技術者の技術者による技術者のためのブログ

理系離れ著しい今日,技術者の地位を改善しなければ技術立国日本は滅びます。日本を「おしん」の時代に戻してはなりません。

東芝ワープロ訴訟事件 3: 和解交渉

2007年12月14日 | Weblog

写真はロシアマスメディアによる日露戦争の戯画。日本など物の数ではないというところです。

個人と巨大企業の間の訴訟もこのようなものなのでしょう。

 

和解交渉

 これに関しては,別に秘密保持覚書を取り交わしてもいませんし,訴状にも書いてあるのでここに書いても問題ないと思います。

 9月に提訴をしようとしたところ,ぜひとも和解の話し合いをしたいと東芝から言われ,その席につきました。東芝の主張はただ1点でした。「発明を一人でおこなったとは言ってくれるな」です。もう少し正確な口調では,「単独発明は認められない」というものでした。別に東芝に認めてもらわなくても,事実は事実として厳然として動きませんし,証拠はたっぷりあります。ですから,「東芝に認めていただく必要はない。社会に認めてもらう。」と主張しました。名誉とはそもそもそういうものです。

 しかし,これでは平行線で和解に至らないので「私の主張は変わらないが,主張を括弧に入れておくことはかまわない」と譲歩したのです。そして,あらかじめ作ってあった上記,単独発明を証拠立てる書類一式を渡したところ,和解金の金額交渉に至ることなく,後日,決裂を言い渡されたのです。11月の下旬のことでした。この交渉は一体なんだったのか今でも不可解です。わざわざ,こちらが想定もしていない「単独発明」を持ち出すなどは,森氏をスケープゴートにして逃げるつもりなのでしょうか? 現社長の西田氏とは1997年,彼が米国アーバインにある東芝アメリカ・インフォメーション・システムズの社長時代,一緒にロスアンゼルスで食事をしたことがあります。彼は,この二度目のTAIS社長には森氏に送り込まれたという因縁があります。因果はめぐるものです。

 

相手方弁護士

和解交渉の相手方弁護士は竹田さんというかたで,元東京高裁の(知財権担当?)総括判事だそうです。

 フラッシュメモリーの舛岡さんは最後は和解し「満足しています」という声明を出しておられます。が,恨みを呑んで辞めていかれた彼のその物言いの後ろに無念の思いを透かし見たのは私だけでしょうか。彼はご自分の貢献を40億円と算定していました。それが約70分の1の6000万円でした(遅延のための利子を含め8700万円)。満足のはずがないと思うのです。

 この結果をもたらしたのが竹田弁護士かどうかは調べていませんが,どちらにしろ,私の目的は名誉回復と技術者の地位の向上を社会に訴えることですから,権威がどれほどの役にたつか。私は, 西郷南洲翁(隆盛)が言われる「命もいらず,名もいらず,官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり*」に近く,命はともかく,「名」を欲しているだけなのですから。始末に困った挙句の和解決裂だったのでしょうか。

  *: 「此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」と続きます。

舛岡教授のインタビューが朝日新聞(3日付経済面)に掲載されており、提訴の背景が語られている。一番の思いは研究者に正当な評価をし遇して欲しいだった。「私自身、東芝で研究所長になったが、その後は研究費も部下もいない閑職に行かされそうになった。だから、給料は減っても研究が続けられる大学に移った」。

      --http://dandoweb.com/backno/20040311.htm より

(続く)

このブログの第一回
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