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「七夕文化」

日本の七夕を調査・記録したジオシティーズ「七夕文化」(2010年)を移行しました。

日本の七夕行事 100選 

2019-03-01 21:04:57 | 日本の七夕行事 100選 
   日本の七夕行事 100選  

 このページは2003年に七夕文化研究会が選んだ日本の主な七夕行事の一覧です。。その後、2010年まで追加補充しましたが、七夕文化研究会は現在活動を休止しているため、現代の状況は把握できておりません。そのため、各行事の内容が現在と変化しているかもしれませんが、ご了承ください。

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北海道・東北
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<北海道>

おびひろ七夕まつり 8月上旬(7日を含む4日間) ◎北海道帯広市
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○ 北海道で一番歴史のある商店街七夕
 昭和29年、市内広小路商店街の商店主らが企画した子供たちのための七夕まつりが、予想以上の賑わいだったため、翌30年(1954)、広小路七夕まつりとしてスタートした。各商店の手作りで最初は素朴な飾りだったが、回を重ねるにつれて華やかさを競い合うようになり、市民の祭りとして定着した。2004年に50回を迎えた。(HPより)

 
七夕のローソクもらい 7月7日(◎函館周辺)、8月7日(◎函館以外の全域)
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○ 七夕のはやし歌をうたい家々をまわり、ローソクやお菓子をもらう子どもの行事
 北海道全域の市や町で行われている七夕の子どもの行事。函館では7月7日の夜に、子どもたちが近所の家々をまわり、玄関口で「竹に短冊 七夕まつり おおいや いやよ ローソク一本 ちょうだいな」などと七夕のはやし歌を歌い、ローソクやお菓子をもらう。函館以外の北海道各地では、8月7日前後にローソクもらいをする。海岸地域では「今年は豊年 七夕まつり」などと枕言葉がついているのに対し、内陸部の多くの地域では、すぐ「ローソク 出せ出せよ 出さないと カッチャク(ひっかく)ぞ おまけにくっつくぞ」などと歌う。家々ではこの日のために小さなローソクを用意して、回ってきた子どもたち一人ひとりに与えた。近年はローソクよりお菓子などをもらうほうが楽しみのようである。なお金銭をもらうようになり、学校から禁止されローソクもらいをとりやめた地域も多い。(小田嶋政子『北海道の年中行事』北海道新聞社より)
 なお北海道以外では、秋田県に「七夕さまのおくねりだ ローソク一本ちょうだいな」というはやし歌があり、新潟県では中条町村松浜で、「竹にたんざく 七夕様よ ローソクだせだせよ ださねどかっちゃくぞ ワー、ワー、ワー」と歌う。(畑野栄三「村松浜の七夕流しと武者人形と紙人形」)


<青森県>

八戸七夕まつり 7月中旬(第3金曜~月曜日の4日間)  ◎青森県八戸市
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○ 華やかな飾りと盛りだくさんな企画で、県南地方の人々に親しまれている
 昭和28年から始まり、半世紀に渡り広く県南地方の人々に親しまれている七夕。八戸市の中心部、表通りを中心に華やかな飾りと盛りだくさんな企画で親しまれ、毎年30万人の人出がある。(HPより)


<秋田県>

七夕絵どうろう祭り 8月5日~7日  ◎秋田県湯沢市
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○ 美人画の絵どうろうが大小数百飾られ、優美であでやか 
 江戸時代に湯沢の領主であった佐竹南家に、京都の鷹司家から嫁いだ姫が、京都の風習にならい、竹に五色の短冊を飾り、夜は意匠を凝らした灯籠を灯したのが始まりといわれる。後に美人画を描いた灯籠がたくさん飾られるようになった。夜を彩る大小数百の美人画絵どうろうは、優美であでやかである。(HPより)


能代役(やく)七夕(ねぶ流し) 8月6日・7日  ◎秋田県能代市
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○ 城郭をかたどった大灯籠が繰り出し市内を練り歩く江戸時代からの行事
 江戸時代から続く能代伝統の行事。8月6日に城郭をかたどった大若灯籠が繰り出し、勇壮な笛・太鼓で調子をつけ市内を練り歩く。7日は灯籠の最上部に取り付けられているシャチを米代川に運び、筏船に乗せ焼き流す。「役(やく)七夕」とは当番の役を仰せつかった町組がつくる大きな七夕灯籠を意味し、ひいてはこの祭りを言うようになった。能代役七夕は青森のねぶた祭りなどと同じく大灯籠が練り歩く「ねぶ流し」系の祭りである。
 なお、これに先立ち8月3日に子供会ごとに山車を引き回す「こども七夕」、4日に希望者の個人や団体が灯籠を曳く「観光七夕」がある。(『眠流し行事 能代役七夕』能代市教育委員会より)


小坂七夕祭  8月上旬(第一土曜・日曜日)  ◎秋田県小坂町
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○ 青森ねぶたの流れをくむ武者人形の山車などが町内を練り歩く
 明治の末頃が始まりといわれる小坂七夕は、町内の各自治会が製作した青森ねぶたの流れをくむ武者人形などの山車が独特の小坂囃子にのって町内を練り歩く。また2日目の夜はすべての山車の合同運行がある。(HPより)


<岩手県>

気仙町けんか七夕 8月7日  ◎岩手県陸前高田市気仙町
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○ 杉の丸太をくくりつけた山車と山車がぶつかりあう勇壮な祭り
 山車に若衆が乗り込み、笛や太鼓のお囃子で練り歩く。山から切り出した太い藤づるで杉の丸太を山車にくくりつけ、山車と山車をぶつけ合う勇壮な祭り。昼は長部漁港、夜は今泉町の路上でぶつかり合う。県指定無形文化財。(HPより)


高田町うごく七夕 8月7日  ◎岩手県陸前高田市高田町
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○ 七夕の飾り付けをした山車が町を練り歩く
 町内の12ある祭り組が、それぞれ思い思いに飾り付けた山車を出し、威勢のいいお囃子に合わせ勇壮に町を練り歩く。夜になると山車の飾りも変わって灯がともり、幻想的な山車がそれぞれに華やかさを競う華麗な七夕祭りとなる。(HPより)


