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酒造コンサルタント白上公久の酒応援談 

日本文化の一翼を担い世界に誇るべき日本酒(清酒)および焼酎の発展を希求し、造り方と美味さの関係を探究する専門家のブログ。

牛の角を矯めて牛を殺す

2017-04-20 21:29:27 | 総合
最近カビ臭いという品質クレームがある。カビを使った酒だから麹(カビ)の匂いがあってしかるべきだがカビだと思ったら拒否するらしい。気にしていなければカビの匂いはスルーするのだが、殊更にカビの匂いに神経を注いでカビ臭を探せばあるだろう。一杯目にカビ臭を感じ2杯、3杯となってもカビ臭を感じるのは問題だがいささか神経質に過ぎるのではないだろうか。
麹の匂い
1 突きはぜ老麹  シイタケの匂い、抹香、線香のような匂い。この麹で作った酒はうま味と重厚な深みがあり、キレもよい。
2 総ハゼ麹    やや甘い香り、老すとカビ臭。通常活性炭素ろ過するのでカビ臭は問題ない。
3 柔らかい(水分過多)麹   老ねるとカビ臭が出やすい。通常活性炭素ろ過するのでカビ臭は問題ない。
問題は1の麹である。吟醸はほぼこれである。無濾過も多いのでカビ臭が取りざたされる。かといって微妙繊細な味わいを殺す活性炭素ろ過はしない商品の特性が失われるからである。

ここ数年突きハゼ老麹を使っていた有名銘柄から麹の匂いがほとんどしなくなった。これらの蔵にもカビ臭クレームがあるのだろう。突きハゼ老麹は臭いを出すために老なしているわけでないうまい酒を造る最大条件である麹の力価を上げるためである。若出しの麹では味がプレーンになってしまう。縛らしかった酒がプレーンになっていくのは残念なことである。

日本酒の麹の香りは牛の角のようなもの切り取るわけにはいかない。その角の下には清酒の味わいという本体がある。

甘辛ピンは死語かもベタ甘ぶとい酒

2017-01-07 21:41:24 | 総合
上等な日本酒を口に含めば控えめな甘さがあり辛さがやってくる。口の中で酒を転がすとうま味と酸味が広がり苦みが味の広がりすぎを〆る、飲み干すと名残りの味と香りが酒のあったことを余韻となって飲兵衛を癒す。
最近はそうとも限らないようだ。平成の初めころからベタ甘の酒が注目を浴びプレミアム価格で出回るようになった。最近は特にベタ甘と強烈な吟醸香の酒を絶賛するする向きがある。上品さは何処へやらベタ甘のぶといのど越しがたまらないようだ。酒は世とともに変わる。ベタ甘酒をきき酒してみれば技術者なら造るのは簡単だ。上品な酒造りにきゅうきゅうとしてきた技術者や作り手は呆けてしまう。山田錦も五百万石もいらない。超絶技巧も不要だ。市場が望むならそれは良い商品だろう。なにせ喉から手が出るほど販売を待っている消費者がいる。良い酒イコール良い商品とは限らない。

酒造りの技術史メモ書き(その1)

2017-01-07 08:50:07 | 総合
何かの参考にしていただきたい。

1 神話時代   やしおりの酒、大蛇退治伝説。やしおりは八回仕込んだ意味だが、やは八で修辞語で再(しおり)仕込みした濃い酒、上等な酒。
2 万葉時代   待ち酒  来客接待時に飲み頃になるよう醸した酒。おもてなしの酒。
3 奈良時代(710~784)
初期 長屋王の屋敷跡から清酒(すみさけ)を氷室の氷で冷やして飲んだと記述した木簡が発掘された。(新聞記事より)
4 平安時代(794~1185)
酒についての文献は平安初期の令集解(りょうのしゅうげ)と延喜式がある。坂口氏は宮廷の酒と呼んだ。宮廷外でも酒は造られていたはずだが文献がない。
<延喜式>(905年 令集解と同時期に書かれた。)の白貴、黒貴
建物・・・酒殿、臼殿、麹室各1
精米・・・女4人で1石を搗精・・・・臼殿・・・・白米を使用
麹は「よねのもやし」と呼ばれるバラ麹
製法・・・・飯、よねのもやし及び水を甕に仕込み10日位でできあがる。
  白貴はそのまま、黒貴は臭木(くさき)の灰で中和したもの
 これは万葉酒の待酒のように当時としても原始的な酒で例外的。
その他
  濃い仕込みの酒、水の代わりに酒を使用する酒、小麦麦芽を加える酒(甘い酒)麹の割合を高めた甘酒のような酒・・・・・高級酒
 頓酒(とんしゅ)、熟酒(じゅくしゅ)、汁槽(じゅうそう)・・・・汲み水歩合の高い味の薄い酒(下級役人用)
濃い酒の造り方
  米と麹を何回にも段掛けした酒
漉す
  槽(ふね)と袋で搾る。
醸造用道具
  甕(みか)、甕の蓋、槽、木曽(こしき)、木臼、杵、箕、樽、桶、ひさご

