学会員の主張
大聖人が一切衆生のために顕わされた御本尊を、宗門では学会員への御本尊下付の停止など、信徒を脅す「道具」として使うという大謗法を犯した。
法華講員の答え
一切衆生のために顕わされた御本尊は本門戒壇の大御本尊であり、これを相承された、御法主上人に御本尊授与の権能があることを知るべきです。
学会の主張は大きな誤りです。学会員の皆さん、下の文面をよくお読み下さい。
創価学会は破門以後、日蓮正宗から御本尊下付を受けられない事態を打開するため、同会は、独自に作成したニセ本尊を配布し始めました。
ニセ本尊配布に当たり創価学会は、
「『一閻浮提総与』との大御本尊の意義にふさわしく、広宣流布の和合僧団・創価学会が御本尊を護持し、流通していく『時』を迎えた」(聖教新聞平成五年九月二十日号)
と主張しています。この「総与」という言葉は、総本山第五十九世日亨上人が、
「近年荒木翁が戒壇本尊は未来の満天下の一切衆生に授與(与)せられたものであるから総與(与)の御本尊と云ふべきと主張した」(大日蓮・大正十二年一月号)
と示されるように、当時法華講総講頭であった荒木清勇氏が初めて使用した言葉です。つまり「一閻浮提総与」とは、全世界の人々に総じて与えられたという意味で、本門戒壇の大御本尊を装飾する語です。しかし、この言葉をもって、創価学会がいうような「創価学会が御本尊を護持し、流通していく」との意義付けの根拠にはならないのです。創価学会のニセ本尊の元となっている栃木県浄圓寺所蔵の第二十六世日寛上人ご書写の御本尊は、本證坊個人に下付された一機一縁の御本尊であり、
「一閻浮提総与」の大御本尊ではないのです。第六十五世日淳上人も、
「大聖人が一切衆生へ総与の御本尊は唯、二祖日興上人へ御相伝の戒壇の大御本尊に限るのであります」(日淳上人全集1022頁)
と、「一切衆生へ総与の御本尊」すなわち一閻浮提総与の大御本尊と尊称するのは「本門戒壇の大御本尊」のみであることを示されています。さらにその大御本尊は、大聖人・日興上人以来の唯授一人の血脈をもって歴代法主上人が相伝される御本尊なのです。したがって、この大御本尊のご内証を書写し御本尊を授与する大権は御法主上人のみにあることは、宗門七百年の厳然たる宗是です。
創価学会は「一閻浮提総与」の語を利用して、さも自分たちに本尊授与の資格があるかのように主張していますが、それは自分勝手なスリカエ論です。本門戒壇の大御本尊から離れた今日の学会のニセ本尊授与は、功徳など全くないどころか、罪を無間に開く大謗法の所行なのです。
【かつての学会指導】
日蓮正宗の信徒団体であった当時の創価学会は、「弘安二年十月十二日の大御本尊は―閻浮提総与の大御本尊であり、本門戒壇の大御本尊であります。特定の人に授けられた御本尊を―機一縁の御本尊と申し上げます(中略)私たちが家庭へ頂いて一家で信心している御本尊とは、その意義が異なるのであります」(大白蓮華71号)
と、一閻浮提総与の大御本尊、本門戒壇の大御本尊、―機一縁の御本尊の違いを明確に説明していました。
また、宗門から下付される御本尊についても、
「御本尊を御書写されるのは、御法主上人猊下御一人であらせられ、それがいま、皆さま方が信受したてまつる御本尊なのである」 (広布と人生を語る:第1巻185頁)
と指導し、本門戒壇の大御本尊のお写しとし下付される御本尊に関わる一切の権能についても、全て時の御法主上人が所持あそばされることを明らかにしていました。
【御本尊にかかわる権能について】
本門戒壇の大御本尊について日興上人は、
「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は日目に之を相伝す」(御書1883㌻)
とご教示されています。
すなわち、本門戒壇の大御本尊は、時の御法主上人の相伝によって受け継がれており、御本尊にかかわる一切の権能は、時の御法主上人御一人が御所持あそばされているのです。
これについては日亨上人も、
「本尊の事は斯くの如く一定して・授与する人は金口相承の法主に限り」(富士宗学要集:1巻112頁)
と御指南されております。
一閻浮提総与の御本尊とは、一切衆生が帰命すべき、信仰の根源たる大聖人のご当体である本門戒壇の大御本尊であり、全世界の人々を成仏せしめるために御図顕された御本尊であることは当然のことです。
しかし、-閻浮提総与という語義には、創価学会が主張するような、誰でも本尊を授与できるなどという意味は全<含まれていません。創価学会は、―閻浮提の人々すべてが帰依するために顕されたという意味の「総与」という言葉を、「本尊授与の権限は我々にもある」という意味にすり替え、誠に狡猾な手段を使って会員を欺いているのです。
また、創価学会は、「御本尊を信徒脅迫に使った」(教宣ハンドブック36頁取意)
などと言っていますが、日蓮正宗と無関係の団体に対しご本尊を下付しないのは当然のことであり、全くの言いがかりにすぎません。
戸田城聖氏はかつて、
「なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない」(戸田城聖全集3巻490頁)
と指導していました。
また、第六十五世日淳上人は、
「大聖人を信仰し奉る者は皆此の一切衆生総与の御本尊に帰依し奉って真に仏の御化導に浴することができるのであります。
大聖人は此の一切衆生総与の御本尊即ち戒壇の御本尊を弘安二年十月に建立遊ばされたのであります」(日淳上人全集1019頁)
と御指南されています。
創価学会員の皆さん、一日も早<、総本山大石寺におわします本門戒壇の大御本尊を根本とする正しい信仰に立ち返り、真の幸せを築かれますよう、心から願っています。