松凬からくり帖

松凬さんが73年の人生と吟道50年からの体験や、これから起こるであろう!未体験談を写真と共にお届け!

宮本輝の小説「田園発港行き自転車」に懐かしい【宮川町】が!

2018-02-28 17:53:07 | 日記

勤め先の【長栄本社】の近くにある「下京図書館」で見つけた本

宮本輝著「田園発港行き自転車」前後編をあっという間に読み終わって

今でも心に居座っているのが、この中に出てくる「宮川町」〈宮川筋とも云う〉なんです

住んでいたのは、私が小学一年生の二学期〈六原小学校〉の時と、20年?ぶりに住んだ二回

母がある人のお世話になって小学生の私と二人住まいをしたのが昭和24・5年頃

因みに入学したのは、伏見の「板橋小学校」でした、その時は間借り住まい

つまり、旦那さんが宮川町に家を買って、母と私が住むようになったんです

しかし旦那さんが時々帰ってくるような家に一緒に住ませられないと

ある時祖母が私を引き取りに来たのです・・泣く泣く母と別れたのでした

そして北区の大徳寺の近くの祖母の家に・・三学期から「鳳徳小学校」に

それから17・8年後、私の結婚を期に再び宮川町の家に戻ります

その時の思い出話を、二つ御披露いたしましょう

息子が誕生するのが昭和43年の8月でした近くの「名和産婦人科」でした

病院の近くには〈宮川筋の東側〉、「建仁寺」や「恵比寿神社」があります

息子が二歳ぐらいの時でした、宮川町を歩きますと、ある場所で必ず・・・

『まんまん〈神さんの事〉ちゃん、アン』と云って手を合わすのです???

最初!何かな、と不思議に思ったのですが、すぐにわかりました 

宮川筋の真ん中ぐらいにあった、以前「遊郭」 だった建物でした???

子供にしたら、神社に見えたんでしょうねこの前を通る時、必ず手を合わした息子も

現在は、もう50歳に相成りまして、ナント・ナントまだ独身でおます

次のお話は、ちょっと色っぽい??と云うか夜の大人のお話なんです

この当時私は、祖母の家に仕事で通っておりました、西陣織の仕事です

力織機で帯を織っていたんです、通勤はまだその当時走っていた市電と市バスです

行きは河原町松原から市電に乗り、大徳寺で降りますが、帰りは四条河原町で降りて

歩いて帰ったりしてました、そのコースが四條木屋町を下がり「団栗橋」を渡り

宮川筋を南へ松原通りを更に下り「田中圖子」と云う小路の中に我が家がありました

さて話はこれからです、帰宅コースは先程申しましたが、木屋町から・・・

「団栗橋」を東に渡り宮川筋に入るところに、何時も「ポン引き」の兄さんが

その日も、立ちんぼしていたお兄さんが、私に「兄さんエエ娘〈こ〉いまっせ」と

そして、改めて私を見て『ああ兄さんお帰りやす』と云ったと云う話です

この時思いました・・・アンタにだけは「お帰りやす」と云われたくない!と

「田園発港行き自転車」には、大変詳しく宮川町が織り込まれていて

この店はあの辺やろか??とか思い浮かべながら読んでいて胸が熱くなる事も

中には「建仁寺の西側の屋根が見えている」とかあるとウルウルに近い感有り

最後にこんな写真を、ネットで見つけました・・・

二年前から仕事繋がりで「綾傘僕保存会」の会員になっています

昨年の宵山の時、上のポスターにある、綾傘鉾の日和神楽に付いて

室町通り綾小路西入の鉾町から宮川町の歌舞練場まで歩いたのです

まさに、このポスターの通りです、今年も綾傘鉾と宮川町へ楽しみです

宮本輝さんの小説のお陰で懐かしい思い出に浸れました

皆さんも、この小説を是非お読みいただきたい

輝さんの素晴らしさがいっぱい詰まっています、涙と笑いもこれまでで最高です

そして、夜もいいけど、昼の宮川筋も歩いて欲しいですね


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