平安末期から貨幣経済(清盛の宋銭輸入)、手工業が発達
 酒造りの担い手は朝廷から公家、寺社へ・・・僧坊酒

酒造りの技術史メモ書き(その2)

2017-01-07 08:49:48 | 総合
6 課税
鎌倉時代
正和(1312~16年) 神社の造営料等として臨時に公家が酒屋に課税
室町時代
貞冶(1362~67年)    禁裏の財源として酒麹売課役
1371 足利幕府は酒屋に酒壷1につき200文を徴収
1393 酒屋に対する寺社の課税を排し幕府が課税規定制定

7 酒の発展   
<京の酒>
柳酒屋・・・・質・製造量・価格とも最高の酒。柳酒屋以外の酒は田舎酒と呼ばれた。
麹の製造販売特権・・・北野神社の座
2005年京都市の中学校跡地で酒倉跡(常滑焼の壷を埋けた穴が200)が発掘された。
<僧坊酒>
  天野酒(河内国長野。天野山金剛寺)
  菩提泉、山樽、南酒、奈良酒(大和国菩提山寺、興福寺大乗院の末寺)
僧坊酒のやや後の時代
  百済寺酒(近江愛知)、摂津西宮・兵庫の酒、越州豊原の酒、加賀宮腰の菊酒、筑前博多の練貫酒、伊豆江川の酒・・・・・

<御酒の日記>
16世紀初頭に書かれ内容は南北朝から室町初期の酒造りの口伝を覚書したもの。二段掛け法から三段掛け法、濁酒から清酒に変化していく過程が書かれている。
菩提山の秘法としてもとの造り方が書かれている。・・・菩提もと、水もと
二段掛け法
 白米1斗、麹6斗、水1斗で「もと」を造り、白米1斗を掛ける(他に水と麹が入る?掛けの原料はもとと同量か?そうであれば「もろみ」はかなり濃厚である。)。
仕込み
①白米1斗を(水に漬け?)一晩よく冷やし、②翌朝よく蒸す。③麹を6升と人肌温度で合わせる。④夕方冷えた水と作入水(湯か?)で(水温を)人肌とし1斗をこれに加え、コモをかぶせ6日置く。⑤(その間)仕込んだものを丁寧に昼2度攪拌する。⑥辛みが出たら水麹する(水と麹の量が不明。本朝食鑑では麹6升、水8升。後出)とともに(水麹の前に)米1斗を蒸してよく冷ましたものを用意しもろみに入れる。⑥その日から1日に2度攪拌する。混ぜ木は除き、(桶に)蓋をする。
<多聞院日記>(1478~1618)奈良興福寺の多聞院の僧英俊の日記
  酒造りの記述は1568、69年の夏酒と正月酒の仕込みについてある。
 夏酒は2月末に仕込まれ5月にでき6月末に火入れ樽詰めされ酒造の主力。正月酒は9月末に仕込まれた。(正月酒のモトは菩提モトで品質は夏酒に劣る。)
夏酒            正月酒
 仕込み容器         壷(容量2~3石)      同左
 もと仕込み         2月末           9月末
               1斗6升
 もと(酉元)の期間 15~20日           7~8日
 添え            3斗
 踊り期間          10日            なし
 仲添と留添       連日に仕込む。       添、仲、留連日に仕込む。
              7斗6升
 留後もろみ日数      約20日            
 上槽          酒袋を使用
 火入れ時期         5~6月

(注)仕込み量及び方法が幾つかの仕込みの都度異なっている。精緻な技術でなく都合やもろみの状態に合わせて仕込んでいると思われる。2段仕込みもあれば3段仕込みもある。

1582年 酒10石の入った桶に17歳の尼さんが落ちて死んだという記述。
1596年 火入れ酒(火煎、夏酒)より諸白(冬酒)のほうが欲しいという記述あり。                            
酒1に対し米3で交換する。(冬酒は正月酒のことか?冬酒は寒造りへの移行期か?)16世紀末には10石造りの諸白が冬に造られていた。冬酒。大桶の実用。

酒造りの技術史メモ書き(その3)

2017-01-07 08:49:31 | 総合
8 江戸時代
<日本山海名産図会>(1800年)
  新酒(秋の彼岸ころに仕込む)、間酒(新酒の次に仕込む)、寒前酒、寒酒
  寒酒が一番よい。価格も高い。
<万金産業袋>(1800年)
  寒造りがよい。時期は小寒(1月上旬)から雨水(2月中旬)の間
この頃は池田伊丹に代わり灘に中心が移っていた。


