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<2014/9/21 AM10:30 河原町駅>

河原町駅は京都線の終点です。日中は特急と準急がそれぞれ10分間隔でやってきます。
さて、次の攻略を前に、乗りたいものがあります。それが……

6300系『京とれいん』です。
6300系は、2800系に次ぐ京都線特急用車両として登場しました。型式からも分かるとおり、5300系より少し後の1975年から製造が開始されています。
特徴はやはりなんといっても2扉であることです。
6300系は長らくの間特急で活躍してきましたが、9300系と交代する形で第一線からは引退。2扉が災いして一部を除き廃車となってしまいました。
そんな中、1編成だけ6300系の特急時代の栄華を復活させたのが、この『京とれいん』です。

2扉のゆったりとした構造はそのままに、赤とベージュを織り交ぜたエレガントな内装に仕上がっています。梅田側先頭2両はご覧の通り通常の座席。後ろ4両は掘りごたつを思わせるボックスシートになっています。特急時代は8両だったので少々寂しいですが、本線を走行できるのは6300系にとって本望でしょう。
『京とれいん』は、観光特急(種別は快速特急)として、土曜・休日のみの運転です。奇しくも次の快速特急は河原町10:41発ということで、乗る機会を得ました。

最前列に陣取って、出発進行!
[阪急京都本線 101 快速特急 河原町10:41→梅田11:25]
《河原町 10:41発》

特急の続行で烏丸へ進入。

西院通過後に地上に出ます。この区間は1931年に開業した、日本でもかなり古い地下線です。

築堤を走る6300系。特急用に生まれただけあって安定した走りぶりです。

新旧特急車両のすれ違い。

右に車庫が見えるとまもなく桂。3300系の準急が特急のあとを追います。

《桂 10:48着》
『京とれいん』の本番は、淡路までノンストップになり観光案内が始まる桂からなのですが、残念ながらここで降ります。
ここには次の「攻略」すべき路線が待っているのです。
その路線の名は、阪急嵐山線です。

ホームを移動すると、そこにいたのは6300系。
先ほど6300系の話で「一部を除き廃車」といいましたが、『京とれいん』以外でもう一つ残ったのが、この嵐山線用の車両です。

ここから嵐山までをひたすら往復するだけの簡単なお仕事に就いています。
ちなみに、6300系の前は2800系だったので、もはや特急車両の墓場なのでは(9300系は3ドアなのですぐに嵐山行きになることはないはず)……

嵐山線では4両に短縮されています。
それでは、6300系で嵐山線の旅へ。
[阪急嵐山線 1180 桂11:00→嵐山11:07]
《桂 11:00発》

列車は超満員で発車しました。ここまでさほど混まない列車に乗っていたというのもありますが、それにしても昼時に立ち客すら満杯というのは混みすぎだと思います。
桂車庫を見ながら左に曲がります。

上桂手前で地上へ。

松尾大社駅は、名前の通り松尾大社のまん前にあります。その近さは、車窓から鳥居が見えるほど。

《嵐山 11:07着》
三駅しかないのであっという間に嵐山に到着しました。

行きとは対照的にガラガラになった電車で、桂に戻ります。観光なんてしてる場合じゃない!
[阪急嵐山線 1181 嵐山11:14→桂11:22]

《嵐山 11:14発》
嵐山駅は、京都本線の原型を作った新京阪鉄道(詳しくは前回参照)が、嵐山の観光拠点として作りました。大阪からの客を見込んで、当時は6面5線もの巨大なターミナルだったのですが、客足は全く延びず、戦前に今の3面2線にまで縮小されてしまいました。架線柱にその名残が見えます。

路線自体も戦前に単線になっています。
見込みを間違えたのは、やはり観光のメインとなる桂川より北に伸ばせなかったことでしょう。
現在でも季節限定で阪急各線(主に梅田)から行楽特急が運転される他は、普通列車のみの路線です。
ただ、最近は京福電気鉄道やJR以外の第3のルートとして利用が上がっているようです。最近では河原町―嵐山間(桂で折り返し)の普通列車が運転されました。
《桂 11:22着》

ともあれ、桂に到着。
ここからは9300系の特急で大阪に戻ります。え、なんで写真が7300系(準急)しかないかって? 6300系も真っ青の混雑で撮れなかったからだよ!
[阪急京都本線 11015 河原町11:20→梅田12:03]
《桂 11:28発》
《淡路 11:54着》

大阪まで戻ると言ったな。あれは嘘だ。
京都線系統で残していた千里線のターンです。
淡路では文字通り京都本線とクロスしています。梅田から北千里方面へ、河原町から天神橋筋六丁目方面へ乗り入れられる構造になっていて、

まずは準急の天下茶屋行きで天神橋筋六丁目に向かいます。この準急は河原町始発です。
[阪急(京都本線・)千里線(・大阪市営地下鉄堺筋線) 3111(~131) 準急 河原町11:04→天下茶屋12:22]
《淡路 11:59発》

平面交差を左へ。新京阪時代に開業した当初は、こちらが本線でした。

ダイヤのネックになる平面交差を両方向に抱える淡路駅では、高架化工事の真っ最中です。京急蒲田(京急)・大田川(名鉄)に次ぐ新しい「要塞」駅誕生か?

