将門ブログ

このブログは、歴史上の人物『平将門』公を探求する、ポータルサイトです。

神川町(埼玉県)

2006年10月20日 | 縁地探訪’埼玉県)
先週の連休も出かけてきました。皆野町の浦山城址から早風峠、奈良尾峠を越えて神川町へと、将門伝説を訪ねて歩いてみました。神川町の城峰公園の冬桜は満開を迎えていました。

【浦山城址(せんげん山)】皆野町金沢浦山
秩父鉄道皆野駅前から皆野町営バス金沢行きで終点「更木」下車。浦山集落へと向かうと、右に天満宮があり「千本カツラ」が有名。浦山集落へ入ると、目の前に「浦山城址」が見えてきます。地元では、この山を「せんげん山」と呼んでいます。峠状の観光トイレのある「カタクリの里」の出口から入り、虎ロープを越えて尾根通しで浦山城址に着きます。この城は、将門が築いたといわれる岩間(城峰山)城の、出城(砦、物見)として利用されていたといわれています。
http://www.water.sannet.ne.jp/u-takuo/urayamazyou.htm
http://www.geocities.jp/tsukayan0112/joukan-saitama/urayama-jou-minanomati/urayama-jou-minanomati.html

ここから、舗装された林道を「早風峠」、「奈良尾峠」へと向かいます。今日はハイキングに最高の天気で、上州の山々の展望がいいです。さらに、奈良尾峠から神川町(旧神泉村)の矢納集落へと下っていきます。

【矢納の地】神川町矢納
「矢納」の名の由来は、将門が戦勝祈願のため矢を納めたからだといわれています。そして、この地にあった矢納堂は、現在、秩父市にある札所21番・観音寺(矢之堂)に遷されたといいます。

【鯉のぼり(五月幟)の伝説】神川町矢納
将門が城峰山に潜伏しているとき、麓の矢納の民家であげた鯉のぼりで将門の所在が敵に知れてしまい、将門は攻められて敗死。このため鯉のぼりを揚げると将門に祟られると、その村では現在でも鯉のぼりをあげないといわれています。また、この村で端午の節句に五月幟を立てたところ、城峰山の将門が見て秀郷軍の来襲と思い大いに狼狽したというので、以後、この地では五月幟を立てないとも伝えられています。

「城峰公園の冬桜」は満開で、多くの観光客が訪れていました。
http://sakula35.hp.infoseek.co.jp/html/meisho_saitama_joumine_kouen_1.htm

【城峰公園】神川町矢納
城峰公園の入り口に「城峰神社」があります。城峰山にある城峰神社とはまったく関係がなく、この神社の由緒書きには次のように書かれています。
《人皇第12代景行天皇の41年皇子日本武尊東夷御征討の御帰路この里に至り給い当山に霊祀を設け遥に大和畝傍山の皇宗神武天皇の御陵を拝し東夷平定の由を奉告し給い且つ躬ら矢を納めて大山祇の命を祭りて一山の守神と崇め給う是れ即ち当山の起源にして当村矢納の地名も此の古事に縁由せり、天慶3年平将門の弟将平矢納城を築きて謀叛せり時に藤原秀郷朝命奉じて討伐に向かい当山祭神に賊徒平定を祈願し乱治って後厚く祭祀を行い城峯の社号を附せり、天録2年本殿を建つ》

【柚木家】神川町矢納
この家は矢納村の名主で、代々矢納の城峰神社の神主を努めていたといわれ、将門の後裔だという。近頃この家では、将門の弟・将平の後裔と称しているという。

【古矢納城址】神川町矢納
城峰神社からさらに、北西に向かうと「冬桜の宿・神泉」があります。この前の道を下っていくと、旧下久保コテージがあります。このあたりが、「古矢納城址」だと思われます。樹齢200年の桜の古木があって、古矢納城址の桜といわれています。埼玉の城館跡によればこの場所が遺構だというのですが、見る限り少し上の展望台のあたりが砦跡かと思われます。
「冬桜の宿・神泉」
http://www.vill.kamiizumi.saitama.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&WIT_oid=icityv2::Contents::1227

冬桜の期間のバスは、城峰公園前から。神川町営バスは神泉総合支所で、本庄駅南口行きのバスに乗り継げます。
http://www.knet.ne.jp/~ats/c/ka/kaka.htm

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/取材:源六郎/平将門関連書籍将門奉賛会


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