海上七夕まつり 8月第一日曜日  ◎岩手県陸前高田市
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○七夕飾りを付けた船が海上を巡航する全国でも珍しい祭り
 別名「舟七夕」と呼ばれる海を舞台にした祭りである。高さ約20メートルの青竹に、数万枚の赤一色の短冊と吹き流しを飾り付け、甲板に立てた「短冊船」と呼ばれる飾り船が、バレンと呼ばれる花飾りをつけた「バレン船」、大漁旗や吹き流しを飾り付けた「随行船」を従え、広田湾を巡航する。(HPより)


土沢七夕まつり 8月6日~8日  ◎岩手県東和町
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○ 色鮮やかな吹き流しや絵とうろうが通りを飾る
 東和町の中心市街地である土沢商店街を中心に開催される七夕まつり。色鮮やかな吹き流しや絵とうろうが通りを飾り、人出も賑わう。7日夜は町民が参加して手踊りパレードが行われる。この地方では大正時代から家々の軒先に小竹に飾り付けていたが、昭和5年頃、現在の背の高い竹への飾りになったという。昭和63年からは、東和牛まつりも併催されている。(HPより)


<山形県>

東根の七夕祭り(動く七夕提灯行列) 8月10日 ◎山形県東根市 
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東根独特の子ども達の提灯行列が続く、動く七夕提灯
 東根の七夕祭は、江戸末期から明治初期に七夕の夜(旧暦7月6日)、各家で農作や家内安全等の願い事を長方形の田楽提灯に書き、養蚕の棚竹に付けて家の前に立てたものを、子供たちが持ち出して歩きまわったのが始まりと言われている。
 子供たちは短冊を青竹に下げて、自分で作った提灯に絵や字を書き、秀重院境内に祀られている天神様より灯をいただき提灯に移し、学問の向上、学芸の上達、五穀豊穣、家内安全を祈って町内を練り歩いた。田楽提灯のほかに星、扇、西瓜、胡瓜、茄子、唐辛子、焼麩の形をした提灯も作った。
 第二次大戦後は8月6日の夜に行なわれるようになり、東根小学校の校庭に集合し、一斉に提灯に灯をともし「竹に短冊七夕さまよ、一年一度の七夕さまよ」と斉唱し本町通りを練り歩く盛大なもので、小中学生だけで自主的に七夕祭りを行なっていた。
 その後、受験勉強やクラブ活動、少子化等で、七夕祭りに参加する子供が少なくなり継続が危ぶまれてきたので、昭和47年に七夕祭保存会を設立し、全面的に後援するようになった。それからは、先頭の山車としてお城や五重の塔、宝船、マンガのキャラクター等の大型提灯がトラックに搭載されて出るようになった。
 平成元年から東根まつりの一環として祭りの第一日目(8月10日)に開催されるようになった。参加者も東根地区の子供クラブだけでなく東根市全地区の子供クラブや東京東根会の会員も参加するようになり、さらに盛大な祭りとなっている。近年は和紙を使い昆虫や花をかたどった昔ながらの提灯も登場している。平成6年、東根市指定無形民俗文化財。(東根七夕保存会の説明文より)


<宮城県>

仙台七夕まつり 8月6日~8日  ◎宮城県仙台市
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○ 日本の商店街七夕のさきがけ
 仙台では江戸時代から七夕が盛んであったが、明治以後、五節句が廃止されるとともに年々衰微していった。昭和2年、市内大町5丁目の商店会が七夕飾りを復活させたところ好評で、翌3年、仙台協賛会と仙台商工会議所との共催で、8月6日を期して今日見られる七夕まつりが始まった。この行事は年々盛んとなり、昭和7年の人出は15万人となった。戦中戦後の中断期(昭和17~20年)を経て、昭和21年には再開、翌22年天皇が見学されたのを契機に本腰をいれて復活、今日の豪華絢爛たる七夕に成長した。本物の和紙から作られる洗練された飾りは日本一といわれ、毎年200万人を超える人出がある。
 仙台七夕は商店街が中心となって飾られるが、二十数カ所の商店街が参加しており、飾る場所は全市に及ぶ。メイン会場は市中心部のアーケード商店街で、薬玉やサイコロから下がる吹き流しのカーテンをくぐるように歩くさまは、仙台七夕の典型的な光景である。仙台七夕には昔から「七つ道具」を飾る風習がある。これは、吹き流し、短冊、折り鶴、紙衣、巾着、投網、屑籠の七つで、こうした飾りは仙台市街地に入る街道筋の荒町・南梶町・原町などの商店街の飾りに良く残っている。(『要説宮城の郷土誌』仙台市民図書館、三原良吉『仙台七夕と盆まつり』宝文堂出版より)

 
金津七夕 8月6日  ◎宮城県角田市
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○ 子供たちが七夕の古歌を唱和しながら提灯をもって練り歩く
 宿場町の名残をとどめる金津地区に、藩政時代から続く伝統的な七夕行事。旧宿場街道の商店街には手作りの七夕飾りが立ち並び、夕方から七夕飾りの町並みの中を、子供たちが拍子木にあわせ七夕の和歌を唱和しながら提灯を持って練り歩く。豊作、虫除け、子供の成長を祈願する民俗行事として貴重で、県指定無形民俗文化財になっている。(HPより)


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関 東
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<千葉県>

茂原七夕まつり 7月下旬の金・土・日曜日の3日間  ◎千葉県茂原市
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○ 昭和30年に夏枯れ対策として始まり、関東屈指の七夕まつりに成長
 昭和29年に榎町商工会が独自に夏枯れ対策として七夕祭りをしたのが始まりで、これが大成功をおさめたのを受け、翌30年に実行委員会が組織され、第1回茂原七夕まつりが開催された。その後、市民も参加して全市あげての祭典へと変わってゆき、回を重ねるたびに盛大となり、今では関東屈指の七夕まつりとして知られる。平成16年の人出は83万人。なお茂原市には、8月7日の朝、子供たちがかやかや馬とよばれるマコモ製の七夕馬を手製の車に乗せて引き回す習俗があった。(HPより)