((参考)) 中国の酒造技術
<詩経>(孔子(551~479BC)の編と言われる。)
酎法:搾った薄い酒に原料を仕込み、濃い酒にする方法。みりん、やしおりの酒
<斉民要術>(北魏の農業書 東魏に変わり6世紀前半に完成)
(酉殳:そえ)法:もとに何回も原料を投入し微生物汚染の少ない濃い酒を造る方法。餅麹、小麦を原料とした麹が記載されている。


<童蒙酒造記>(1684~87)
(江戸初期の)酒造りは奈良流(諸白)が根源である。諸流はこれが起源である。としている。  
<本朝食鑑>(1695)宇都宮の平野必大著
 南都諸白は
  もと(酉元)    蒸し米1斗、麹7升、水1斗4升。育成に陀岐(暖気)を使用。
  添え、仲、留め  各、蒸し米1斗、麹6升、水8升 
  注:全体の麹歩合は38.5%、汲み水歩合70%の濃厚仕込み

<和漢三才図会>(1714)大阪の医師寺島良安著
 本朝食鑑、和漢三才図会両書とも京都の酒は甘すぎ上戸は好まないと記している。
<伊丹諸白>
 1740年伊丹酒が将軍の御前酒となる。銘酒の座を射止め「丹醸」ともてはやされた。元禄のころはピークに到達。山本氏(木綿屋)の「老松」、筒井(小西)氏の「富士白雪」、八尾氏(紙屋)の菊名酒が有名。
伊丹諸白仕込み配合(日本山海名産図会(1800)による。)
        もと    添え    仲     留     合計
 蒸し米    5,00    8,65   17,25    28.5     59,4(斗)
 麹米     1,7     2,65 5,25    16,00     25,6(斗)
 米計     6,7 11,3 22,5 44,5 85,0(斗)
水 4,8 7,2 12,8 19,2 44,0(斗)
 麹歩合    25,4 23,4 23,3 35.9 30,1 (%)
 汲水歩合 86,0 76,5 68,3 51,8 62,1 (%)
この仕込を行うには20石の大桶が必要。南都諸白に比べ大量生産できるようになった。添え仲留め仕込みの量が次第に拡大し現代に近くなった。汲水は詰まっている。
灘酒’(1848年 御影 嘉納治郎右衛門の仕込)
        もと    添え    仲     留     合計
 蒸し米    6,00    9,00   18,00    36.00    69,0(斗)
 麹米     2,00     3,00 5,6     10,40    21,0(斗)
 米計     8,00 12,00 23,6 46,40 90,0(斗)
水 7,20 9,00 23,8 50,00 90,0(斗)
 麹歩合    25,0 25,0 23,7 22.4 23,3 (%)
 汲水歩合 108,0 90,0 121,0 129,3 120,0 (%)
現代の仕込み配合に近い。麹は3割、水は十水になった。3割麹とは蒸し米10に対し3の割合の麹量をいい麹歩合約23%に相当する。十水とは1石の米(約150キログラム)に仕込水1石(180リットル)を使用することで汲み水歩合約120%に相当する。
<伊丹諸白の衰退と灘酒の発展>
伊丹では足搗き精米(八分搗き、飯米程度)が行われていた。灘では六甲山水系の急流を利用し水車精米(精米歩合75~65%)が発達した。水車精米は高精白が可能な上、生産性が高く、一の水車場で1日2.4トンの精米ができた。高精白米が可能になったことで米の溶解が良くなり仕込の汲み水歩合が大きくなった。精米技術の差が伊丹における酒造を衰退に向かわせた。(優位性を求め伊丹から灘へ業者が移動したのではないか。)
酒造用米(心白大粒米?)は一般米より高値であった。
宮水の発見(1840)(注:単なる良水というだけでなく硝酸イオンを含んでいることが重要。生もとでもとが造られていたということ。水道法は硝酸イオン濃度を規制している。)
もとの育成日数は30日くらいであったが、19日に短縮する技術も出現した。
(注:早湧きは良好なもとにならない。現在でも25日以上かけている。)
仕込み桶は30石(5.4 KL)の大桶が使用された。
寒造りの製造期間は冬季100日間に限定されていた。

酒造りの技術史メモ書き(その4)

