日蓮正宗 法華講 正林寺支部

折伏の心得 『而強毒之(而して強いて之を毒す)』
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⑲正本堂解体

2009-03-19 | 異流義創価学会破折文書

学会員の主張

正本堂をなぜ破壊したのか、大勢の学会員が供養した心情を踏みにじるもので許せない。 新教宣ハンドブック


法華講員の答え

正本堂が解体されるに至った原因は、その存在意義を失わせた創価学会の謗法にあります。
感情的なことを言う前に創価学会の謗法行為を直視してください。

学会の主張は大きな誤りです。
学会員さん、下の文面をよくお読み下さい。

 広宣流布の暁に大石寺が本門寺と改称され、本門戒壇の大御本尊が御安置される戒壇、すなわち「本門寺の戒壇」となることを期待して正本堂は建立されました。
 しかし、創価学会は、今回の問題が起こると、本門戒壇の大御本尊まします日蓮正宗総本山大石寺を魔の山と誹謗し、登山や御開扉の不要論という邪義をはじめ、教義の改変など、数々の謗法行為に及び、御法主上人ならびに日蓮正宗に対し悪口中傷を続けました。 結果として、正本堂建立の発願主であった池田大作は信徒除名となり、並びに創価学会は破門されましたが、これに対し、創価学会は、「魂の独立」と自ら叫び宗門からの独立を宣言しました。
 総本山大石寺を否定し、自ら独立を宣言した以上、大聖人の御遺命である「本門寺の戒壇」建立を目的とした広宣流布に携わる資格を永遠に失ったことは言うまでもありません。
 それのみならず、御本仏日蓮大聖人の法統を唯一受け継ぐ日蓮正宗に敵対することは広宣流布の途上における障害以外の何物でもありません。
 したがって、発願主・池田大作、並びに、創価学会の外護による「本門寺の戒壇」建立の可能性は消滅し、これらの者が中心となって建立した正本堂に本門戒壇の大御本尊を御安置申し上げる理由はどこにもなく、正本堂の存在意義が失われる要因となりました。
 よって、正本堂から本門戒壇の大御本尊を御遷座申し上げ、存続の理由が消滅した正本堂を解体したのです。
 創価学会員はこの現実と道理を直視しなければなりません。

創価学会の邪説

 創価学会は、「本門の戒壇を解体」【教宣ハンドブック参照】「宗旨の根幹である三大秘法の―つを自ら破壊」【創価新報2009年2月4日付】などと言い、あたかも正本堂という建物自体を「戒壇」であるとしていますが、これは明らかな間違いです。
 第66世日達上人が、
「戒壇の御本尊在(まし)ます処は、すなわち事の戒壇である。(中略)それが御宝蔵であっても、奉安殿であっても、正本堂であっても、あるいはもっと立派なものができるかもしれない、できたとしても、この御本尊まします処は事の戒壇である。」(昭和45年5月30日)
と御指南されているように、本門戒壇の大御本尊様ましますところが、事の戒壇であり三大秘法の根源です。
 創価学会は「戒壇」と「建物」をあえて混同させ、それを破壊・解体したと主張し、宗門攻撃のために正本堂をいまだに利用しているのです。

学会の自語相異

 創価学会は、日達上人がなされた正本堂の定義に日蓮正宗は反している、と主張していますが、創価学会のご都合主義にはあきれます。
 創価学会は、御法主上人が相伝される唯授一人の血脈を否定し、「大聖人直結」の団体と言いながら、日達上人の御指南を持ち出してくるのは自語相異としか言いようがありません。
 そもそも、正本堂が御遺命の戒壇となる願いをもって建立されたことは、大御本尊の御安置は蔵の形式をもってなされたこと、大石寺が本門寺と改称されていないことからも明らかであり、本門寺の戒壇建立が未来に属していたことは疑いの無い事実です。日達上人の、
「正本堂は(中略)現時における事の戒壇なり」(昭和47年4月28日・訓諭)
の訓諭にしても、先に挙げた日達上人の御指南を拝せば、本門戒壇の大御本尊まします所が事の戒壇であると述べられるのは当然のことです。
 一方、創価学会が起こした教義逸脱を始めとする52年路線の際、日達上人は、
「それは正本堂を造ってもらって有り難い。正本堂は、その時の日蓮正宗の信心をする人の集まりによってできた建物である。だから、もし学会が来なくて、こちらの生活が立たないというならば、御本尊は御宝蔵へおしまいして、御開帳願う人があったら御開扉しようと覚悟を決めたわけです」(昭和49年7月27日)
と述べられています。日達上人の御指南に従えば正本堂よりの大御本尊御遷座は当然のことと言えます。

正本堂と末寺の存在意義

 正本堂は御遺命の戒壇となる願望を込めて建立された建物であり、戒壇堂としての意義をもっていましたが、末寺は信徒の道場として建立されたのであり、建立の意義には明確な違いがあります。
 また、正本堂は、学会の謗法によって存在意義が失われましたが、学会の謗法によって末寺寺院の存在意義が失われるということはありません。
 さらに、末寺は創価学会を始めとする謗法の人々を救うための折伏の道場として存在しています。つまり、末寺の存在意義の一つには、現在の創価学会員を救うためにもあると言えるのです。
 創価学会は、正本堂と末寺の存在意義の違いをあえて混同させ、「僧侶は学会寄進の寺院から出て行け」などと言い一般会員を感情的に扇動しているのです。

 創価学会員が、正本堂建立に対する赤誠の御供養の功徳を無にしないためには本門戒壇の大御本尊を根本とした正しい大聖人の信仰に戻るしかないのです。


正本堂の御指南に対する創価学会の『再お伺い書』の問難を破す


根拠なき脅迫文書「寺院退去要求書」の誑惑を破す

 

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