<東京都>

阿佐ヶ谷七夕まつり 8月7日を含む5日間  ◎東京都杉並区阿佐谷南
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○ 東京名物として賑わう、天井からぶら下がる張りぼてが人気
 昭和29年、夏枯れ対策として阿佐ヶ谷商店街が始めた七夕が始まり。パールセンターと呼ばれる商店街は、七夕の時期、大勢の人出で賑わう。アーケードの天井からぶら下がる張りぼての人形が名物となっている。80万人から100万人が集まり、東京名物となっている。(HPより)


福生(ふっさ)七夕まつり 8月上旬(7日を含む週末)の4日間  ◎東京都福生市
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○ 商店街振興として始まり盛大な市民祭りに定着、壁面飾りが特徴
 昭和26年に商店街の振興を目的に始められた催しは、盛大な市民祭りとして定着し例年40万人以上の人出で賑わい、2005年で55回を数える。飾りは商店の壁面に足場を組んで飾り物を取り付けるのが特徴で、昭和30年代にこの壁面飾りが登場した。市内にある米軍横田基地の米兵らが担ぐ横田みこしも、この七夕に花を添える。当初、7月初めに行われていたが、梅雨を避けるため昭和43年から8月上旬に移った。(HPより)


<神奈川県>

湘南ひらつか七夕まつり 7月7日を含む週末の5日間   ◎神奈川県平塚市
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○人出は日本一、仙台七夕とならぶ日本の代表的七夕に成長
 平塚市は昭和20年7月の大空襲で壊滅的打撃を受け、全市が焼け野原と化したが、復興は早く昭和25年7月「復興まつり」が開催された。この時期は近隣農家の野上がり(野休み)とも重なり、非常に多くの人出を見たことから、平塚商工会議所・平塚市商店街連合会が中心となって、仙台七夕を範として七夕まつりを開くことが決まり、翌26年7月に第1回「平塚七夕まつり」が開催された。昭和30年の第5回には、人出が100万人を超え、昭和38年には200万人、さらに昭和45年には300万人を突破し、仙台七夕と並び日本を代表する商店街七夕に成長した。平成5年に「湘南ひらつか七夕まつり」と名称を変え、現在に至っている。(HPより)


西小磯の七夕 8月6・7日(西小磯東地区)、8月7・8日(西小磯西地区)
◎ 神奈川県大磯町西小磯
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竹飾りを地面に叩きつけてオハライをする子供たち(撮影:溝口政子氏)
○竹飾りを集めて龍のかたちをした竹御輿をつくり、大磯の海に流す
 子供たちが前日、各家で飾った竹飾りを持って集まり、地区内の神社や道祖神の前で唱え事をしながら竹飾りを地面に叩きつけてオハライをする。その竹飾りを束ねて龍をかたどった竹御輿を作り、夜に再び地区内の神社や道祖神を回りながらオハライをする。翌朝、竹御輿を大磯の浜へ担いでゆき、海に流す。神奈川県無形民俗文化財。(佐川和裕『大磯町西小磯の七夕』民俗学論叢16号より)


橋本七夕まつり 8月上旬(金、土、日曜日の3日間)  ◎神奈川県相模原市
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○ 30万人の人出がある県北有数の七夕行事
 昭和26年に始まった祭りで、橋本商店街通りほかを歩行者天国にして行われる。色とりどりの竹飾りがならび地域ぐるみの行事となっている。毎年30万人以上の人出がある県北有数の七夕行事。(HPより)


<埼玉県>

入間川七夕まつり 8月上旬の土・日曜日の2日間  ◎埼玉県狭山市
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○江戸時代からの伝統を持つ関東有数の七夕、笹の先端に魔よけの飾り
 狭山では江戸時代から七夕が行われていたが、昭和初期、入間川の通りに面した商店や問屋の人々が竹飾りをして縁台を並べ、もてなしを始めたことが、今日の七夕まつりに発展した。現在は狭山駅西口から七夕通り商店街を中心に約1.5キロの沿道が七夕飾りで埋め尽くされる。竹飾りは商店や市民の手作りで、笹の先端に魔よけの飾り(紙の投網)が付くのが特徴。関東地方有数の七夕祭りとして知られ、毎年約40万人前後の人出がある。(HPより)


小川町七夕まつり 7月の第4土・日曜日の2日間  ◎埼玉県小川町
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○昭和24年から始まった和紙の里の七夕、祇園祭と融合させた華やかな祭り
 武蔵の小京都といわれる小川町は昔から和紙の産地として知られるが、昭和24年、和紙不振の打開策として手漉き和紙を生かした七夕祭りとして始められ、もともと行われていた上小川神社の祇園祭りと融合させた形で行われている。小川町の市街地一円で立てられた北関東有数の盛大な竹飾りの中を、歴史ある屋台の引き回し、小川町祭ばやし、七夕よさこい踊りの列が続く。夕刻より夜空を彩る数百発の花火が次々と打上げられ、県内外から多くの観光客が訪れる。(HPより)


<群馬県>

前橋七夕まつり 8月上旬(7日を含む木~日曜日の4日間) ◎群馬県前橋市
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○ 市内の20の商店街が参加する北関東有数の七夕
 昭和26年から始まった商店街七夕。市内の中央商店街をはじめ20の商店街が参加し、それぞれ異なったユニークな七夕飾りを披露し、市の中心部が色とりどりの飾りで華やぎ北関東有数の祭りとなっている。露店もたくさん出るのが特徴で、植木市、ほおずき市等も出て盛り上がる。(HPより)