2017-01-07 08:49:07 | 総合
9 近代酒造技術・もと
<速醸もと>
乳酸馴養 最新清酒連醸法   江田鎌治郎 明治45年2月15日発行
乳酸使用量(原書は尺貫法で書かれている。)
90kgもと(総量180リットル)に150~300ミリリットルを少量とし、300~500ミリリットルを中量、500~800ミリリットルを多量とする。酵母添加加酸速醸(現在の中温速醸)もとには多いほど効果があるとし、汲み水108リットルに480~650ミリリットルを推奨している。仕込み温度20度の速醸もとでは熟練すれば400ミリリットルでよいとしている。現在の乳酸使用量は多量ということになる。
  注:筆者は焼酎もろみが腐造した蔵で蔵内を清掃し、1次もろみに汲み水100リットルあたり乳酸200ml添加し発酵させたところ健全な1次もろみ    ができ、腐造は完全に収まった。2次もろみには乳酸は添加しない。汲み水100リットルあたり乳酸200ml添加でも乳酸の腐敗防止有効性が認    められた。
汲み水歩合120%、麹歩合28.5%
注:乳酸(比重1.21)の値段360ミリリットル1円50銭(明治44年米価60kg6円強)
生もと(普通もと)、山廃もとにも乳酸の使用を薦めている。少量もしくは多量がよいとし少量で効果ありとしている。(注:野生酵母汚染の可能性あり。)
<山卸廃止もと>
山卸廃止もとは醸造試験所で明治40年から試験(試験に使用された米は精米歩合89%)され、半切り桶を使用せず壷台で仕込む。手もとからもと寄せまでの操作を省略。代わりに水麹、荒櫂で済ます。
<水もと>(菩提もと)
  製造は温暖な時期に適する。
製法
① 酒母蒸し米の10%の白米を洗い飯又は粥をつくる。
② 酒母蒸し白米の残りを洗い、①の飯をザル又は布袋に入れ一緒に酒母仕込水に浸漬する。
③ 1日2~3回飯ザルを振り、糊分を溶かし出す。浸漬は数日続ける。
④ 酸味と渋みが出てきたら白米を分離し、よく洗い蒸す。水は仕込水とする。
⑤ 蒸し米、麹及び仕込水を併せる。数時間で醗酵が始まる。
⑥ 仕込水には乳酸菌及び酵母が存在する。欠点は優良酵母が生じるとは限らず品質が良くない清酒になる。
(注:仕込み配合は記されていない。他の書でも優良な酒になるという記述はない。桿菌の乳酸菌および家付きの野生酵母が生じる。)
水もと(菩提もと)は関東、東北、中国、四国地方で行われている。

<普通もと>(生もと)
仕込み配合 蒸し米75kg(5斗)、麹 30kg(2斗)、水108ℓ(6斗)
      麹は4割麹(28.5%)汲み水は8.57水(歩合102.8%)水は蒸し米の硬さ、気温で適宜増減する。
① もと立て:半切り桶6~10枚に蒸し米、麹及を等分に取り水を加えながら木片(爪という。)でよく混ぜる。このとき加える水は半切り1個当たり5合~1升(0.9~1.8リットル)を残しておく。もと立温度は5~8℃とする。
② 手もと:もと立後3~8時間後半切り桶の水分が米に吸水された時期に行う攪拌作業である。冬期で2、3時間ごとに行う。気温が高いときはもっと頻繁にする。
③ 山卸:蕪(かぶら)櫂で半切り桶の米を擦り下ろす。3人一組で行い、1人は箆(へら)櫂を持ち、巴状に櫂を桶に入れ作業する。一番櫂を5分入れ、数時間後毎2番櫂、3番櫂を入れる。各10~15分行う。最後に残しておいた水を加え均一にする。エキス分は17,8%が適当である。エキス分は水で加減する。
④ もと掻き:山卸後もと寄せまで2時間毎に箆櫂で攪拌する。
⑤ もと寄せ(折込):半切りを合併する。山卸後3~4日で行うが1日で行うところもあるが寒冷地では2~3週間かけるところもある。
⑥ 打瀬(休ませ):暖気操作するまでの期間。無しのところから2週間まであるが、通例1~3日である。この期間は2~4時間毎に櫂入れを行う。6~8℃が適温で10℃以上は避ける。
⑦ 暖気操作:糖化及び成酸を促す。暖気の湯温は50~60、70~80、80~90℃、熱湯と逐次上げていく。地方により行火も行われている。品温の上昇は1日2℃とする。暖気操作は一様の形式でなく状態により経験を踏まえ適宜行う。甘味が不足する場合は温度を高め、甘味が過剰の場合は品温上昇を緩やかにし櫂入れは軽くする。湧き遅れとなり、液面が鏡面となったときはぬるま湯を差し薄め、他の良いできのもとがあれば加える。
⑧ 膨れ、湧き付き:酵母の増殖とともに酒母が膨らみ醗酵が盛になる。温度は18~20℃である。ボーメは14、5である。暖気操作後膨れまでは5~6日(本)である。
⑨ 暖気(湧き付き)休み:酵母の増殖を促進する。品温は21~25℃である。1~2日。高泡をなす。
⑩ 温み取り:落ち泡となり甘味が乏しくなったら熱湯暖気をいれ、品温を32~33℃まで急昇させる。バクテリアの絶滅と糖分の食いきりが目的である。
⑪ ギリ:灘では温み取りの前に冷水から熱湯暖気を使い分け品温をゆっくり上昇させる。櫂入れで代用することもある。櫂は激しく入れる。
⑫ もと分け:もとを半切り桶に分け品温を落とす。温み取り後15、6時間がよい。適当な状貌は櫂に米粒が付かない、玉泡がある。甘味がなく、僅か苦味がある。
⑬ もと戻し、枯らし:もと戻し後7日で熟成とし使用する。枯らし中は1日数回櫂入れをする。
灘もと製造経過
1日目   もと立て   午後7時30分     品温7℃
      手もと    午後9時
2日目   山卸一番摺  午前3時
        二番摺  午前5時40分
        三番摺  午前10時
      合せ     午後2時          7℃
3日目   打ち明け   午前2時          7℃ 半切り8枚を壷台に入れ菰を巻く。
      2時間毎に櫂入れ
4日目   暖気(76℃) 午前5時入れ、午後0時抜き  7    10℃
      暖気(91℃) 0時半入れ、午後5時半抜き       15℃
5日    暖気(91℃) 午前3時入れ、午後1時50分抜き     17℃
      暖気(?℃) 午後2時入れ、午後7時40分抜き     19.5℃
6日    暖気(85℃) 午前3時半入れ、正午抜き        20.5℃
      暖気(91℃) 正午入れ、午後8時抜き         25.5℃
7日    暖気(92℃) 午前3時入れ、午前10時半抜き      26.8℃
8日    高泡                          25℃
    暖気(63℃)  午後6時入れ、            25.5℃
9日    暖気(?℃)  午前7時半抜き、同時入れ、午後2時半抜き25℃
    暖気(91℃)  午後2時半抜入れ、温み取り      
午後7時抜き、同時入れ        27.5℃
10日    暖気(90℃)   午前1時抜き             33℃
       分け       午後8時        正午34.5℃、分け32.5℃
11日     戻し       午前9時             20℃ 
12日                               14℃
13日                               10℃
14日     熟成

