益々!昌益(ますます!しょうえき) [安藤昌益資料館を育てる会・公式ブログ]

安藤昌益。江戸時代に日本が生んだ大思想家。自然を愛し、農業を愛し、人間を愛した。現代に息づく昌益を伝えます!

八戸における安藤昌益 vol.003 昌益の著作と思想 ①主な著作

2008年10月29日 00時25分59秒 | 【好評連載中!】八戸における安藤昌益
安藤昌益の基礎知識や八戸とのかかわりを、安藤昌益基金編『八戸における安藤昌益』(平成7年)を通じて、ご紹介するシリーズ。
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■昌益の主な著作
 昌益の主な著作は、『統道真伝(とうどうしんでん)』5巻5冊、刊本(刊行された本の意味)『自然真営道(しぜんしんえいどう)』3巻3冊、稿本(原稿のままの本の意味)『自然真営道』101巻93冊(現存15巻15冊、うち3巻3冊は写本)などです。
(→vol.004に続く)

◆安藤昌益基金編・発行『八戸における安藤昌益』(平成7年)より

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■初心者・浅学の管理人Fの「蛇足」

●「蛇足」基本編-失われた稿本『自然真営道』とその構成
 狩野亨吉による安藤昌益の「発見」は、狩野が明治32年(1899)に稿本『自然真営道』を入手したことに端を発します。
 しかし、東京帝国大学に買い取られた稿本『自然真営道』は、大正12年(1923)の関東大震災により、焼失してしまいました。あらら・・・と思いきや、直前に借り出されていた12冊(大序、第1~9巻、第24巻、第25巻)だけは助かり、現存しています。
 稿本『自然真営道』は、大序と第1~25巻は社会思想、第26~100巻は主として自然哲学・医学に分かれるとのこと。大序は全体を統括し、第24巻「法世物語巻」と第25巻「良演哲論巻」は、前半の社会思想の要であり、全体系の中枢にあたるとのことですから、これらの巻が災厄を免れたのは不幸中の幸いというべきでしょうね。
 まさに不死鳥・フェニックスのように、昌益の思想の核心は、炎の中から蘇ったんですね!

●「蛇足」物知り編-稿本『自然真営道』を書いたのは?
 稿本『自然真営道』は安藤昌益の主著ですから、書いたのは当然、安藤昌益ということになるんですが、一人で書き上げたわけではないようです。
 101巻の大著ですから、長い年月かけて書き上げたものと考えられていますが、昌益は全体系の総序文である大序を執筆途中で亡くなってしまいます。
 その後を継いで、昌益の手稿をもとに残りの原稿を書き上げ、清書・編集したのが、昌益の第一の高弟と目される神山仙確。
 仙確は、八戸藩主を診察する側医だということですから、高い地位にあった人ですね。仙確も、昌益の号の確龍堂良中から一字もらっていますから、二人の関係が伝わってきますよね。

●全く「蛇足」編-「目が潰れる」?「狂人の著作」?それとも・・・
 狩野亨吉が、稿本『自然真営道』を入手した際、内容のあまりのラディカルさに「狂人の著作」だと思ったそうです。現に、狂人研究の参考にと、精神病学者に数年間貸し出していたこともあったんだとか。
 一方、江戸時代から明治にかけて130年もの間、稿本『自然真営道』を「門外不出」「開けてみると目がつぶれる謀叛の書」と秘蔵していたのが、橋本律蔵。
 狂人とか目が潰れるとか、昌益も散々な言われよう・・・。
 その橋本は、その秘蔵の露見を恐れて人と交わらず、「北千住の仙人」と呼ばれていたんだとか。
 また、京都帝国大学(今の京都大学)文科大学長の職にあった狩野も、昌益の存在を公表したその年に職を辞し、隠遁してしまいました。
 う~ん、なんだか稿本『自然真営道』は、人生を狂わせるような「魔性の書」ですね!?

※管理人注)以下を参考にいたしましたが、「蛇足」の文責は浅学の管理人Fにあります。
・稲葉克夫著『八戸の安藤昌益』(八戸市発行、平成14年)
・安藤昌益研究会ホームページ「昌研NET」 
・各種Wikipedia

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