伊勢崎七夕まつり 7月中旬(第3土・日曜日の2日間)  ◎群馬県伊勢崎市
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○ 昭和25年から始まる、商店街手作りの七夕飾り
 古くから織物と関係が深い伊勢崎市で、昭和25年から始まった七夕祭り。商店街の人たちがこつこつと時間をかけた手作りの七夕飾りを競う。装飾コンクールは昭和30年から始まった。子供たちの笹飾りも飾られ、会場を盛り上げる。(HPより)

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中部・東海
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<長野県>

松本の七夕 8月6日・7日  ◎長野県松本市
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○ 七夕人形を飾る全国にも珍しい七夕習俗
 松本市を中心に塩尻市・大町市の3つの市と、安曇郡・東筑摩郡一体では、七夕に七夕人形を飾る習俗がある。飾られる人形は、板製の顔の下に腕木がついた男女一対の着物掛け型と呼ばれる人形と、同じく男女一対の紙製の吊し人形で紙雛型とよばれる人形の2種類。これら人形は男女とも初児の祝いに親戚などから贈られ、座敷の前の廊下などに贈られた人形すべてを吊して飾る。着物掛け型には、子どもの着物を着せて吊す。笹竹も廊下の庭先に立てて一緒に飾る。飾るいわれは、子どもの成長、健康を願うとともに、人形に着物を着せることによって、将来もっと着物が増えるようにという願いもある。七夕人形の習俗は江戸時代からあり、人形の種類も以前はもっと多かった。(石沢誠司『七夕の紙衣と人形』より)


上田七夕まつり 8月6日~8日  ◎長野県上田市
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○ 東信地方で最大の七夕まつり
 昭和33年に始まった商店街七夕。上田市中心部の海野町商店街通りで行われる。各商店手作りの七夕飾りが多数飾られ、七夕飾りコンテストやちびっこ花火大会などさまざまな催しが行われ、東信地方の七夕では最大の人出がある。(HPより)


踏入七夕まつり「天の川」 8月6日  ◎長野県上田市
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○ 井戸の横に砂文字で「天之川」を作り、まわりを笹竹や燈籠で飾る。
上田市踏入地区で井戸の横に砂文字で「天之川」を作り、まわりを笹竹等で飾る七夕まつり。地区を通る旧北国街道沿いにある古井戸は現在、使われていないが、昔は人や馬、牛などが喉を潤し、一休みする場所であった。ここで昭和25年ごろまで毎年行われてきた井戸替えの七夕行事が平成7年に復活し、それ以降、地元自治会・公民館分館・PTAなどが協力してこの伝統行事を継承している。
 千曲川から運んできた砂を用いて、子供たちと大人が協力して「天之川」の三文字を井戸の横に浮かび上がらせるように作る。井戸を覆う屋根の柱4本に短冊を付けた笹や灯籠が飾られる。夕暮れが迫ると、砂文字の上に子供たちによってたくさんの線香が立てられると、線香の火で天之川の文字が浮かび上がり、幻想的なクライマックスとなる。(石沢誠司『踏入七夕まつり「天の川」 長野県上田市に伝わる井戸替えの祭り』HP「七夕文化」より)


<山梨県>

山梨の七夕人形・オルスイさん 7月6日、7日  ◎山梨県山梨市、甲州市
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○笹竹に飾ったあと泥棒除けになったり、お留守番をするという言い伝えがある紙の七夕人形

 山梨県の笛吹川流域の市町で、昭和30年代まで色紙で人形を作り七夕笹に飾る風習が広く行われていたが、現在でも山梨市市川、甲州市勝沼町でわずかに残っている。七夕人形は地域で多少の違いはあるが、男女2体の紙人形でおおむね胴部と長い脚からなり、頭部はV字型の切り込みを起こして表している。
 笹竹に飾ったあと、山梨市市川では翌日、笹飾りを畑の入り口(以前は田の水口)に持って行き立てておく。泥棒除けになると言われている。甲州市勝沼町では笹から七夕人形を外し、小さく畳んで紙に包みタンスの中に入れて保存する。「家を守る」「お留守番をする」という言い伝えがある。これら紙の七夕人形は、「オルスイさん」と呼ばれることが多かった。(信清由美子『山梨の七夕人形』HP「七夕文化」より』)


<静岡県>

清水七夕まつり 7月上旬(7日を含む4~5日間) ◎静岡市清水
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○商店街七夕では50回を超える歴史を持ち、飾りは紙製で美しさと暖かみがある
 昭和28年に始まった商店街七夕で、50回を超える歴史を持つ。JR清水駅から駅前銀座、清水銀座の商店街で開催される。竹と紙を使用するという七夕本来の型を守っており、美しさと暖かみのある飾りに惹かれ、大勢の観光客が集まる。(HPより)


<愛知県>

安城七夕まつり 8月上旬(第一金・土・日曜日)の3日間  ◎愛知県安城市
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○ 昭和29年、商店の夏枯れ対策で始まったのが、100万人を超える人出に
 仙台七夕、平塚七夕の成功例を参考に、昭和29年、商店の夏枯れ対策という商業振興を目的に開始された。当初の人出は30~40万人であったが、昭和41年から50万人を超えるようになった。昭和53年、東京国立競技場で開かれた全国郷土祭に、仙台・平塚とともに参加したことにより、「日本三大七夕」と広報するようになり、昭和50年代後半から人出が急激な伸びを示すようになった。平成2年には100万人を超えて現在に至っている。なお、安城周辺の西三河南部地方には、明治時代から七夕に「額」と呼ばれる立版古を木枠の台に飾る習俗があり、安城七夕の前史となっている。(『日本の三大七夕 七夕「額」飾りの世界』安城市歴史博物館より)


一宮七夕まつり 7月下旬(7月最終日曜日を最終日とする4日間) ◎愛知県一宮市
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○ 織物の街で昭和31年から始まった七夕、毛織物を奉献する大行列が見もの
 古くから織物の街として知られる一宮市で、商店街が中心になって昭和31年から始まった七夕まつり。今では市民の夏の最大イベントとして定着し、本町アーケード街を中心に飾り付けされる七夕飾りは絢爛豪華で、毎年130万人を超える人出で賑わう。さまざまな催し物のなかで、一宮市特産の毛織物を奉納する御衣奉献大行列は延々500メートルにも及ぶ大行列である。(HPより)


