厚し八月十五日
ひぐらしに吾(あ)を離(か)れゆける夢なりや
ひらきつつ菊よひかりの嵩ならむ
いづこへと果てなば彼の世水澄めり
深まさる青きビル街小鳥来よ
身に入むやリモコンの裏にも指紋
月面に月の光の届かざる
自由詩「待つ」
待つことは壁だ
よって本当の時代には存在しない
高さ三から四メートルほど
油染みのうっすら付いたセメントか何かであろう壁
ここは地図や暦に記されていないために
ただ壁のみがどこまでも
続いているのだという
いわば繰り返す夢の反証 与えられてしまえばそれは
意味のない賓辞
だから霧の深みを壁づたいに
ずっと歩いてゆくしかないのだ
そうすれば壁が見せる表情のゆたかさにも気づくだろう
そのあちこちには苔がいじらしくはりついていて
埃まじりの雨の匂いをうっとりと立ちのぼらせている
中は配管が通っているのかくぐもった水音がかすかに聞こえてくる
ところどころは痛ましく抉られており
その痕から紫や黄や水色の綿がさまざまに吹きだしていることから
どうやら壁は
呼吸さえしているらしい
ある日
壁にちいさな穴をあけ
向こう側を覗いた者がいた 彼はしかし
彼の言葉と一緒に死んでしまった
すると穴は広がり始めた
みるみるうちに広がっていき
やがて
穴は新しい壁になった
こうして壁は繰り返すのだ
つまり夢の反証
その予感を生き戻すいくつもの星と
はるか遠くから
火群をひらめかすようなハマナスの幻影
いつか時間も化石となって
朝のしずけさを降り積もるだろう
地表から乳汁がじりじりと浸みだして
霧の向こうにはじめての太陽を認めるのだ
生まれたての星を擦り合わせたような
ひどくなつかしい匂い
始まりも終わりもあるのかもしれない
けれどもそれは
意味を持ちえない賓辞なのだから
──ほんとうにずっと 歩いてゆくしかないのだろうか
壁の向こうには
こちらとまったく同じ足取りで
歩き続ける詩人がいる
(中家・堀田・野村選)
2、 短歌「空の模様」俳句「音」自由詩「殺風景」
短歌「空の模様」
夜ならば夜雨と言ってはぐらかす、その声、と指差されてしまう
渋滞のバスはじわじわ近づいてもうじき傘を畳みそうな目
切実になりたくて煮る春キャベツ、崩す、遠景のように菜箸で
君撫でる手つきひとえに昼の月あわく残っている冬の道
地図を見てなおもさまよう街のなか孤独とかいう突き当たり右
霧雨に緩く濡れつつ例えばと切り出すたびに散る白木蓮
冬晴れの疑う余地のなき青はどう描いても自画像だった
火とはただ軽率に火だ 核心に触れれば果てるもののありふれ
私は追う、通り雨さえ追ういつか造語の冴えていた夏の道
絡まったままに眠りぬあやとりのような対話に指は痺れて
俳句「音」
霜柱崩し寝息がまだ混じる
漬け菜食う唇という劈開面
山眠り電子ピアノをつけず弾く
不思議には満たざる春の七草や
花札の厚みにも濃き初日かな
キーホルダー二つ鳴り合い暮れ遅し
寒月の出でて醤油に浮く油
初蝶や冷たき影の横切れり
春の夢泡立つそぶりのみで終ふ
バスを待つ誰の地下にも水わさび
自由詩「殺風景」
希釈した夜を飲み干す
ふたたび手を洗い
砂を落としてゆく傍ら
魚の鰭のように裏返された
ポケットの影が濡れている
部屋に裸足で上がり込まれ
恣意的にほつれた表情が
件の、と喋り出す
懐柔へ
手から滴をぱっぱと飛ばす
反復する部活動の走り幅跳び。
着地に次ぐ着地、それで一生分の。
練習の前には水も撒き。
かつての、景色。
恐ろしいほど平叙するが
それすらも聴取とされる
参考までに。
何もかも鋭さだった、昔日の
画布を逃れた雀が囀り
収納の下手は取り出す時になって現れ
肌がまた砂をふく
そちらはそういう体だが
こちらはそういう体だ
生乾きの風見鶏が
今が向かう今以外から
逸らされてゆく
ほつれをつまみ
掲げた針の一本にさえ
相次ぐ光
即座にフードを被り直し
聞き取れない
あるいは何か
未明は靴を取りに戻って
それっきり
(中家・野村選 堀田選外佳作)
3、 短歌「NFT」俳句「ゴドーを待ちながら」自由詩「ゲノム」
短歌「NFT」
流れゆく[19-45]ナンバーが[19-44]秒読みのよう
ズル休みしている私∉きらきらと午後の光が照らす教室
虚数個のドーナツを買いイマジナリーフレンドと分け合った春の日
