奥浜名湖の歴史をちょっと考えて見た

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遠江国引佐郡式内社(4)大煞神社(「さつ」の「れんが」無、以下同)

2022-05-04 19:23:25 | 郷土史
『遠江国風土記伝』は御嶽山権現社が大煞神社旧地か、と書きます。禁足地で、里人は昔大蛇が住んでいて、多知須というと述べた。正保(1644~48)図牒には蛇王山とあります。その山麓に滝沢村があり、訓は太都佐で大日堂を祀る。これは神社が廃れて堂としたのか、と述べています。また滝沢村に洞窟があり容易にはいれず、尋常の地ではないことをにおわせています。
 つまり、御嶽山権現社と滝沢村大日堂と二つの候補(論社)をあげているのです。「御嶽」は修験の聖地大和国吉野の金のミタケからとったものです。この神社の谷を挟んで東3,4百メートルに奇岩重なるタチスの峰があります。ここからは遠く富士山も見え、三方原台地が一望できます。いわば、太陽祭祀の場でもあり、国見の場でもあります。「タチス」はおそらく古くは「タツサ」で、「龍佐」、「サ」は社あるいは蛇で龍の社、龍蛇神を意味すると思います。滝沢が古代に式内社となるような神社祭祀ができるほど開かれていたとは思えません。
 「煞」はれんががなくても「殺」であろうと考えられ、この神が寿命を司る神でもあったことを示しています。龍蛇は水神・雷神でもあります。すなわち、人々の生活全体を左右する神だったのです。この里宮が渭伊神社で、春になると白岩のうなぎ井戸を介して出現し、やがてタチスの峰に帰っていく神だったのです。この関係は、タチスの峰からちょうど冬至の太陽の沈む方角に当たります。