<岐阜県>

岐阜市の初七夕 8月7日(またはこの前後の日曜日)  ◎岐阜市周辺
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○ 切子灯籠を飾り、野菜を吊し、ナス馬を供えて初めての7歳を祝う
 初めての子が7歳になると、母親の実家から贈られた切子灯籠や提灯を縁側に飾り、軒下に立てた笹竹2本に渡した横竹にナス、キュウリ、トウモロコシなどの野菜を草紐で結んで吊す。また縁側に小机を置いてナスに脚を付けたナス馬などを作り供える。岐阜市やその東南の岐南町、各務原市などで行われる。(『岐阜市の年中行事―初七夕・山の子・同族祭祀―』岐阜市教育委員会より)


松ノ木の七夕まつり(七夕岩) 8月6日  ◎岐阜県高山市松ノ木町
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○ 川をはさんだ両岸の岩に七夕の大しめ縄を張り渡す勇壮な行事
 高山市郊外の松ノ木町で行われる七夕行事。町内を流れる大八賀川の両岸にそびえる男岩と女岩の七夕岩に、8月6日(以前は旧暦7月6日)に飾り提灯、藁馬、糸巻きを吊した大しめ縄を張り渡し、牽牛織女の二星を祀り、五穀豊穣を祈る。藁馬は男の子が生まれた家で、糸巻きは女の子が生まれた家で作る。8月6日の夜、しめ縄の提灯に灯がともり、地区の人たちによって縄が引き揚げられるさまは壮観である。(石沢誠司『高松市松ノ木町の七夕まつり(七夕岩)見学記』日本七夕文化研究所より)

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北 陸
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<新潟県>

村上七夕まつり 8月16日・17日  ◎新潟県村上市
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○町の各地区から山車が出て練り歩き、獅子舞を踊る
 村上市ではお盆のあとに七夕祭りが行われる。8月16日は宵祭りで、町の各地区が歴史の名場面などの押絵がついた山車を出す。山車は多くの提灯で飾られ、四隅に笹竹を立てる。中学生から二十代半ばまでの若者が、市域に散らばる地区と縁のある家々を回り獅子舞を踊る。また子どもの「ささらすり」による競演もある。17日は本祭りで、夜になると各地区の山車がメインストリートに集結し、祭りはクライマックスを迎える。(HPより) 


両津七夕・川開き   8月7日・8日  ◎新潟県両津市
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○子供山車などが出る佐渡島最大の祭典
 今から約120年前、両津港開港祝いに始まった子供の海の祭典。8月7日は鼓笛隊パレード、子供山車パレード、大民謡流しなど、8月8日は、人形芝居大会、鬼太鼓競演会、大花火大会などがある。佐渡島最大の祭典である。(HPより)


根知の七夕さま 7月7日~8月7日  ◎新潟県糸魚川市根知
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○ 人形やその他の飾りを綱に吊し、道を横切って飾る全国にもめずらしい七夕
 布や紙で「嫁さん・婿さん」と呼ばれる男女一対の人形、「腰元」「子守り」「荷かずき」と呼ぶお供の人形、それに嫁さん・婿さんを見物するたくさんの人形を他の飾りとともに綱に吊し、道を横切って張り渡す七夕行事。現在、根知の7地区で行われている。8月7日夜に飾りを下ろし、川の岸で燃やす。昔は川に流した。昔は子どもの行事だったが、現在は年寄り衆と婦人会が中心になって行われている。(石沢誠司『七夕の紙衣と人形』ナカニシヤ出版より)


藤塚浜の七夕祭り 8月12日  ◎新潟県紫雲寺町藤塚浜
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○夕方は子供たちが屋形船を引き回し、夜は青年たちが七夕船を担いで押し合い
 夕方近くになると子供たちが上町、下町の2台の木製屋形船を引き回す。七夕太鼓を打ち鳴らし、「タナバタサーマ マタライネンゴザレ」と歌いながら船を引く。夜には、上町、下町の青年団の若者たちが、それぞれ松の丸太と荒縄でつくった船を担ぎ、いたるところで押し合いをする。そして最後には海岸へ出て船を流す。夕方は子供の行事、夜は青年の行事と分かれているのが特徴。(小熊延幸『紫雲寺町藤塚浜の七夕祭り』高志路340号より)


村松浜の七夕まつり 8月7日  ◎新潟県中条町村松浜
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○男の子は武者人形、女の子は姉様人形を七夕船に乗せて流す
 地元小学校の体育館で、子供たちが大人の指導を受けながら、男の子は馬乗りの武者人形、女の子は姉様人形風の紙人形を作る。また大人は麦藁を主材料に七夕流しの船とおしょろ船と呼ばれる小舟を作る。できあがった七夕船とおしょろ船に武者人形と姉様人形をのせ、子供たちが校庭で「竹にたんざく七夕様よ ローソク出せ出せよ 出さねどかっちゃくぞ(ひっかくぞ) ワー、ワー、ワー」と囃しながら回り、浜へ出て流す。
 昭和30年代まで盛んに行われていたが以後、行われなくなり、近年復活した。以前は上通り、下通りの地区がそれぞれ七夕船を作り、その船を担いで神社にお参りしたのち、互いにもみ合いしてから海へ流していた。(畑野栄三『村松浜の七夕流しと武者人形と紙人形』郷玩文化135号より)


<富山県>

高岡七夕まつり 8月1日~7日  ◎富山県高岡市
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○日本海側で随一の規模、勇壮な七夕の川流しが特徴
 