ヘンペルのカラスを見たね世の中の好きなものだけ部屋に集める
「この文は真ではない」あっ黒やぎさんが読まずに食べちゃうから有耶無耶に
色覚を調べる紙のようである夢で素数を口にしていた
ひまわりの(写真ではなく絵日記で)言葉未満の花の明るさ
ランダムに割り当てられる運命に羯帝羯帝鳴く素数ゼミ
3Dプリンターにて作られたキリスト像にキスする少女
ひらがなをさらにひらいたきみの名をヒエログリフの森へと逃す
俳句 ゴドーを待ちながら
一行に収まる生やつくしんぼ
春キャベツ君の方から切り出して
るりはこべウィリアム・モリスの午後
独裁者娼婦マルクスこどもの日
ミサイルは梅雨前線飛び越えて
非暴力・不服従雨の紅侘助
ニーチェ忌や眼鏡屋でゴドーを待ちながら
向日葵や0か1では寂しくて
白桃の産毛やジョニーは戦場へ
パンドラの箱のトークン冬じまい
自由詩「ゲノム」
病院の廊下を歩いている
歩いている歩いている歩いている
歩く歩く歩く進む進む進む
進行
停止
進行
停止
盲目的散乱
信仰
不誠実なエントロピー
信号
止まれ止まれ止まれ
林檎と夕焼けと琥珀と血とサルビアと鳥居と七面鳥とポストと鯉と金魚と鬼灯と月蝕と
決起蜂起奮起励起再起躍起隆起勃起
止まれ止まれ止まれ止まれ
止まらない
病院に入る人の数と
出ていく人の数が
必ずしも同一ではないこと
再び原発の事故が起きる確率と
あなたが生まれてくる確率
どちらが大きいか
無限回の試行ののちに生じる
光の写像
のようなもの
花だったかもしない
手に取れば分かることだった
所謂知識の話だ
理解ではない
遠い
ところで証明するまでもなく
病室は無限に存在して
無限の初音ミクが歌っている
部屋番号の
2の次は3で
3の次は5だ
57はあっただろうか
1729は?
8128は?
どうでもいい
世界は0と1だけ描写されて
無限に存在する病室も
いつかは埋まり
いつかは誰もいなくなる
初めから何もなかったように
「眠っているうちにたどり着きますよ」
そう言った男が胎児のホルマリン漬けの瓶の並んだ高さ五メートルほどのガラスの戸棚をひっくり返すとそこには地下へと大腸のような長い階段がありそれを降りてたどり着いた先は空木岳の避難小屋くらいの大きさの駐車場で(そういえば空木岳の避難小屋は幽霊が出ることで有名だが一度泊まった時は遭遇しなかったというよりも今まで幽霊を見たことは一度もない)そこに止まっていたのは黒のセダンのナンバーは「品川66 わ 46―49」でうわっレンタカーで自分の身体の中に行くのかっていうか霊柩車ってナンバーあったけな最近見ないけど死ぬ前に最後に乗るなら俺はフェラーリがいいなベタだけど夕日のように真っ赤なポルシェでもそういや霊柩車を見たら親指を隠さないと指の隙間から魂が入ってきてしまうという迷信があって迷信と言えば紫のかがみ――
眠る
眠る
眠る
下る
下る
下る
T G A T G A T G A T G
T G G T G G T G G T G G T G G T G G T G G T
A T G A T G A T G A T
墜る
墜る
墜る
警告
警告
警告
――それは、必ず起きる
(中家選 堀田・野村選外佳作)
4、 短歌「ベルリン」俳句 「Körper und Geist — ドイツの季語にて十句」自由詩「大きな火」
短歌 | ベルリン
二〇一三年 留学
Bahnhof Zoo
エーミール降り立ちし駅の雑踏に掏摸らしき人見つけて愉し
寒空の闇さ重さよ市民らいま顔はヘーゲル生活は熊
安いイタリア料理屋 Piccola Taormina
赤ワイン似合える老女マリア氏に毎夜習うは粗野なる方言
A–Z a–z ß
大型書店満たせるもののほぼすべて五三文字から成るこわさ
二〇一五年 就職
槌鎌を腕に彫りたる移民局局員われの所得審査す
ブレジネフとホーネッカーの接吻のようにしている或る晩の部屋
トラバント待ちし日のこと語りたる上司の湿れる眼のエメラルド
Oberbaumbrücke
グラフィティの壁の連なり見はるかす わが言語野よ、まだ頑張れよ
二〇二四年
John F. Kennedy
自由人ゆえ日本に帰らざる 否、帰るともわれアイン・ベルリナー