本線以外では唯一淀川を渡る千里線。京都本線より立派。

《天神橋筋六丁目 12:04着》
地下駅の天神橋筋六丁目が千里線の終点です。列車はそのまま堺筋線に直通します。

1面2線しかないため、堺筋線の半数が阪急に直通します。

地下鉄線内は準急も各駅停車なのですが、表示は準急のまま。
天神橋筋六丁目は、新京阪時代は「天神橋」でした。長ったらしい駅名になったのは、ここで大阪市電と接続しており、その市電が地下鉄堺筋線と谷町線に生まれ変わったためです。関西初の高架駅だった天神橋駅は、堺筋線と繋がる代わりに地下駅へと変わったのでした。
乗りつぶしに来ただけなので、すぐに戻ります。

ま た 阪 急 車 か
[(大阪市営地下鉄堺筋線・)阪急千里線(・京都本線) (126~)1220 天下茶屋11:50→高槻市12:45]
《天神橋筋六丁目 12:08発》
《淡路 12:14着》
今度は千里線の北側に向かいます。
千里線は昼間のほとんどが京都本線直通列車なので、千里線を全線通して走る電車は20分に1本しかありません。
ご多分にもれず、乗ったのは高槻市行。淡路駅で対面の梅田発の北千里行きに乗り換えます。
[阪急(京都本線・)千里線 1270 梅田12:06→北千里12:33]
千里線の元は北大阪電気鉄道。京都本線の十三―淡路を建設した会社です。戦前から千里丘陵に手をつけようとするなど、後の千里ニュータウン開発の先鋒のような存在でしたが、小さな会社だったため十三―千里山で力尽き、新京阪に吸収されました。
その後は高度経済成長でニュータウンが広がると共に千里山―北千里が開業し、現在の姿になりました。

《北千里 12:33着》
京都線と同じ5300系の北千里行きは無事に到着しました。

千里ニュータウンの北端にある北千里駅。さらに北へ延伸できる構造ですが、線路を延ばしてもその先は森です。終端側は留置線として使われています。

これにて京都線系統(京都本線・嵐山線・千里線)は完乗!
折り返しの梅田行きで一度梅田へ戻り、昼ごはんにします。
続く!
[阪急千里線・京都本線 1275 北千里12:42→梅田13:12]
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<2014/9/21 AM10:30 河原町駅>

河原町駅は京都線の終点です。日中は特急と準急がそれぞれ10分間隔でやってきます。
さて、次の攻略を前に、乗りたいものがあります。それが……

6300系『京とれいん』です。
6300系は、2800系に次ぐ京都線特急用車両として登場しました。型式からも分かるとおり、5300系より少し後の1975年から製造が開始されています。
特徴はやはりなんといっても2扉であることです。
6300系は長らくの間特急で活躍してきましたが、9300系と交代する形で第一線からは引退。2扉が災いして一部を除き廃車となってしまいました。
そんな中、1編成だけ6300系の特急時代の栄華を復活させたのが、この『京とれいん』です。

2扉のゆったりとした構造はそのままに、赤とベージュを織り交ぜたエレガントな内装に仕上がっています。梅田側先頭2両はご覧の通り通常の座席。後ろ4両は掘りごたつを思わせるボックスシートになっています。特急時代は8両だったので少々寂しいですが、本線を走行できるのは6300系にとって本望でしょう。
『京とれいん』は、観光特急(種別は快速特急)として、土曜・休日のみの運転です。奇しくも次の快速特急は河原町10:41発ということで、乗る機会を得ました。

最前列に陣取って、出発進行!
[阪急京都本線 101 快速特急 河原町10:41→梅田11:25]
《河原町 10:41発》

特急の続行で烏丸へ進入。

西院通過後に地上に出ます。この区間は1931年に開業した、日本でもかなり古い地下線です。

築堤を走る6300系。特急用に生まれただけあって安定した走りぶりです。

新旧特急車両のすれ違い。

右に車庫が見えるとまもなく桂。3300系の準急が特急のあとを追います。

《桂 10:48着》
『京とれいん』の本番は、淡路までノンストップになり観光案内が始まる桂からなのですが、残念ながらここで降ります。
ここには次の「攻略」すべき路線が待っているのです。
その路線の名は、阪急嵐山線です。

ホームを移動すると、そこにいたのは6300系。
先ほど6300系の話で「一部を除き廃車」といいましたが、『京とれいん』以外でもう一つ残ったのが、この嵐山線用の車両です。

ここから嵐山までをひたすら往復するだけの簡単なお仕事に就いています。
ちなみに、6300系の前は2800系だったので、もはや特急車両の墓場なのでは(9300系は3ドアなのですぐに嵐山行きになることはないはず)……