江戸時代からの七夕のかたちを保ちつつ、昭和初期から商店街を中心に盛んになった祭りで、日本海側で随一の規模を持つ。基本となるのは、短冊・吹き流し・提灯を付けた笹竹飾り。特に長男が生まれた家では豪華に飾り付けをする家が多かった。高岡では女の子は雛祭りで祝うが、男の子は初七夕を豪華にした。嫁の実家の両親が初孫のために立派な七夕飾りを作る。竹を下で3本あわせ縄で括り、途中でさらに竹を足して括り全体を長くして巨大な笹竹を作る。そこに親戚知人が集まって短冊をいっぱいに付ける。しかし、こうした豪華な飾りは、最近、不況の影響もあり、あまり見られなくなった。
 高岡七夕の特徴は、最終日の7日夜に行われる「七夕の川流し」。「七夕飾りを取っておくと、ろくなことはない」といって飾りは全部流す。市内末広町通りから川流し会場の千保川にかかる鳳鳴橋までの約1キロを、七夕笹を引いたり担いでパレードする。大量の笹を流すところは、船形のみこしに組み替えて練り歩く。沿道には大勢の市民が訪れ、勇壮に進む七夕を見送り、祭りの最終日を楽しむ。この七夕流しは、昭和30年代に環境汚染の問題から中止されていたが、下流の神保橋たもとで笹を回収することで、十数年まえに復活した。(高岡市観光協会等から取材)


尾山の七夕流し 8月7日  ◎富山県黒部市尾山
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○男の子は船・行灯、女の子は姉様飾りを小川で流す子どもの七夕行事
 地区の子供たちが行う七夕行事。夏休みに入ると小学生の男の子は船、中学生の男の子は行灯、小・中学生の女の子は姉様をそれぞれ作っておき、8月7日になると、全員がそれらを持ち寄り、地区の中を流れる小川を流して歩く。女の子の姉様は胴体となる竹串を板にさし、板の四方などにさした別の竹串に紙の投網を付けるなどした華やかなもの。七夕船、七夕の灯籠、七夕人形が残っている貴重な行事。県指定無形民俗文化財。(石沢誠司『七夕の紙衣と人形』ナカニシヤ出版より)


上村木七夕祭り 8月6日・7日 ◎富山県魚津市上村木
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○屋形舟を担ぎ、ナマハゲのような人物が現れる七夕祭り
 JR北陸線の魚津駅に近い上村木地区で行われている七夕祭り。大正3年(1913)、上村木(当時の加積村)の少年たちが、入善町吉原の屋形船御輿をかつぐ祭りにヒントを得て始めたといわれる。8月6日の宵祭りをへて、8月7日は昼過ぎから太鼓を積んだリヤカーが祭太鼓を叩きながら町内を触れまわる。夜になると、触れ太鼓および屋形船を担いだ男たち、家庭で作った七夕飾りを持った人たちが行列を作って町内から魚津駅前を練り歩くが、この祭りの特徴は、天狗や狐などの仮面を付けた「あじろ」と呼ばれるナマハゲのような人物が多数、行列について歩くことである。彼らは色染めしたテープ状のカンナくずを、頭には頭髪のように、肩・腰には蓑のように付け、手には木刀や長刀を持って歩き、子供たちを見つけると厄を払い強い子になれるようにと抱いたりする。行列は最後に上村木町内の公園に戻り、花火が打ち上がるなか、屋形船や「あじろ」たちが、公園を走り回ってフィナーレとなる。屋形船は当初、竹・木の骨組みに杉の葉を付けていたが、軽量化のため緑色に染めたアジロ(カンナくず)を採用した。さらに平成17年からは舷に緑のシートをはり内側からライトアップする新型の屋形船を用いている。(HPより)


福光ねつおくり七夕祭り 7月の土用の3番 ◎富山県福光町
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○子どもたちが主体の虫送り系の七夕祭り
 7月の土用の3番(土用の入りから3日目)に行われるイモチなどの病虫害除けを祈願する虫送り系の七夕祭り。この日、イザナギ、イザナミの両神をかたどった「じじ」「ばば」と呼ばれる紙人形を高瀬舟(紙張子の舟)に乗せ、正午過ぎから威勢良く太鼓を打ち鳴らし、田んぼの間を練り歩く。子ども達が五色の短冊を飾った笹竹で稲田を払い、「おくるわ~い、おくるわ~い、熱おくるわ~い」と、はやしながら集落をくまなく回り、最後に豊作を祈って、人形を舟とともに小矢部川に流す。
 江戸時代から行われているこの「熱送り」は、貴重な民俗行事。全国的には「虫送り」と呼ばれることが多い。農村の行事であるが、祭りの主体は村部から町部へも拡がり、商店街では華やかな七夕飾りが行われ、各種の関連行事とともに祭りを盛り上げている。(HPより)



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近 畿
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<京都府>

冷泉家の乞巧奠(きっこうてん)  旧7月7日  ◎京都市上京区
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○ 星の座を前に雅楽の演奏、和歌が朗詠される京都・冷泉家の伝統行事
 藤原定家を祖先に持つ和歌の家・冷泉家が行う七夕の行事。歌の門人が中心となって行われる乞巧奠は、南庭に設けた祭壇(星の座)を前にして、雅楽の演奏が行われ、続いて和歌が朗詠される「披講の座」、天の川に見立てた白布をはさんで男女が和歌を即興で詠み交わす「流れの座」が行われる。祭壇には、海の幸、山の幸、琴や琵琶の楽器が置かれ、その周囲に灯台、五色の糸と布、梶の葉、秋の七草、角盥などが配置される。乞巧奠は明治時代に、冷泉家の21代当主・為紀氏によって平安王朝の行事そのままに復興された。一方、冷泉家では夜になると家族の七夕行事として、七口の火口がある手燭に灯心を入れ火を灯して、家族各人が七夕の和歌を詠む「二星(たなばた)」と呼ばれる行事が行われる。(冷泉為人『五節句の楽しみ 七草・雛祭・端午・七夕・重陽』淡交社、 藤本孝一『冷泉家の乞巧奠』文化財報98号より)


