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生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2009年12月31日 洗足池散歩

2009年12月31日 | 都内散歩
2009年の散歩納めは洗足池周辺の散歩。外出した帰りがけの散歩だったので歩く距離は短かった。
今年を振り返ると、9月から長らくやめていた散歩を復活させた。ミクシィで散歩コミュを立ち上げ、11月に初イベントを主催、なんとか今年中に4回のイベント開催にこぎつけた。来年も継続的にイベントを開催していきたい。


■庚申塔
元は延宝6年(1678年)に建てられ、文化11年(1814年)再建。中原街道から九品仏(世田谷区奥沢の浄真寺)に至る道の分岐点に、道しるべを兼ねて建てられた。




■洗足池
約40,000平米の池で、池の名は日蓮宗の開祖、日蓮が池上に向かう途中に足を洗ったことから由来する。江戸時代には景勝地として知られ、歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれた。池の周囲や池の西北の丘「桜山」には桜が植えられ春には桜を満喫できる。池畔には池月橋、水生植物園、勝海舟夫妻の墓、西郷隆盛留魂詩碑、徳富蘇峰詩碑などがある(徳富蘇峰詩碑が見つからず)。




池内に立てられた全ての杭の上にユリカモメがとまっていた。


中原街道改修碑。中原街道の沼部、石川、千束付近は、急坂が多く物資の輸送や交通の難所だった。この石碑は、大正6~12年(1917~1923)にかけて改修工事が行われたことを伝える。


弁天池と池月橋。橋の名は後の説明に出てくる名馬「池月」に由来。


池月像。


弁天堂。かつて池の北側の小島にあり水没した弁天堂を昭和9年に有志が現在地に再建。


水生植物園。残念ながら水生植物は全て枯れていた。


西郷隆盛留魂碑。明治12年(1879年)、戦死した西郷隆盛を悼み、勝海舟が私費で建てた碑。葛飾区の薬妙寺にあったが大正2年(1913年)に現在地に移設された。


勝海舟夫妻の墓。勝海舟は、官軍のおかれた池上本門寺に赴く途中洗足池畔で休憩を取った際、洗足池の風景が大変気に入り、ここに別荘を構えた。後に海舟の遺言で屋敷裏の台地に葬られたと伝えられる。妻の民子の墓は、後に青山墓地から移設された。


■千束八幡神社
平安時代前期の貞観2年(860)に宇佐八幡神社を勧請し、千束の総鎮守として創建。源頼朝が鎌倉に向かう折に、この地で「池月」という名馬を得たのを大変喜び、征平の旗幟を揚げたという言い伝えから「旗立て八幡」とも称された。




池月の絵馬。寿永3年(1184)に木曾義仲と源義経が宇治川で相対した際に、義経方の佐々木高綱と梶原景季が頼朝から与えられた名馬「池月」「磨墨」にまたがり先陣を争った故事で知られる。


■鳳凰閣(旧清明文庫)
国登録文化財。昭和8年(1933)清明会が文庫兼講堂として建てたもので、正面玄関から立ち上がる4本のネオゴシックスタイルの柱型やアール・デコ調の建具などが特徴的。


■洗足軒跡
勝海舟の別荘「洗足軒」は現在の大田区立大森台六中学校あたりにあった。中学校の前には説明版が設置されている。




■妙福寺
洗足池のほとりにある日蓮宗の寺院。




門をくぐると竹林がある。


袈裟懸けの松。日蓮が洗足池で足を洗う際に、袈裟を懸けたとの言い伝えがある。現在の松は三代目と言われる。


祖師堂。天保4年(1833)建立。国登録文化財。


祖師堂には袈裟懸けの松を表した彫刻があった。


馬頭観音供養塔。天保11年(1840)に、飼い馬の健康と死後のめい福、交通安全を祈って、地元の馬医師や馬の持ち主らにより建立。もとは中原街道と現在の目黒区碑文谷から池上に至る道との交差する所に、道しるべを兼ねて建てられていたと考えられている。

2009年12月27日 目白台・大塚散歩イベント主催(その3)

2009年12月29日 | 都内散歩イベント主催
(その2はこちら

(写真をクリックすると拡大画像を別ウインドウに表示。写真のほとんどは下見時に撮影)

