慶応10月14日は我が国にとって歴史的な一日となった。
下の絵にあるように徳川15代将軍「徳川慶喜」が【大政奉還】を宣言する
先ずは10月3日に土佐藩名義で慶喜に大政奉還の建白書を提出する
兵庫開港問題によって、薩長らの倒幕運動が現実味を帯びてきた事を慶喜も承知していた
大政奉還の建白を受けた慶喜は、今が政権返上の好機と悟った。
慶喜は譜代や旗本には諮問せず、10月12日幕府の諸役人を集めて大政奉還の意思を伝え
翌日には在京10万石以上の諸藩の重臣を二条城に招集して大政奉還の趣意書を回覧した
これに対しては諸藩からは、反対意見を唱える者はいなかった。
この様に慶喜は10月14日、大政奉還の上表を朝廷に提出した、将に電光石火の決断であった
翌15日、朝廷は大政奉還の勅許を下し、260余年続いた徳川幕府はついに終焉を迎えた。
この一月後の11月15日に、大政奉還の建白書の原文「船中八策」を提案した坂本龍馬が暗殺される
その翌月、龍馬が夢にまで見た【王政復古】の大号令が発せられる
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