嵐山線では4両に短縮されています。
それでは、6300系で嵐山線の旅へ。
[阪急嵐山線 1180 桂11:00→嵐山11:07]
《桂 11:00発》

列車は超満員で発車しました。ここまでさほど混まない列車に乗っていたというのもありますが、それにしても昼時に立ち客すら満杯というのは混みすぎだと思います。
桂車庫を見ながら左に曲がります。

上桂手前で地上へ。

松尾大社駅は、名前の通り松尾大社のまん前にあります。その近さは、車窓から鳥居が見えるほど。

《嵐山 11:07着》
三駅しかないのであっという間に嵐山に到着しました。

行きとは対照的にガラガラになった電車で、桂に戻ります。観光なんてしてる場合じゃない!
[阪急嵐山線 1181 嵐山11:14→桂11:22]

《嵐山 11:14発》
嵐山駅は、京都本線の原型を作った新京阪鉄道(詳しくは前回参照)が、嵐山の観光拠点として作りました。大阪からの客を見込んで、当時は6面5線もの巨大なターミナルだったのですが、客足は全く延びず、戦前に今の3面2線にまで縮小されてしまいました。架線柱にその名残が見えます。

路線自体も戦前に単線になっています。
見込みを間違えたのは、やはり観光のメインとなる桂川より北に伸ばせなかったことでしょう。
現在でも季節限定で阪急各線(主に梅田)から行楽特急が運転される他は、普通列車のみの路線です。
ただ、最近は京福電気鉄道やJR以外の第3のルートとして利用が上がっているようです。最近では河原町―嵐山間(桂で折り返し)の普通列車が運転されました。
《桂 11:22着》

ともあれ、桂に到着。
ここからは9300系の特急で大阪に戻ります。え、なんで写真が7300系(準急)しかないかって? 6300系も真っ青の混雑で撮れなかったからだよ!
[阪急京都本線 11015 河原町11:20→梅田12:03]
《桂 11:28発》
《淡路 11:54着》

大阪まで戻ると言ったな。あれは嘘だ。
京都線系統で残していた千里線のターンです。
淡路では文字通り京都本線とクロスしています。梅田から北千里方面へ、河原町から天神橋筋六丁目方面へ乗り入れられる構造になっていて、

まずは準急の天下茶屋行きで天神橋筋六丁目に向かいます。この準急は河原町始発です。
[阪急(京都本線・)千里線(・大阪市営地下鉄堺筋線) 3111(~131) 準急 河原町11:04→天下茶屋12:22]
《淡路 11:59発》

平面交差を左へ。新京阪時代に開業した当初は、こちらが本線でした。

ダイヤのネックになる平面交差を両方向に抱える淡路駅では、高架化工事の真っ最中です。京急蒲田(京急)・大田川(名鉄)に次ぐ新しい「要塞」駅誕生か?

本線以外では唯一淀川を渡る千里線。

《天神橋筋六丁目 12:04着》
地下駅の天神橋筋六丁目が千里線の終点です。列車はそのまま堺筋線に直通します。

1面2線しかないため、堺筋線の半数が阪急に直通します。

地下鉄線内は準急も各駅停車なのですが、表示は準急のまま。
天神橋筋六丁目は、新京阪時代は「天神橋」でした。長ったらしい駅名になったのは、ここで大阪市電と接続しており、その市電が地下鉄堺筋線と谷町線に生まれ変わったためです。関西初の高架駅だった天神橋駅は、堺筋線と繋がる代わりに地下駅へと変わったのでした。
乗りつぶしに来ただけなので、すぐに戻ります。

ま た 阪 急 車 か
[(大阪市営地下鉄堺筋線・)阪急千里線(・京都本線) (126~)1220 天下茶屋11:50→高槻市12:45]
《天神橋筋六丁目 12:08発》
《淡路 12:14着》
今度は千里線の北側に向かいます。
千里線は昼間のほとんどが京都本線直通列車なので、千里線を全線通して走る電車は20分に1本しかありません。
ご多分にもれず、乗ったのは高槻市行。淡路駅で対面の梅田発の北千里行きに乗り換えます。
[阪急(京都本線・)千里線 1270 梅田12:06→北千里12:33]
千里線の元は北大阪電気鉄道。京都本線の十三―淡路を建設した会社です。戦前から千里丘陵に手をつけようとするなど、後の千里ニュータウン開発の先鋒のような存在でしたが、小さな会社だったため十三―千里山で力尽き、新京阪に吸収されました。
その後は高度経済成長でニュータウンが広がると共に千里山―北千里が開業し、現在の姿になりました。

《北千里 12:33着》
京都線と同じ5300系の北千里行きは無事に到着しました。

千里ニュータウンの北端にある北千里駅。さらに北へ延伸できる構造ですが、線路を延ばしてもその先は森です。終端側は留置線として使われています。

これにて京都線系統(京都本線・嵐山線・千里線)は完乗!
折り返しの梅田行きで一度梅田へ戻り、昼ごはんにします。
続く!
[阪急千里線・京都本線 1275 北千里12:42→梅田13:12]
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