白峯神宮の小町踊り 7月7日  ◎京都市上京区
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○地元の少女たちが元禄風の衣装で七夕踊りを奉納
 白峯神宮で7月7日に行われる「精大明神例祭」で奉納される七夕踊り。この日、蹴鞠の奉納に続き、地元の5歳から12歳の少女が元禄時代風の衣装を身につけ、地域に伝わる小町踊りを奉納する。この踊りは江戸時代の元禄年間に京都の女児が七夕に踊り歩いたという伝承をもとに、1962年に白峯神宮が復活させた。江戸前期の京都の行事を記した『日次紀事』には、「今日、洛下の児女、帯を結び襷(たすき)と為し太鼓を打ち、踊躍(おどり)を催す」と書かれている。(京都新聞ほか)


北野天満宮の七夕祭 7月7日  ○京都市上京区
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○ 御手洗祭と称し道真遺愛の松風硯などを神前に並べ、古式による祭典を行う
 この日の午前、御手洗祭と称し、祭神・菅原道真遺愛と伝える松風硯・水差し・角盥を神前に並べ、左右に梶の葉7枚、茄子・胡瓜・みたらし団子などを供え、古式による祭典を行う。道真が七夕に歌を詠んだという伝承にちなみ、文芸上達を祈願する祭とされる。午後は氏子の七夕祭で、三光門に氏子の願いをしたためた短冊を飾った笹竹を立て、幼稚園児が七夕の歌の踊りを行う。江戸前期の京都の行事を記した『日次紀事』には、「北野神社御手水 今暁、北野松梅院、御手水を神前に献ず。松風の硯に穀葉(かじのは)を添え、之を供す」と書かれている。(『京都大事典』淡交社、他より)


<大阪府>

機物神社の七夕まつり 7月6・7日  ◎大阪府交野市倉治
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○ たなばた姫を祀る機物神社が、昭和54年に復活した七夕まつり
 機物神社は、5~6世紀の頃に養蚕・機織りの技術を持った秦氏が渡来し、これらの秦物(はたもの)たちが祀ったことから、この名称がついたとされる。祭神は「天棚機比売(あめのたなばたひめ)大神」ほかで、同神社の古文書には以前7月7日に例祭があったと書かれていたことから、昭和54年に復活された。当日、境内には高さ5~6メートルの笹竹が約40本立てられ、願い事を託した五色の短冊が飾られる。(HPより)


<兵庫県>

姫路の七夕紙衣 8月6・7日  ◎兵庫県姫路市の播磨灘沿岸の地域
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○初七夕の子どもを祝い、2本の笹竹に紙衣を通した細竹を渡して飾る
 姫路市南部の妻鹿から高砂市曽根にかけての播磨灘沿岸の地域に、初めて七夕を迎えた子どもを祝って、七夕に紙衣を飾る習俗がある。紙衣は、二つ折りの模様紙を着物のかたちに切り抜き、別の紙で帯をつけたもの。地元の人は、七夕さんの「着物」という。8月6日、座敷に面した庭に短冊をつけた笹竹2本を立て、これに紙衣を通した細竹を渡して飾る。翌日になると笹竹は海に流す(現在は流さず回収する)が、紙衣は保存し翌年も使う。(石沢誠司『七夕の紙衣と人形』ナカニシヤ出版より)


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中国・四国
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<島根県>

大東七夕祭り 8月6日  ◎島根県大東町
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○笹竹を手に七夕の歌を歌いながら町内を練り歩く、江戸時代から続く行事
 江戸時代、七夕の晩に寺子屋の師匠が、子供たちに笹竹に短冊や提灯をつけて持たせ、行列をして歩かせたところ、それが町中の評判になり、やがて大東の七夕行列となって続けられるようになったと云われている。8月6日の夕方、浴衣、ハッピなど、さまざまな衣装で着飾った子供たちは、短冊と提灯をつけた笹竹を手に、「さーい さーい さいさい てんてこさんの七夕さん てんてこさんの七夕さん 七夕さんを送くーわ 七夕さんを送くーわ」と声を張り上げて歌いながら、各地区で作る大提灯や山車とともに町内を練り歩く。これが終わると、町の裏側を流れる赤川堤防で打ち上げ花火をする。夏休みの子供たちの最大の行事である。(HPより)


久見の星祭り 8月7日  ◎島根県隠岐郡五箇村久見
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○ 子供たちが星形のアンドンを持って、村のなかをまわる
 8月7日の晩、地区の子供たちがあらかじめ作ったホシとよばれる星形のアンドンに、ろうそくの火を灯して村のなかを回る行事。これに太鼓たたきの子どもが続く。翌朝、もう一度村回りをしてから、破損したアンドンや供え物の残りが、子どもたちによって海上に流され、祭りは終わる。この星祭りには虫送りの要素も認められる。(天野武『子どもの歳時記』岩田書店より)


<山口県>
山口七夕ちょうちんまつり 8月6・7日  ◎山口市
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○ 夜は10万個の提灯にロウソクの火が灯され、街は紅い灯のトンネルになる
 山口市の繁華街を中心にくり広げられる七夕祭り。月遅れの8月6日・7日の両日、昼は色とりどりの短冊が飾られ、夜は約10万個の提灯にロウソクの火が灯され、街は紅い灯のトンネルになる。ローソクが燃え尽きるまでの約2時間が祭りのピーク。また7日には、市民総踊り「やまぐちMINAKOIのんた」で熱気あふれる踊りが披露され、大内御輿(殿御興1基、姫みこし1基)・新山笠が巡行する。毎年約10万人の観光客で賑う。
 この祭りの由来に、室町時代、先祖を祀った大内氏の盆提灯が、都ぶりを移した七夕の行事として、いつしか町の家々にひろまったという伝説がある。しかし大内氏の頃、細川幽斎が山口に立ち寄った時の紀行文『九州道の記』(天正15年・1587)には、「六日に舟来(舟木)という在所まで行て七日に山口に至りぬ。今夜は七夕のあふよ(夜)なりと思い出て、暁がたの寝覚に、七夕の別の袖にくらべみよ露なからかす旅のころも手(の一首を詠む)。翌八日所々寺社見めぐりて…」とあるのみで、提灯のことは書かれていない。また藩政期末、村々の様々な事柄を注進した史料『防長風土注進案』の山口の項にも七夕の行事についての記述は見当たらない。
 紅提灯の記述が見えるのは明治になってからで、明治18年8月18日の防長新聞に「一昨夜は旧暦七夕なれば当所には例年の通り軒別に七夕竹を立て、昼は短冊(でも一二丈ある)の風に翻(ひるがえ)るは銀河の流れかと思はれしも、夜の提灯は中々以て銀河の星の数どころではない。一本の笹に多くは百五十、少なくも三十に下らぬ提灯を釣るしたれば其の奇観はコレハコレハとも言われず、只(ただ)口を開いてながめる計りなりし」とあり、紅提灯が市街を彩った様子が記録されている。
 その後、商工会が山口繁栄策として七夕の笹飾りに力を入れ、本町筋が連合して軒毎に昼は短冊飾り、夜は紅提灯を吊した。第二次大戦を挿んで一時中止していたが、昭和25・6年頃から復興し、漸次その数を増し10年後の昭和35年頃には笹竹二千本、紅提灯七万個までに復興した。その後もいろんな趣向を加え現在に至っている。(HP、『山口市史 地区篇』、『図書館やまぐち 52号』他より)