あの頃の老女マリア氏の定席に座りて独りプッタネスカを
俳句 | Körper und Geist — ドイツの季語にて十句
Todestag Cäsars・春・紀元前四四年三月一五日
Lamm・春・羊の出産期
卑罵語「シャイセ」 Brennnessel・夏・ハイキングで注意
Grillen・夏・公園でもベランダでも
Eisladen・夏・多くは当季のみ営業・ショーケースに二〇種ほど
Federweißer・秋・発酵途中の葡萄酒を飲む・羽根の白さの意
Drachen steigen lassen・秋・風の強い当季に盛ん
Igel・秋・冬眠の準備に勤しむ
eingemachtes Obst öffnen・冬・作るのが秋で開けるのが当季
Polarstern・冬・極北や長い夜のイメージから
自由詩 | 大きな火
大きな火
大河の岸に大きな火が燃えている
(炎ではなく火とよぶ 純粋なものであるから)
人間の背丈を十連ねた高さの火
これほどの火ともなれば
四方に広がるマッスも大きいが
わたしの立っているところからは
薄い膜のように見える
身体を縮ませたと思えば天に大きく伸びあがり
次の瞬間にはまた屈む
伸びをすれば膜の一部が剥がれて天へ立ち
ああ
飛び立った膜のかけらはもう
一瞬で全く
小さな粉になってしまった
小さな粉のほとんどはまもなく見えなくなるが
中には十メートルか二十メートルか五十メートルか
旅をするものもある
これら有機的な運動が繰り返されるのを飽きるまで見て
(わたしは現代人だから飽きてしまう)
おなじように(おそらく)飽きてきた恋人と
帰路に就いた
グーグル・マップが最短距離だと云う知らない一本径を行くと
やがて目の前に灯台があらわれた
人間の背丈を二十連ねた高さの灯台
そして
一条の光が
この地表と並行にまっすぐ伸びた
わたしたちの立っている方角へ
わたしたちが歩いてきた上を照らして
——大きな火はまだ燃えているだろうか
(堀田選 中家・野村選外佳作)
5、 短歌「風船」俳句「流星」自由詩「白虹」
短歌「風船」
握っても握り返さぬあたたかい左手欠けたうさぎの片耳
とりとめもない会話をみな継ぐばかり生命の緒の擦り切れ、てい
その痛みを僕は知らない僕は僕の引き攣れを正せぬまま踊る
風船は飛んでゆきたい僕たちはずっと引っ張り過去を語らう
肉声からまた肉声で伝えきた知らせ眠ったまま放たれた朝
風船の紐は解かれて鉤月が光り始める淡いゆうぐれ
メタバースの花火はずっと途切れない地震も病もない大沃野
とことこと歩むそばからぽこぽこと花を咲かせる仔を眺めてる
折り鶴を降らせて石の地下堂は光も螺旋をなぞり始める
弾きながら消える音色は桜より雪より淡くまばゆい白虹
俳句「流星」
積み切ったケルンの裏に骨を撒く
天上へ降りる矢印霧の海
八月の水平線に辿り着けない
戦争を知らない世代むつ跳んだ
三月の波間に浮かぶ運動靴
干柿が黴び始めたら引っ越そう
インバネスの裾も呑み込み灯らない
警報のかすかな真夜を梅ふふむ
独り占めできぬくちびる花篝
春の闇スターマリオが駆け抜ける
自由詩「白虹」
すん、と白い腕が突き出てくる
カーテンは朝のまばゆい闇を孕んで
たゆたゆと寄せては返し
波間からくい、と白い腕が手招きしてくる
影のない腕は、能弁だ
ボレロはいつも、鶴のすがたの指から始まる
上昇の螺旋は、深海魚の昏さが起点なのだと知る
たゆたゆとこぼれだす、あふれだす、
ゆるやかなうねりの腕は、
醒まさせ、
吸いよせて、
白い野原はいさなの腹のようにふくれあがり
悦びが、胸のいちばん深く硬い処を
ゆるがせて、えらがひらいてしまう
僕は思わず、胸に手を当てて礼を返す
むなうちが、ぬけおちる
せすじの寒さに、がばりと身を起こすと
白い指先がいま、波間にすいこまれてゆき
みえなく、なった
葉ずれが、わきかえる
さえずりが絶え間なくはじけ、とがり、
カーテンは部屋のうすくらがりを抱いて
ほんのわずか、身じろいだようだった
自然とさぐり始める目線を、剥ぎ取り、
上体を 銅像を無理やりねじり、
戻らない 心を抱いて
あきらめて 落として
ドアノブに 手をかける
また白波が、砂地を浚う
床が少し、くぼんだようだ
(野村選 中家・堀田選外佳作)