あけましておめでとうございます。今年も楽しく散歩できますように。あと休み休みでもなんとかブログを続けられますように。
さて、今年の初散歩は新春にふさわしく七福神巡りをした。コースは東海七福神で、寺社は旧東海道周辺に点在している。東海七福神は、昭和7年に品川町・大崎町・大井町・荏原町の東京市編入を記念して制定されたもので、意外に新しい。
■品川神社(大黒天)
七福神巡りは北品川の総鎮守、品川神社からスタート。品川神社は文治三年(1187)に、源頼朝が海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎大明神を勧請したのが始まりとされている。
空いているだろうと高をくくっていたら、大鳥居の前ですでに参拝者が列をなし、境内は長蛇の列。大鳥居をくぐってから参拝まで45分ちかくもかかってしまった。

大鳥居。左右の石柱には見事な龍の彫刻が施されている。製作は江戸末期で、大正14年(1925)に終夜営業で繁盛した北品川の料亭「三徳家」の主人が奉納。

龍の彫刻(写真をクリックすると大きな写真を表示)。

はちきれんばかりの笑顔の大黒天。

拝殿に向かって長蛇の列。

拝殿。

富士塚。元の富士塚は明治2年(1869)に造られたが、神仏分離政策で破壊され、明治5年に再築、大正11年(1922)に第一京浜国道建設のため現在地に移築。現在でも毎年7月1日の富士山開きの日にここでも山開きの行事が行われる。

富士塚のそばにあった「ぶじかえる」。交通安全にご利益があるらしい。

社殿の裏手(実は神社の社域外)にある板垣退助の墓。板垣退助は自由民権運動で名高い幕末~明治時代の政治家。

故佐藤栄作首相の筆による「板垣死すとも自由は死せず」の碑。この有名な言葉は、明治15年(1882)に岐阜遊説中に暴漢に襲われた際に発された。
■養願寺(布袋)

養願寺に行く途中に出会った看板建築。

養願寺。天台宗の寺院で、正安元年(1299)の開創と伝えられる。虚空蔵堂があり、「品川の虚空蔵さま」として親しまれる。
■一心寺(寿老人)

安政2年(1855)創建。成田不動が祀られ「品川の不動さま」として知られる。

■旧東海道

旧東海道沿いのお店のシャッター。描かれているのは、歌川広重「東海道五十三次」の「日坂」で、歌枕の小夜の中山峠と夜鳴石が描かれている。日坂は現在の静岡県掛川市。

聖蹟公園入り口の松。49番目の宿である土山宿のあった滋賀県土山町から送られたもの。これ以外にも、宿のあった市町村から送られた松が旧東海道沿いに植えられている。

聖蹟公園。品川宿の本陣(大名や公家等の宿泊・休憩所)があった場所で現在は公園。明治元年(1868)に明治天皇の行幸の際に行在所となったことにちなみ、聖蹟公園と命名された。

「御聖蹟」の碑。本陣跡が昭和13年(1938)に東京市の公園になったのを機に設置。

聖蹟公園の説明書きのタイル。薄茶色の部分は本陣の推定図、クリーム色の部分は聖蹟公園の敷地。

品川橋。北品川宿と南品川宿の境を流れる目黒川にかかる。
(続く)
さて、今年の初散歩は新春にふさわしく七福神巡りをした。コースは東海七福神で、寺社は旧東海道周辺に点在している。東海七福神は、昭和7年に品川町・大崎町・大井町・荏原町の東京市編入を記念して制定されたもので、意外に新しい。
■品川神社(大黒天)
七福神巡りは北品川の総鎮守、品川神社からスタート。品川神社は文治三年(1187)に、源頼朝が海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎大明神を勧請したのが始まりとされている。
空いているだろうと高をくくっていたら、大鳥居の前ですでに参拝者が列をなし、境内は長蛇の列。大鳥居をくぐってから参拝まで45分ちかくもかかってしまった。

大鳥居。左右の石柱には見事な龍の彫刻が施されている。製作は江戸末期で、大正14年(1925)に終夜営業で繁盛した北品川の料亭「三徳家」の主人が奉納。

龍の彫刻(写真をクリックすると大きな写真を表示)。

はちきれんばかりの笑顔の大黒天。

拝殿に向かって長蛇の列。

拝殿。

富士塚。元の富士塚は明治2年(1869)に造られたが、神仏分離政策で破壊され、明治5年に再築、大正11年(1922)に第一京浜国道建設のため現在地に移築。現在でも毎年7月1日の富士山開きの日にここでも山開きの行事が行われる。

富士塚のそばにあった「ぶじかえる」。交通安全にご利益があるらしい。

社殿の裏手(実は神社の社域外)にある板垣退助の墓。板垣退助は自由民権運動で名高い幕末~明治時代の政治家。

故佐藤栄作首相の筆による「板垣死すとも自由は死せず」の碑。この有名な言葉は、明治15年(1882)に岐阜遊説中に暴漢に襲われた際に発された。
■養願寺(布袋)

養願寺に行く途中に出会った看板建築。

養願寺。天台宗の寺院で、正安元年(1299)の開創と伝えられる。虚空蔵堂があり、「品川の虚空蔵さま」として親しまれる。
■一心寺(寿老人)

安政2年(1855)創建。成田不動が祀られ「品川の不動さま」として知られる。

■旧東海道

旧東海道沿いのお店のシャッター。描かれているのは、歌川広重「東海道五十三次」の「日坂」で、歌枕の小夜の中山峠と夜鳴石が描かれている。日坂は現在の静岡県掛川市。

聖蹟公園入り口の松。49番目の宿である土山宿のあった滋賀県土山町から送られたもの。これ以外にも、宿のあった市町村から送られた松が旧東海道沿いに植えられている。

聖蹟公園。品川宿の本陣(大名や公家等の宿泊・休憩所)があった場所で現在は公園。明治元年(1868)に明治天皇の行幸の際に行在所となったことにちなみ、聖蹟公園と命名された。

「御聖蹟」の碑。本陣跡が昭和13年(1938)に東京市の公園になったのを機に設置。

聖蹟公園の説明書きのタイル。薄茶色の部分は本陣の推定図、クリーム色の部分は聖蹟公園の敷地。

品川橋。北品川宿と南品川宿の境を流れる目黒川にかかる。
(続く)