璋子の日記

Beside you

薬と自制と自嘲

2006年09月12日 21時09分28秒 | 闘病記録、お役立ち日記

過日読みかけのまま放置していた本を読んでしまったとき、読了後に目が開けていられないくらい痛み、翌朝の目の様子もあまり良くなかった。
やっぱり当分読書は控えなければ・・・と思いつつ、
調子が良いので読書に踏み切った昨夜の読書はその倍のページ数ながら、
いまのところそういったこともない。
時間を忘れずに目薬を点眼し、ルティンを倍量飲んだことも幸いしたのかもしれない。痛みや異物感はないけれど、どういうわけか≪涙目≫状態になっている。
やはり、負荷がかかったのかも。

お薬で状態を維持できていると考えれば、
やはり、自制は必要だと改めて思う。

だめなわたくし・・・・

書道を習いに来ている子供から、昨日NYのお土産として頂いたチョコレート。
今夕は、当地で「変わりごはん」と称されている五目御飯をお裾分けに頂戴した。
なんだか、頂き物ばかりしている気がする・・・・

こうして頂いたものは皆子供たちに還元するけれど、
そうすると、また頂戴してしまう・・・・。
う~ん

下さる方は毎回異なれど、頂く側が同じだから
毎回頂戴していることになり恐縮してしまうことになる。
こういうときでも、
「相手変われど主変わらず」というのだろうか。
恋愛過多の方たちの「相手変われど主変わらず」というケースとは、
エライ違いだという気もする・・・・・

こんなことをイメージするなんて、
人恋しい季節になってきたのかしら。
こちらも、読書同様に自制?

自制を強いられて自制するのと、
自制することを選び取って自制するのとは違う、
と思い思われがちだけれど、内実は同じだ。
欲望にとって結果はどちらも変わらない。
それが欲望じゃないものに連なるとき、そのとき初めて違ったものになる(かもしれない)。確率は低いけれど。

── どうして浮かんでくるのだろう、
「狭き門より入れ」という言葉・・・・

滅びに通じる門は広く、その道は広いそうだけれども・・・・、
時々、だからなんだと言いたくなることもある。
あんまり広いと痩せた人間は通るとき心もとなく、
狭すぎたら太った人間は通れなくなる。
これって、差別かも・・・・と揶揄してみたくなる。

自制が自嘲を生む由縁だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 



 


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