(参考)
早湧きと思われる。硝酸イオンの重要性が判明したのは大正6、7年になってからである。
以下「続灘酒」(灘酒研究会・灘五郷酒造組合)からの抜粋
① もと立て:仕込み100キログラムに対し半切り桶6枚を用意し、均等に蒸し米、麹を配分する。仕込み温度は8~10℃を守る。温度が低すぎると糊気が出る。また、硝酸還元菌、乳酸菌の生育が抑えられる。結果として早湧きとなる。汲み水は100リットルとするが、半切り1枚につき2リットルの水を残しておく。
埋け飯:蒸し米は柔らかい場合を除き行う。蒸し米を25~30℃まで冷まし、半切り桶に取り、上から布を掛け数時間放置し、仕込み時に所要温度まで布上に広げて冷却する。
② 手もと:元たてから5~6時間後蒸し米、麹が水を吸い切った状態になったとき爪で攪拌する。糊気を出さないように行う。高精米(注:70%精米程度か)の場合は1度でよい。
③ 山卸:元立てから15~20時間後の深夜行う。一番櫂は半切り1枚につき3人で10~15分間蕪櫂で擦る。二番櫂は数時間後2人で7~10分、三番櫂は二番櫂の数時間後に同様に行う。作業後桶に付いた物量は掃除し、布で清潔に拭く。4,5番櫂は1人で行う。高精白米は糊になり易いので加減しながら擦る。品温は5、6度が良い。
④ 折込、もと寄せ:2、3日かけて半切り桶2枚を1枚に、合併し、最終的に全量壷代に寄せる。温度は5、6度、ボーメ12~12.5、PHは中性。2~3時間毎に箆櫂で攪拌する(もと掻き)。
⑤ 打瀬:3~4時間毎に3~40本の櫂を軽く入れる。品温5、6度、高すぎると亜硝酸の生成が早く消失も早い。低ければ遅れるボーメ12~3。
⑥ 暖気:亜硝酸生成、乳酸生成

山廃もと
① 壷代に麹と水をいれ、水麹とする。蒸し米投入前2時間。壷代は保温しない。
② 蒸し米を入れ、品温を13~15℃とする。
③ 5、6時間後荒櫂を入れる。
④ 暖気入れは仕込み後6~7日目からする。気温が高い場合は3~5日目にする。品温は暖気入れ前には5~6℃になっている。暖気の湯温は6、70℃とし、日々5~10℃上げる。
⑤ 8日目膨れ、品温20℃
⑥ 9日目湧き付き、高泡 22℃
⑦ 10日目ギリ     25℃
⑧ 11日目温み取り   33℃
⑨ 12日目もと分け、戻し 20℃
⑩ 17日目熟成

