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映画『チリの闘い』に鳥肌がたった2022/05/27

2022-05-28 13:29:00 | 日記
パトリシオ・グスマン監督の『チリの闘い』を買い求めた。

チリの闘い

およそ半世紀前、遥かなる地で撮られた、わたしたちの映画。パトリシオ・グスマン監督による三部構成のドキュメンタリー映画。2016年9月、ユーロスペースにて劇場初公開

「チリの闘い」公式サイト


そして4時間半という三部構成のドキュメント大作だったが一気に見終わった。

感動した。
鳥肌がたった。

舞台は、1970年〜1973年のチリ、サルバドール・アジェンデ大統領率いる人民連合政権が社会主義を掲げて選挙により勝利した。

中南米を「裏庭」と思っているアメリカは、チリの政変に脅威と感じパナマでチリの軍人将校4,000人を訓練、育成したことに始まり、アメリカ国防省が4500万ドルの軍事支援、貿易封鎖など行って経済的にも軍事的にも脅迫し続けた。
さらにチリ国内では食料などの供給をストップさせるために多額な金と人をも投入した。企業が政府に協力しないような方策を続けさせたのである。 

1973年9月11日(これはまさにもう一つの9.11と言って良い)、軍部によるクーデターが勃発し、アジェンデ大統領と側近たち40名も銃を持ち抵抗したが、激しい空爆や砲撃により死亡し政権は崩壊した。

これはチリの人々の苦悩の記憶であり、同時に私達にとって豊かさや幸せとは何かを問いかける。

貧しき人々が、アジェンデ政権により慎ましやかだが生活が変わり豊かになはじめていった。。
虐げられながら働いても満足な食料や教育、医療機会に恵まれなかったアメリカとその傀儡(かいらい)政権だった以前とは違い、確実に変わり始めていた。
自分たちの選んだ政権を守ろうと奮闘する姿は、虐げられても沈黙して耐えてきた日々から、しぶんたちが社会の主人公として登場したからだ。
その貧しき人々の眼差しはじぶんの利益を守ろうとするアメリカの支援を受けた富裕層とは対象的だ。

アジェンデ政権を疲弊させようとありとあらゆる手を使ってアメリカCIAに支援された経営団体、運輸、商店、鉱山がくり広げる。
生産力が落ちれば貿易で外貨が稼げなくなり疲弊していくのを見越した、反革命的なストライキ(職場放棄)が拡大していく。

アジェンデ政権とその支持者たちは、食料を人民に供給しようとトラックや人力車まで使い、人々に提供しようとする。または、反動的なストから守ろうと職場に歩いてでも向かおうとする。




ところが政権末期には、CIAと企業団体、右派らの目論見が、政権を守ろうとする人民の献身性によってとん挫していく。
人民の努力も、政権が半数に満たない議員で支えられている事から、人民連合が提出する法案は尽く否決されていく。国会は空転化し、機能不全に陥りだしていく。

そして最終的な手段で政権転覆をたくらむ。
軍事クーデターだ。
実はクーデターが起こる前に、その兆候もあったのだ。

ある労働者は、軍部の不穏な動きがありながら、なぜ政権はそれを抑えられないのか、議会の形式的な民主主義を主張する政治家に苛立ちをぶつけていた。まさに貧しき人々にとって労働者、農民の人民連合政権が、アメリカの露骨な介入により崩壊させようとクーデターを阻止するための方策は必要だったと思う。
軍部を含めたすべての権力を人民連合政府が掌握する、すべての権力を人民に!というタイミングを逸してしまったという事なのか…。

大統領官邸からアジェンデは国民にむけて辞任せず官邸に残り抵抗するとしながら最後の演説をおこなう。

「かれらの力がわれわれを支配するかもしれぬ。
だが社会の動きや変革は犯罪行為や力ずくで止めることはできない。 
歴史はわれわれのもの
それは人民がつくるもの
常に知っておくべきは、思っているより意外に早く、偉大な道があらわれ
人々が自由に歩き
より良い社会を構築するだろう」

そして9月11日ピノチェト将軍によって政権が転覆される。議会は解散、憲法を停止、反対勢力は労働組合までふくめて逮捕、メディアを独占。数千人の国外亡命者の中にこの映画の監督であるパトリシア・グスマンもいたのだった。
CIAは400人ものエキスパートをチリに送りピノチェトを支援した。
アジェンデ大統領や国民的英雄であった歌手ビクトル・ハラ、詩人パブロ・ネルーダ、抵抗する人々はクーデターにより数千名が「行方不明」となり殺されていった。


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