goo blog サービス終了のお知らせ 

Local-Liner ~静サツ雑記帳

静岡運転所札幌派出所=静サツへようこそ。
札幌圏の鉄道を軸に、気ままに書き連ねていく日記です。

たそがれの旅路 ~Twilight on the horizon 第6回 マルーンの原点 

2014年11月07日 | 鉄道 ‐ 旅行(2014年)
第5回へ戻る

<2014/9/21 PM1:40>

 梅田駅で昼ごはんを食べて、次は宝塚線系統です。



 ちょうどよく停まっていた8000系の急行に乗ります。

[阪急宝塚本線 1309 急行 梅田13:40→宝塚14:13]
《梅田 13:40発》

 本線と名乗る路線の中で、宝塚本線は最も短い路線です(梅田~宝塚24.5km)。支線も箕面線と能勢電鉄(支線ではないが、事実上の子分。直通もしていたりとつながりは深い)くらいしかありません。種別も急行がメインと地味です。
 しかし、阪急の歴史はその宝塚本線からスタートしました。

 時は1910年。箕面有馬電気軌道という鉄道会社が誕生します。箕面(箕面の滝)と有馬(有馬温泉)は当時名の知れた観光地で、大阪とそれらを結ぼうとしたのが、この鉄道の始まりです。ただし、宝塚~有馬温泉に関しては山が多く工事が難しいことから断念し、ひとまず宝塚までの建設がされました。この時点で、阪急宝塚本線は全通しています。

 が、当時の宝塚は農村。他もめぼしい集落がなかったため、国鉄福知山線に比べ採算はあやしいものがありました。
 
 そこで考え出されたのが沿線開発。当時専務だった小林十三の手によって、宝塚線沿線に分譲住宅を建設。宝塚は宝塚新温泉を核に宝塚唱歌隊、現在の宝塚歌劇団を生み出します。当時は、鉄道は乗客の乗ってくれそうな集落沿いに作るのが一般的で、「乗客は電車が創造する」を合言葉に地域開発で乗客を集めた箕面有馬電気軌道は異色の存在でした。宝塚は新たな観光地として人が集まり、やがて都市になっていきます。戦後のニュータウン開発を先取りするような手法を、箕面有馬電気軌道――後の阪急はとったのでした。



《石橋 13:55着》

 石橋で下車すると、宝塚本線とほぼ垂直の行き止まりホームとご対面。ここから分岐する箕面線のホームです。



 3000系の4両編成で箕面に向かいます。

[阪急箕面線 1461 石橋14:00→箕面14:06]


《石橋 14:00発》

 先ほど紹介した箕面有馬電気軌道の片割れが、この箕面線です。本線と同じ1910年に開業。今でこそ支線扱いですが、人の入りはこちらの方が元々多いです。現在も10分に1本のペースで3000系がシャトル運転しています。



《箕面 14:06着》

 3駅のたびはあっという間に終了。



 折り返し時間は4分です。

 トイレ休憩をしてから、再び3000系に乗ります。

[阪急箕面線 1464 箕面14:20→石橋14:26着]
《箕面 14:20発》



 ゆるやかな坂を下ります。



 終点・石橋では再び行き止まり式の5番線に停車。

《石橋 14:26着》



 地下道をくぐり、再び宝塚方面へ。



 次の列車の前に、3000系の回送が通過していきました。



 やってきた普通列車はなんと新型1000系!



 フルカラー液晶からも新品感が漂います。

[阪急宝塚本線 1443 梅田14:11→雲雀丘花屋敷14:40]
《石橋 14:33発》



 高架区間を走る1000系。1000系は回転子を使わないPMSM方式のためかなり静かです。



 阪急にしては珍しく白系の内装。それなりに混んでます。



《雲雀丘花屋敷 14:40着》

 普通列車は途中の雲雀丘花屋敷どまり。最新鋭だろうと銀色塗装にはせず、阪急マルーンを受け継いでいます(ただし車体はアルミ製)。



 無駄に長い駅名は高級住宅街の合成。「雲雀丘」(ひばりがおか)と「花屋敷」(はなやしき)の2駅が統合されて「雲雀丘花屋敷」(ひばりがおかはなやしき)です。統合された結果、島式ホーム2面を持つ宝塚線では少ない待避可能駅になりました。