注:現代の山廃と異なる。生もと、山廃もとともに亜硝酸生成について述べていない。同時代に生もとにおける早湧き現象における硝酸イオンの役割が解明されている。菊正宗の生もと期間は短いことから宮水を使用していなかった可能性がある。
参考
「続灘酒」(1988年)記載例では汲み掛けを行っている。初暖気は5日目。

赤もと
 生もとや山廃もとが赤くなる現象。赤色酵母(ロドトルラ)が繁殖して赤くなる説が唱えられているが、経験上、仕込み温度が高く蔵や仕込み桶道具が不潔で雑菌(シュードモナス属)が過剰繁殖したことが原因と思う。熱湯暖気を入れると樽肌付近のもとが赤く発色する。何度も暖気を入れし櫂入れすると徐々にもと全体が赤蒸し(シュードモナスが原因原因)のように赤みを帯びるようになる。赤くなる点だけが通常の生もとと異なるだけでアルコール発酵はする。シュードモナスの腐敗臭は強く感じ糠みそ臭、甚だしい場合はどぶ臭、腐敗臭といわれる。

その他もと
高温糖化もと、あま酒もと等その他諸々の酒母の造り方(研究データ)が紹介されている。

近年の酒造技術
日本各地に酒造技術者の勉強会、研究会が作られ、技術情報の持ち寄り、開放的で活発な意見交換、研究成果の発表があり各地の酒造技術の向上に資していた。残念なことに平成時代になると技術を各社が囲い込むようになり活動が低下している。
平成時代に入るといよいよ杜氏が衰退し経営者技術者従業員による独自品質清酒の躍進が見られる。21世紀に入るとますますこの傾向は顕著となった。

酒造りの技術史メモ書き(焼酎)

2017-01-06 08:52:05 | 総合
焼酎・粕取焼酎・柱焼酎(酒造史 山下勝から)
江戸時代
粕取焼酎が主体でもろみ取り焼酎は少ない。もろみ取り焼酎は変敗もろみを蒸留したものが多かった。童蒙酒造記に「替わり(変敗した)酒に灰と少量の水を入れ、蒸留した焼酎は濃くて良い焼酎である。」、伊丹満願寺家伝では「もろみに使う(入れる)醤酒(焼酎)は粕取でよいが、清酒に使う焼酎は一旦酒にしてから蒸留した焼酎でなくてはならない。」としている。伊丹小西家(白雪)の文書に柱焼酎として使用したものは二度蒸留したものでアルコール分は20数度(山下の推定)である。日持ちしたとの記録。全部が全部の酒にしていたかは不明。江戸時代の味醂製造の焼酎は粕取焼酎が使用されている。焼酎は柱焼酎(甘辛調整)、味醂等酒類原料、薬用(1663~9新潟小林家の上方の酒造技術調査)以外に飲用需要も江戸後期は高まっている。江戸末期には東海地方の殆どの酒屋で清酒とともに焼酎、味醂を製造していた。
なお、南九州の焼酎は粕取りとは異なり、琉球泡盛、鹿児島焼酎は家康への献上品であり、別途発展した。
明治時代
粕もろみ取り焼酎があった。これは酒粕に水と酒母を加え醗酵させたもろみを蒸留したもの、バラ粕に水を散布し桶に踏み込み数ヶ月置いたもの(再醗酵する。)を蒸留したものが明治以降現在まで製造されている。
焼酎(粕取り)は江戸時代から大正時代までは高級な酒として存在したが、戦後の混乱期に粗悪な焼酎(工業原料アルコール、メチルアルコール)をバクダン、カストリと称した。粕取り焼酎は粗悪なアルコール飲料の汚名を着せられ、安酒の地位に甘んじ、長く廃れていた。
2000年以降第3次焼酎ブームが起き九州の本格焼酎は高級酒としての地位を得つつある。これに伴い2002BY辺りから清酒メーカーに粕取り焼酎生産意欲が出てきた。


ゲスな女は愛される

2016-12-27 15:41:06 | 総合
 1年ほど前本屋で平積みされていた本のタイトルだ。美人でつつましい人が愛されるというのが一般的であるが、この本は正面切ってゲス擁護だ。手に取って中身は見なかったので実のところはわからない。
 これでふと思ったのがゲスな酒が売れている・・だ。売れているという酒をみると納得する酒は少ない。過剰な吟醸香、苦み、渋み、雑味(刺激)甘辛酸のアンバランス、どこか以上に不満がある。人間の顔は左右対称ではない。左右のバランスが取れていないので親しみを与える。そんなそんなアンバランスを喜ぶ味わいではない。ゲスいのだ。つまり刺激過剰で鬱陶しいどこまでもまとわりついてくる。こんなのは余韻ではない。悪女の深情けゲスい味なのだ。いい酒は味わいが豊かでもすっと消えるものだ。ゲス酒の擁護をする気持ちはまったくない。きき酒で技術的な特徴を見てとっても昔の駄酒造りレベルである。2日前のことだが技術者なら経験ある流通業者なら絶賛する酒を否定しゲス酒を絶賛するネット書き込み(酒専門サイトではない、本人は心からそう思っているのだろう)に、その酒が技術者の存在を半ば否定する酒であるというショックは隠せない。技術者は挑発されている。