<香川県>

金刀比羅宮の七夕鞠 7月7日  ◎香川県琴平町
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○表書院前の鞠場で華麗な技を参拝者に披露する
 「こんぴらさん」の愛称で親しまれる金刀比羅宮で、毎年7月7日に奉納される蹴鞠。これは5月5日の奉納蹴鞠、12月下旬の納め鞠とともに年3回おこなわれる奉納蹴鞠のひとつで「七夕鞠」と呼ばれている。当日は表書院前の鞠場で、金刀比羅宮蹴鞠会の奉納で華麗な技を参拝者に披露する。5月5日の奉納蹴鞠とともに一般公開されている。明治以降中断していたが、昭和7年に再興された。県指定無形民俗文化財。(HPより)


<愛媛県>

内子笹まつり 8月6日~8月8日  ◎愛媛県内子町
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○50回を超える四国を代表する七夕
 平成19年で第50回を迎えた四国を代表する七夕祭り。約100本の豪華な笹飾りが内子本町通りのおよそ1キロにわたって飾られ、笹飾りや笹踊りのコンクール、相撲大会、ちょうちん行列などの多彩なイベントが行われ、毎回約3万人の見物客でにぎわう。昔なつかしい佇まいを今に残す内子の町並みと商店街手作りの七夕飾りが訪れる人々の目を楽しませてくれる。(HPより)


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九 州
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<福岡県>

八幡古表神社の乾衣祭(おいろかし) 8月6・7日  ◎福岡県吉富町
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○ 「細男の舞」で傀儡子が身につける衣装を虫干しする行事

神衣の虫干し(大谷京子氏提供)
 4年に一度行われる夏季大祭・放生会に奉納される「細男(くわしお)の舞」で舞をする傀儡子が身につける衣装を虫干しする行事。江戸時代までは、着物は代々の中津藩主やその一族が奉納したが、明治以後は一般の氏子からも婚礼、誕生などの祝儀にあたって奉納されている。これら奉納された神衣が約1000着、社殿内で何段にも組まれた物干し棹に掛けられ虫干しされる光景は壮観である。(HPおよび、大谷京子『七夕の紙衣を連想させる「神衣の虫干し」行事』郷玩文化143号、より)




<大分県>

大分七夕まつり 8月最初の金・土・日曜日  ◎大分市
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○府内戦紙(ふないぱっちん)とよばれる山車が人気、近年急成長したまつり
 大分市では、昭和26年から商店街の七夕祭りが行われてきたが、昭和57年に市内4つの祭りを統一して新しい七夕祭りとして出発した。祭りの一環である市民ミコシの巡行に昭和60年、大分商工会議所青年部が電照をしつらえた山車を製作して参加したところ評判となり、以後、毎年参加するにつれ同じような山車での参加団体も増え、今では20基をこえる参加があり、この七夕まつりの最大の呼び物に成長した。この山車は「府内戦紙(ふないぱっちん)」と呼ばれる。「府内」とは大分の古い呼び名、「ぱっちん」とは「メンコ」の大分方言、山車の武者姿や昇龍が内部の照明により青森ねぶたのように鮮やかに浮かびあがり、ぱっちんの絵を連想させることから命名された。
初日に府内戦紙のパレード、2日目に「ちきりんばやし」の踊りと各神社ミコシの練り歩き、3日目は花火大会と盛りだくさんな行事があり、大勢の人出で賑わう。近年急成長した七夕祭りである。(HPより)


<熊本県>

木々子(きぎす)の七夕綱張り 8月6日  ◎熊本県坂本村中谷
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○ わら細工の飾り物を付けた40メートルの綱を中谷川に張り渡す
 坂本村中谷の木々子(きぎす)地区で、毎年8月6日に行われる七夕行事。長さ約40メートルの縄に、わら細工の卵、牛用のわらじ、たわし、タコなどの飾りと、布製の織姫・彦星の人形を付け、天の川に見立てた中谷川に張り渡す。綱張りは、9月1日の八朔(月遅れ)に取りはずして焼却する。(熊本日々新聞、2003年8月6日より)


下白木の七夕綱張り 8月6日  ◎熊本県芦北町下白木
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○ わら製の人形、牛の履き物、ツト入り卵などを吊した綱を天月川に張り渡す
 芦北町下白木地区で、毎年8月6日に行われる七夕行事。長さ約30メートルの縄に、わらで除虫ぼうき、わらじ、牛の履き物、ツト入りの卵、男根を強調した人形などを作って吊りさげる。それを6日の夜半に天の川に見立てた天月川にまたいで渡される。綱を伝って織姫と彦星が会うのだといい、また無病息災や豊作を祈願するのだともいう。かつては旧芦北郡内の30ヶ所ほどで見られたが、今では下白木地区に残るだけ。(熊本日々新聞、1997年8月8日より)

以上