■護国寺
真言宗豊山派 大本山。天和元年(1681)、5代将軍綱吉が生母桂昌院の願いにより創建した祈願寺であったが、後に将軍家の祈願寺となる。


仁王門。正確な年代はわからないが江戸時代のもの。


不老門。昭和13年(1938)建造。天狗や牛若丸で有名な京都の鞍馬寺の山門を模しもの。


大師堂。元禄14年(1701)に再建された旧薬師堂を、大正15年(1926)の火災以降に現在地に移築して大師堂としたものと考えられる。


宝塔。昭和13年(1938)建立。滋賀県の石山寺の多宝塔(1197)を模範にしたもの。


月光殿。国の重要文化財。桃山時代建立で、大津の三井寺の塔頭の日光院の客殿を昭和3年(1928)に移築。


薬師堂。元禄4年(1691)建立。当初は一切経堂として使用されたが、大師堂が焼けて旧薬師堂を移して大師堂にしたため、移築して薬師堂とした。


観音堂(本堂)。国の重要文化財。元禄10年(1697)に建立。如意輪観音を本尊として祀る。


鐘楼。江戸時代中期の建立。梵鐘は天和2年(1682)に寄進されたもの。


富士塚。富士塚は江戸時代から昭和初期にかけて富士講の信者が、神社などに作った富士山のミニチュア。富士山を登るのは費用的にも体力的にも困難だったため、代わりに富士塚に登れば富士山に登ったのと同じご利益があるとされた。
富士塚は現在も都内に数十箇所残るが、移築されたり、再築されたりしていて、元の姿をとどめているものはほとんどない。


■占春園
水戸藩の分家であった陸奥国守山藩の上屋敷の庭園跡。江戸時代には江戸3名園のひとつで、ホトトギスの名所として知られていた。現在は筑波大学附属小学校の自然観察の場となっているが一般にも開放。残念ながら名園だった面影は残っていない。。




■縛られ地蔵(林泉寺)
慶長 7年(1602)、伊藤半兵衛長光を開基として創建の曹洞宗の寺。「縛られ地蔵」は、願かけのとき地蔵尊に縄をかけ、願いがかなうと縄をほどくというもので、よく願いがかなうことで江戸時代から庶民の信仰を集めた。
毎週座禅会をやっていて外国人も多数参加する寺としても知られる。


下見のときの縛られ地蔵。縄でぐるぐる巻きにされて息苦しそう・・・


当日の縛られ地蔵。縄は申し訳程度しか残っていなかった・・・


■おまけ
私の好きな落語家の五代目古今亭志ん生の墓。志ん生は、天衣無縫・自由奔放な芸風の昭和落語界の名人で、没後35年以上経った今なお高く評価されている。
墓は江戸川橋駅近くにある還国寺にある。志ん生とともに、やはり落語家であった長男の十代目金原亭馬生と次男の三代目古今亭志ん朝も眠る。


志ん生の墓。墓石には本名の「美濃部家之墓」と刻まれているので志ん生の本名が分からないと見つけにくい。


墓誌には志ん生、馬生、志ん朝の名が刻まれている。


■今日のにゃんこ


関口芭蕉庵のそばの駐車場にいた猫。下見のときに撮影。


護国寺の猫。下見のときに撮影。


上の猫が当日護国寺にいた。六地蔵の前で瞑想中?


護国寺の大師堂の階段にいた2匹の猫。寄り添いあって仲がよい。下見のときに撮影。


当日全く同じ場所に上の2匹がいた。相変わらず仲よし。一体2人、じゃなかった2匹の関係は・・・?


2009年12月27日 目白台・大塚散歩イベント主催(その2)

2009年12月29日 | 都内散歩イベント主催
(その1はこちら

(写真をクリックすると拡大画像を別ウインドウに表示。写真のほとんどは下見時に撮影)

■東京カテドラル 聖マリア大聖堂
カテドラルとは、カトリックの教区(教会の行政、司牧のための地域的区分)の長である大司教がいる教会。ドイツ・ケルン市の信者たちの寄進をもとに、昭和39年(1964)に建造。
設計は、東京都庁やお台場のフジテレビ本社ビルを設計した丹下健三。ステンレス・スチール張りの外装で、内部には1本の柱もないというユニークで40年以上前の建物と感じさせないモダンな造り。