虫混入報道

2016-12-27 10:08:28 | 総合
有名銘柄の純米大吟醸酒に虫が混入していたというネット報道があった。酒をビンに充填しキャップを締める間に飛び込んだと思われるということだ。回収して一件落着ではなく、ネット虫というものがこの記事にわんさか飛び込んできた。まともな意見が多い中相変わらずの無知、誤解、偏見、中にはためにする書き込みもある。以って他山の石となすべし。賛美の裏にジェラシーが垣間見える。

鑑評会と品評会

2016-05-31 20:02:33 | 総合
なんだか違いがよくわからない鑑評会と品評会。品評会は品物(商品)や動物を一堂に集め品質や姿の優劣を評価する会である。鑑評会という言葉は酒の鑑定官が作り出した造語である。鑑評会という言葉は酒にしか使わないので世間でなじみはなかった。ところが納豆鑑評会なるものがあるのを極最近TV報道で知った。どういうことで鑑評会という言葉使ったのか興味のあるところである。

鑑評会の意味は日本酒などの味や品質を鑑定する会と辞書にある。少し前は辞書に載っていなかったのである。辞書でも対象が酒に限っている。優劣を競うのでなく鑑定する会なのである。まさにそのとおり。鑑評会の審査員は酒の鑑定ができる者、酒の鑑定書が書ける者に資格が与えられるのである。無資格者が入る審査員団の行う審査会は鑑評会でなく品評会と称すべきであると思う。

全国新酒鑑評会

2016-05-20 14:59:15 | 総合
成績発表があった。予想どおり予選落ちであった。理由ははっきり言えば審査にある。出品した酒は純米の無濾過である。香味の問題はない。個性の強い純米なのでアル添本醸造の前には不利である。なぜ不利なのか。審査は異質(変わった)なものを避けそこそこな物を選ぶ。当然純米酒は味が濃く新酒では荒さが目立つ。
数年間、全国新酒鑑評会の品質評価と製造する酒の品質設計思想が違うのだから出品はムダと出品することに反対していた。あにはからんや。入賞名簿に純米酒を出品したと思われる超有名蔵の名前もなかった。審査は訓練された有資格審査員の合議制とするのが妥当と思うが。もちろん審査において本醸造酒か純米酒の情報を示すのは当然である。品質特性を理解するのは最低限の能力である。

日本酒を変えたのは

2015-12-29 10:26:51 | 総合
 日本酒の歴史は長い。奈良時代に清酒(澄み酒)はすでに存在した。現代に近い品質になったのは江戸時代後期、産地が伊丹池田から灘に移った200年くらい前のことだろう。精米技術が進歩し仕込み配合も現代とあまり変わらない。品質に大きな転換があったのは太平洋戦争の半ばに増量目的でアルコール添加だ。この酒は大変辛かった。戦後甘さを補うためブドウ糖や水あめを添加する三増酒が認められ安価で酸味が薄まり甘くて飲みやすい酒質となった。昭和45年(1970年)頃になると三増酒への攻撃が始まり、清酒の生産量は昭和50年をピークに40年間清酒は減り続けている。

 昨今ようやく減少から横ばいの気配が見えてきた。何が起こっているのだろうか。現在では糖類を原料とした清酒の製造は可能だがほとんど生産されていない。本醸造や純米酒が増えている。より本物への業界努力の結果である。現在品質向上消費者ニーズを取り込んでいった結果純米大吟醸が最高の酒という評価が定着した異論はないと考える。
 現在の大吟醸の隆盛をもたらしたのは月桂冠株式会社の開発したセルレニン耐性酵母選択分離技術である。この技術で開発された清酒酵母は従来ではありない強烈な吟醸香(果実様香)を出す。現在日本の大半の吟醸酒の製造にはセルレニン耐性株の技術をベース開発された酵母が使われれている。日本ばかりか海外の日本酒コンシューマーはこの酵母が出す果実香(リンゴの香り)に憑りつかれている。この発明なしに日本酒の生き残りすら危うかったかもしれない。

 現在の市販酒の吟醸香(カプロン酸エチル)の濃度は高いものだと10PPM前後であり強烈である。30年前では鑑評会大吟醸酒ですら検出されないものが多かった。異次元の酒である。現代の消費者はより刺激の強い香味の酒を求めているようだ。

