この日は雨の中、品川区の大井を散歩した。JR大森駅から大井町駅まで歩くつもりだったが、雨で体がすっかり冷え疲れてしまったので道半ばで引き返した。
■大森駅~大田区内

大森駅のホームにある「日本考古学発祥の地」の碑。アメリカの動物学者E.S.モースが明治10年(1877)横浜から新橋へ向かう汽車の窓から大森貝塚を発見、日本考古学史上初めての科学的調査を行ったことを記念する。土器は大森貝塚から出土されたものを約2倍に拡大したもの、とのこと。

昭和5年(1930)に建てられた大田区山王にある「我国最初之発見 大森貝虚」の碑。大森貝塚は国の史跡で、大田区と品川区の両区にまたがっている。大森貝塚碑は2つあり、もう一つが現在の品川区立大森貝塚遺跡庭園内にある昭和4年(1929)に建てられたのもの。モースによる発掘場所をめぐり大田区と品川区で巡り論争になったが、後に見つかった東京府の記録によりモースの発掘場所が品川区の石碑の付近の場所だったことが分かった。

「大森貝虚」の碑の入り口の床にあるタイル。
■大森貝塚遺跡庭園
品川区大井にある区立公園。園内は縄文をイメージしたユニークなデザインで、大森貝塚碑もここにある。寒さで頭が回らなかったのか肝心の大森貝塚碑の写真を取り忘れてしまい、夕方思い出し急いで庭園に戻ったところすでに閉園していた(涙)。次回の大井散歩のときに撮影しようと思う。

門の上にあった釣手形土器のレプリカ。

園内。

縄文の広場。

広場にある水のみ場。白い石が敷き詰められた壁は貝層をイメージしたもの。

トイレの建物も縄文。

モースの像。

モースの出身地、アメリカ・ポートランド市との姉妹都市提携の記念碑。

貝層の標本。大森貝塚からアサリ、ハマグリなどの貝の他、サバやスズキ、ウミガメ等の海の生物の骨やニホンジカ、イノシシ、カモ等の陸の生物の骨や埋葬されたイヌ等が発掘された。

標本前に設置された説明板。板に付いている貝は大森貝塚から発掘されたもので手で触れられる。

大森貝塚についての説明板。このほか縄文時代についての説明板がいくつかあった。
■大森貝塚遺跡庭園周辺

JR線路下の桐畑地下道の壁に設置されている大森貝塚復元模型。昭和59年の発掘調査で出土した実際の貝殻を使い、貝塚の断面を再現。

地下道に進む通路の壁のタイル。通路の壁にはこのタイルのような大森貝塚の豆知識が描かれたタイルや、縄文人の生活の様子が書かれた大きなタイルが複数設置されている。

桐畑地下道の入り口付近にあったイスラム風の建物。説明によると、この塔は「空気抜き塔」といい、台風や大雨の時に下水道管の中を流れる勢いよく流れる雨水に押されて逃げ場のなくなった空気の圧力を逃がす施設、とのこと。
(続き)
■大森駅~大田区内

大森駅のホームにある「日本考古学発祥の地」の碑。アメリカの動物学者E.S.モースが明治10年(1877)横浜から新橋へ向かう汽車の窓から大森貝塚を発見、日本考古学史上初めての科学的調査を行ったことを記念する。土器は大森貝塚から出土されたものを約2倍に拡大したもの、とのこと。

昭和5年(1930)に建てられた大田区山王にある「我国最初之発見 大森貝虚」の碑。大森貝塚は国の史跡で、大田区と品川区の両区にまたがっている。大森貝塚碑は2つあり、もう一つが現在の品川区立大森貝塚遺跡庭園内にある昭和4年(1929)に建てられたのもの。モースによる発掘場所をめぐり大田区と品川区で巡り論争になったが、後に見つかった東京府の記録によりモースの発掘場所が品川区の石碑の付近の場所だったことが分かった。

「大森貝虚」の碑の入り口の床にあるタイル。
■大森貝塚遺跡庭園
品川区大井にある区立公園。園内は縄文をイメージしたユニークなデザインで、大森貝塚碑もここにある。寒さで頭が回らなかったのか肝心の大森貝塚碑の写真を取り忘れてしまい、夕方思い出し急いで庭園に戻ったところすでに閉園していた(涙)。次回の大井散歩のときに撮影しようと思う。

門の上にあった釣手形土器のレプリカ。

園内。

縄文の広場。

広場にある水のみ場。白い石が敷き詰められた壁は貝層をイメージしたもの。

トイレの建物も縄文。

モースの像。

モースの出身地、アメリカ・ポートランド市との姉妹都市提携の記念碑。

貝層の標本。大森貝塚からアサリ、ハマグリなどの貝の他、サバやスズキ、ウミガメ等の海の生物の骨やニホンジカ、イノシシ、カモ等の陸の生物の骨や埋葬されたイヌ等が発掘された。

標本前に設置された説明板。板に付いている貝は大森貝塚から発掘されたもので手で触れられる。

大森貝塚についての説明板。このほか縄文時代についての説明板がいくつかあった。
■大森貝塚遺跡庭園周辺

JR線路下の桐畑地下道の壁に設置されている大森貝塚復元模型。昭和59年の発掘調査で出土した実際の貝殻を使い、貝塚の断面を再現。

地下道に進む通路の壁のタイル。通路の壁にはこのタイルのような大森貝塚の豆知識が描かれたタイルや、縄文人の生活の様子が書かれた大きなタイルが複数設置されている。

桐畑地下道の入り口付近にあったイスラム風の建物。説明によると、この塔は「空気抜き塔」といい、台風や大雨の時に下水道管の中を流れる勢いよく流れる雨水に押されて逃げ場のなくなった空気の圧力を逃がす施設、とのこと。
(続き)