大聖堂。堂内では撮影禁止。大聖堂のホームページに堂内の写真が掲載されているので興味のある方はどうぞ。


鐘塔。高さ約61メートル。


ルルドの洞窟。今から約100年前、フランスのルルドという片田舎の洞窟に聖母マリアがあらわれるという奇跡があった。この洞窟は明治44年(1911)にフランス人宣教師ドマンジエル神父によって建てられた。


■講談社野間記念館
大手出版社の講談社初代社長、野間清治氏が収集した「野間コレクション」と称される美術品や講談社の出版事業にかかわる出版文化遺産を展示。建物は旧社長宅を改装したもの。




■永青文庫
昭和25年にできた財団法人で、細川家伝来の刀剣や美術工芸品などの文化財と16代当主護立(もりたつ)氏のコレクションを約4,500点収蔵し、展示する。江戸時代には熊本藩主、細川家の下屋敷があった。




■関口芭蕉庵
江戸時代の代表的俳人・松尾芭蕉は、2度目の江戸入りの後、延宝 5年(1677)からの3年間、神田上水の改修工事に携わった。この地の「水番屋」に住んだと伝えられ、後に芭蕉を慕う人々により「龍隠庵」という家が建てられ、関口芭蕉庵の元となった。その後焼失し、現在のものは第二次世界大戦後の建築。


関口芭蕉庵の前の胸突坂。急勾配な坂で、胸を突くような格好で上らなければならないことから名づけられたとのこと。当日はこの坂を下った。






芭蕉堂。享保11年(1726)に芭蕉の33回忌にあたり建てられたお堂で、芭蕉の木像を安置。


「古池や 蛙飛び込む 水の音」の句碑。


俳号の由来となった芭蕉の木。


■新江戸川公園
起伏の変化を利用し、自然景観を重視した回遊式泉水庭園。江戸時代末期は隣接する永青文庫と同様に熊本藩主細川家の下屋敷だった。明治15年(1882)に細川家の本邸となり、昭和34年(1959)に東京都が買い取り、後に文京区に移管。












■日本女子大学
明治34年(1901)に教育者の成瀬仁蔵により開校。




講堂。明治39年(1906)に立てられた洋風建築。大正12年(1923)の関東大震災で大きな被害を受けたが、翌年、内部の造作を残して再建。堂の中央にある「成瀬仁蔵胸像」は詩人・彫刻家であった高村光太郎作。


成瀬記念館。成瀬の生涯を紹介し、ゆかりの品を展示。


樟渓館。大正15年(1926)に、総合大学の予科であった高等学部の教室として建設。現在も教室として使用。


成瀬記念館分館。明治34年(1901)の本学開校時に建てられた教師館のうちの1棟で、成瀬が没するまで住んだ校長宅。


2009年12月27日 目白台・大塚散歩イベント主催(その1)

2009年12月28日 | 都内散歩イベント主催
年の瀬であわただしい中、今年最後の散歩イベントを主催した。参加人数は管理人を含め9名で(参加された皆様、ありがとうございました)、東京都文京区の目白台・大塚界隈を散歩した。
11月上旬に散歩イベントを初めて主催してから今回で4回目。少しは主催に慣れてきたがまだまだ至らない点が多し。毎回定員を管理人を含め10名としているが、初回から今回まで参加人数が9~10名を保っているので主催者としては本当にうれしい。
来年も参加者の皆様が楽しんでいただけるようなイベントを主催しますのでご参加をお待ちしてます。

【今回のコース】
江戸川橋駅→鳩山会館→江戸川公園→椿山荘庭園→東京カテドラル 聖マリア大聖堂→講談社野間記念館(外観のみ)→永青文庫(外観のみ)→関口芭蕉庵→新江戸川公園→日本女子大学(成瀬記念館・講堂・樟渓館・成瀬記念館分館)→護国寺→占春園(教育の森公園)→縛られ地蔵(林泉寺)→茗荷谷駅

(写真をクリックすると拡大画像を別ウインドウに表示。写真のほとんどは下見時に撮影)