醪(もろみ)の米は麹で溶ける。

2015-12-05 14:33:05 | 総合
 日本酒醪の蒸米は麹の酵素で溶ける。当たり前だが今さながら麹の実力と米を溶かす適性を思い知らされた。昨年の造りは全国的に米が良く溶け、溶けすぎないよう対策が必要だった。米が溶けやすいのは米質が柔らかいからというのが従来からの説だ。ところがである。

 関与している酒蔵では昨年の作りでは溶けずに粕が多かった。今年もである。なぜか。昨年から酵素力が従来より低い麹(品質意図あって製麹の経過を変えた)に変えた。不足分を酵素剤で補っていたはずだが米が溶けない。麹歩合を18%から21%に上げても溶けにくい。酵素剤の酵素は麹の酵素とは違い米を溶かすにはさほど強力でないことが疑われる。麹が変わったので当然酒質はかなり変り酒質的には意図したとおりだったが。

清酒でのマロラチック発酵

2015-11-13 10:15:02 | 総合
 今週のNHKクローズアップ現代で最近の日本酒の製造が杜氏から若い経営者等に代わり様々な取り組みが行われていると言う特集が取り上げられていた。その中で清酒でマロラチック発酵したお酒が人気だという話題があった。マロラチック発酵は赤ワインでリンゴ酸(マロン酸)を乳酸(ラクチック酸)に転換し酸味を減じる貯蔵中に進行する乳酸菌による発酵として知られている。日本酒で言えば火落ちみたいなものであるが、渋く酸っぱい新酒赤ワインを穏やかな酒質にし高級ワイン製造で実施されている。腐敗でなく発酵である。これを日本酒で実施した商品だという。
 日本酒にはリンゴ酸はほとんど存在しない。なぜマロラチック発酵なんだろう。日本酒ではむしろリンゴ酸を増やししっかりした酸味を得るためリンゴ酸多産性の酵母が開発されている。まさかこれを使ってマロラチック発酵というという??なことはないだろう。まさにミステリー。NHKは技術的裏付けをしてもらいたい。言い分だけを受け売りするなら報道機関としてありえないレベルだろう。NHKは技術的裏付けをして報道すべきだろう。
 火落ちは日本酒では厄介な酒の病気だが、多くの火落ち酒を見てきたが中にはいけるじゃないかという火落ち酒もあった。火落ち菌もよい菌を選別し品質をコントロールすれば個性的な酒を造れる可能性はある。

等外米

2015-04-10 07:24:39 | 総合
 日本の米は農産物検査法に基づいて品質等級が付けられる。食用米は1~3等の等級があり、酒造好適米は特上、特等、1~3等の5段階だ。格付けされないそれ以外の米はクズ米だ。日本酒で特定名称(純米酒、本醸造酒、吟醸酒)をラベルに書く場合は等級に格付けされた米を使用しなければならない。クズ米の用途は食品(味噌、焼酎、ビール、米菓、飼料等)の原料だ。もちろん清酒に使うこともあるが使用実態は不明だ。昭和50年代の日本酒の安売り乱売時代には安さが売りの酒(品質審査の無い2級酒として売られていた)はこれが使われていた。日本酒業界にとって同業者の所業であっても屑米(等外米)は業界信用に関わる打倒すべき敵であった。製法品質表示基準は級別制度の廃止で清酒の品質が守られなくなる恐れがあり誕生した。級別制度(国による品質保証制度)に代わる品質表示(業者の品質保証)でこれらの低品質清酒と一線を劃すためと消費者保護の観点で誕生した。

クズ米で清酒を作るとどうなるか。色は濃く、匂いは悪く、味は渋い、苦いで飲めたものではないがアルコールや糖類で薄めたり味付けし、活性炭素で脱色脱臭していた。また、クズ米と一口に言っても3等米に近いものから鶏またぎ(鶏でも食べない)と言われる低品質のものまであり、クズ米の専門業者も多数あった。現在もある。米を作ればクズ米は出る。良い物をの陰には外れた物が出る。忌避するのではなく適正に処理することは必要だ。

等外を謳った日本酒が発売されたのは一種のカルチャーショックである。一杯890円もする。大吟醸クラスの高級酒の部類だ。飲んだ人の話によれば品質はいいという。腐っても鯛、等外でも山田錦か。もちろん品質を落とさない製造技術があり品質保持の流通もある。

参考(ウィキペディアより)
食用米においては、整粒歩合70%以上を一等米、60%以上を二等米、45%以上を三等米とする。
酒造好適米(品種指定された酒造米)においては、整粒歩合90%以上を特上米、80%以上を特等米、70%以上を一等米、60%以上を二等米、45%以上を三等米とする。
整粒とは、対象とする米から、欠け米、割れ米、死米、未熟米、異種穀粒などを除いたものをいう。