 後続の9000系急行に乗り継ぎます。日中はここで接続です。
 といっても、豊中(石橋の2つ手前)からずっと各駅停車なので、速達感はありませんが。

[阪急宝塚本線 1405 急行 梅田14:20→宝塚14:53]
《雲雀丘花屋敷 14:43発》



 液晶画面が示す、「急いで行かない」の図。路線の実に半分以上の駅に停車します。



 「急いで行かない」原因は、宝塚本線特有のカーブです。路線設計自体が他より古いこともあってか、急カーブが目に付きます。特にスピード重視だった京都本線と比べると天地の差です。一時は福知山線快速に対向して特急を運転していたこともありましたが、55~60km/h制限が連続する宝塚線にあっては勝負が出来ず、廃止されてしまいました。



 目でわかる急カーブ・売布神社編。かつては2両分しかホームがありませんでした。



《宝塚 14:53着》

 最後にJR線を一跨ぎして高架の宝塚駅に到着です。



 対面には今津線の3000系がいます。



 宝塚本線と今津線が1面ずつホームを持ってはいるのですが、宝塚本線も今津線も10分おきということで、昼間は1面だけを使って対面接続をしています。さすが心配りに定評のある阪急。



 西宮北口まで向かいます。



 ということで、今津線からは神戸線系統を攻め入ります。

[阪急今津線 1480 宝塚14:56→西宮北口15:10]
《宝塚 14:56発》



 発車して左手に見えるのがアクロバティックな挙動の本線とJR線。S字カーブ+勾配(20パーミル前後?)のコンボです。



 こちらも宝塚新劇場の脇を過ぎると武庫川を横断します。画像左手が本来の宝塚市街地です。



 今津線も宝塚本線と同じ要領で開発が進んだ路線です。支線ながら6両編成で運転されます。本数も10分に1本と頻発。
 本当は仁川駅のY型留置線(本線の方が大きくカーブする)や33パーミル勾配(阪急屈指)も撮っていれば良かったのですが……



《西宮北口 15:10着》
 西宮北口に到着。神戸本線との接続駅です。

 ところで、今津線は今津~宝塚の路線なのですが、西宮北口は行き止まり構造になっています。脇を抜けていく線路もあるにはあるのですが、そちらは神戸本線直通用の線路(9号線)で、今津には向かえません。

 実は、今津線はかつて神戸本線を横断していました。全国的にも珍しい、鉄道線同士のダイヤモンドクロスでした(軌道では多いが、高速運転前提の鉄道では稀)。その後、神戸本線のホームを10両対応にする際に横切る今津線が邪魔となり、分断されてしまったのです。

 立体交差をすればいいじゃないかと思うところですが、西宮北口は駅としての便利さが仇となって、高架化切り替えするための用地を確保することが出来ませんでした。そのため、今でも地平ホームを継続して使っているのです。

 分断された今津線は北側(西宮北口~宝塚)が今津(北)線、南(今津~西宮北口)が今津(南)線と呼ばれています。



 今津へ向かうには2階に上がり、5号線ホームに行く必要があります。



 1線しかない南線ホーム。専用の6000系3両編成がピストン運行しています。



 シャトルの幕。



 唯一高架となったホームから出発です。

[阪急今津線 15072 西宮北口15:16→今津15:19]



 JRをまたぎます。広がる大地はアサヒビール西宮工場跡です。



 わずか3分で終点・今津に到着です。



 複線どころか単線でも十分な気がしますが、3両×2編成も使って贅沢な運用をしています。



 駅の外に出てみました。



 今津線が今津まで延長したのは、阪神と接続するためです。阪神が高架となってからはペデストリアンデッキで繋がっています。

 ……おや、こんなところに阪神も乗れる切符が(第4回参照)。

 ということで、静サツから大切なお知らせです。

 阪急制覇、一旦中断です。

 続く!


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。