■鳩山会館
今(いろいろな意味で)話題のスポット。大正13年(1924)に現総理大臣の祖父で総理大臣や初代自民党総裁を務めた政治家の鳩山一郎により建てられた洋館。一郎の他、共立女子学園理事長の妻の薫、長男で外相を務めた威一郎を記念する部屋(いずれも撮影禁止)と、庭園や応接室や大広間等が公開されている。
設計は鳩山一郎の友人の建築家の岡田信一郎。岡田は大阪市公会堂の設計のコンペでわずか30歳で一等になり、大正から昭和初期にかけて歌舞伎座、明治生命館、黒田記念館などの設計を手がけた人物。






第1応接室。鳩山会館と鳩山家を紹介するビデオを上映。


第2応接室。鳩山一郎愛用の椅子が置かれている。


第3応接室。


サンルーム。


大広間。


鳩をモチーフとしたステンドグラス


外壁の鳩の装飾。


■江戸川公園
台地の斜面を利用し、神田川沿いに東西に広がる細長い公園。桜の時期には花見客でにぎわう。






大洗堰の石柱。大洗堰は今の大滝橋あたりにあった。江戸時代に井の頭池を水源とする神田上水の水を大洗堰でせき止め水位を上げてから水戸藩上屋敷(後楽園一帯)に流し、樋を通して神田・日本橋方面に給水した。


■椿山荘
椿山荘周辺は南北朝時代から椿が自生する景勝の地として「つばきやま」と呼ばれ、江戸時代には上総久留里藩主黒田家の下屋敷となった。明治11年(1878)に幕末から明治・大正にかけて活躍した軍人、政治家山県有朋が邸宅とし、「椿山荘」と命名。大正年間には藤田家の所有となり、現在はホテルとして営業。庭の築造は19世紀末と言われる。












三重塔。室町時代末期の作で、広島県にあったものを大正14年(1925)に移築。


椿山荘の碑。山縣有朋が、明治11年(1978)「つばきやま」と呼ばれていたこの地を入手し、「椿山荘」と命名した際の感懐を刻んだ記念碑。


十三重塔。織田信長の弟で、茶人でもあった戦国武将の織田有楽斎ゆかりの花崗岩製の層塔。余談だが東京の「有楽町」という地名は有楽斎の屋敷のあったことから由来すると言われる。


白玉稲荷神社。京都下鴨神社にあった社殿を譲り受け、大正14年(1925)に伏見稲荷を勧請、椿山荘の守護神とした。平成元年に現在地に新しい社殿を作り遷座。


羅漢石。江戸時代中期の画家伊藤若冲(じゃくちゅう)の下絵に基づいて作られた五百羅漢のうちの約20体で、京都伏見の寺に在ったものを大正14年(1925)に移築。


布袋像。庭園内には七福神の石像があり、手軽に七福神巡りが楽しめる。

2009年12月23日 光都東京LIGHTOPIA

2009年12月24日 | 都内散歩
日が落ちてから丸の内で開催されている光都東京LIGHTOPIAに行った。
このイベントでは、日比谷濠~和田倉濠の「光のアート・インスタレーション光雲」、和田倉噴水公園の「アンビエント・キャンドルパーク」、丸の内仲通りの「フラワーファンタジア」と趣向の異なる3種類のイルミネーションが楽しめた。どのイルミネーションもとてもきれいだった。混んでいるかと思ったが、翌日が平日のせいかさほど混んでいなかった。
アンビエント・キャンドルパークは12/26(土)、残り2つは12/29(火)まで開催される。興味のある方はお早めにどうぞ。


■光のアート・インスタレーション光雲
日比谷濠、馬場先濠、和田倉濠の石垣を「空」に見立て、LEDで白い光の雲「光雲(ひかりぐも)」を表現したインスタレーション。


馬場先濠。


和田倉濠。


ネックレスのような光雲。


■アンビエント・キャンドルパーク
著名人や千代田区の小学生が「地球・環境・平和」をテーマに絵やメッセージを描いた約600個の明り絵を展示。会場は幻想的な雰囲気に包まれていた。


会場の和田倉噴水公園のライトアップされた噴水。






■フラワーファンタジア
丸の内仲通りに展開される、「地球・環境・平和」のメッセージを表現した、街路樹と色鮮やかな生花を組み合わせたイルミネーション。童話の世界を思い起こさせる。一番よかった。