塩坂研究所研究日誌

日々徒然なることを。脳からダダ漏れに。

HAMACON2備忘録/3 1日目前半

2005年07月24日 06時26分38秒 | 日常
 0時頃寝て、2時半に目が覚める。
 なんか眠れず、mixi見たり。
 朝までうだうだして、ロイホで朝食。

 9時入場、設営再開。オペレータ連は自分マシンをセットアップし、私は基幹ネットワークから自分マシン、受付マシンのセットアップをしていく。
 「この列だけ、インターネットに繋がりません!」「なにぃ!」
 …ごめんなさい。ハブとルーターが繋がっていませんでした。
 「データサーバーに繋がりません!」「なにぃ!」
 …ごめんなさい。電源系配線手直ししたときに、一旦元から電源抜いてネットワークディスク落ちたままでした。
 「受付マシンが不調です!」「なにぃ!」
 これが結構難問だった。塩坂が持ち込んだ受け付け用マシンのうち、iMacは使い方が分からないのでほっぽっておいたが、Win1号機はサーバーに繋がるがカードリーダーが動かず、Win2号機はカードリーダーが動くがサーバーに繋がらない。竹内2号機は竹内さんしか使い方が分からない。
 …何やねんそれ。
 あわてて受付で四苦八苦していた古市のヘルプに入る。応急処置として、神北さんからUSBメモリを2本借りて、2号機で持ち込みメディアから吸い上げ、1号機についた古市に渡して、サーバーに送ると言う手をとる。

 最初の波を乗り切ったところで対策開始。
 1号機のカードリーダーは電源ランプすら点いていない。側板あけて、内臓USBコネクタを別のコネクタに挿し直す。復活した。
 多分、メディアを抜くときかUSBメモリを外す時に、「ハードウェアを安全に外す」で、カードリーダーを外してしまったのだろう。
 2号機はサーバーだけでなく、インターネットにも繋がらない。「ネットワークセットアップウィザード」をかけて再起動で解決。
 受付系マシンのトラブルは、解決。iMacは動いていないままだけどね。

 トラブル解決して、受付が流れ出したら、一気に楽になった。
 そのまま受付技官をやっていたが、受付のデータ吸出しが暇なので、プリンタ接続してオペレータ兼任と言うことに勝手にしてしまう。
 でもシール作ってると、たびたびデータ吸出しが入るので、あんまり進まない。

 そんなこんなで、結構忙しくしていると、G-CONでの借りを労働で返しに来た木原さんが暇そうにしている。
 「なんか仕事くれよー」とな。マシンも受け付けも受け渡しも分配も、人員的には全部間に合っている。
 「崎陽軒のシウマイ弁当15個買って来い!」お昼も回ってたしね。
 「買ってきた、次は?」
 「タイムテーブルを調達して来い。」
 あの会場であの時、最も不足していたものの一つである。

 

HAMACON2備忘録/2 前日設営

2005年07月23日 13時41分03秒 | 日常
 とりあえず、ファンラウンジのシール企画予定場所に物資運び込む。おーおー。さすがに車3台に満載された荷物だねえ。
 どうも、会場交渉担当が提出した図面に従って、会議場係員が大まかに机と椅子を並べて置いてくれたらしい。でも、旧図面が会場交渉担当に渡っている事もあり、まずは測量しなおし。
 今回は1月に企画申込書を出した時点から、6mx10mの場所を得ているが、その確認。どうも短辺が1m足りないので、その修正から行うことにする。まあ、引渡し時なんてそんなもんだしね。

 巻尺だけでなく机も駆使してバミっていると、HAMACON2事務統括兼企画統括がやってきた。
 「あー作業止めて、部屋のこっちがわ借りてへんから。」
 は?
 HAMACON2会計もやって来た。
 「HAMACON2には、この時間この場所を借りる予算が無いんです! そのあたりの事情を汲んでください!!!」
 いやそんな事言われたって、設営に手間と時間がかかることはシール企画担当と入念に打ち合わせの上、前日に設営していいと言う許可は取ってるんですが。
 「誰がそんなこと言った!! ○○か!!!」
 ……あー、何この幹部連。実行委員会内での情報伝達が出来ていない上に、責任を現場に押し付ける気満々だわ。
 おまけにその人は企画副統括で、シール企画の担当であったことは一度も無いってのに。

 結局、飛んできた会場交渉担当兼機材担当兼シール企画前担当が、パシフィコ側の責任者に再確認して、作業続行になった。

 今回のHAMACON2は、2007年のスタッフ育成の場でもあるという。
 でも、それで育成されたスタッフは、いざと言うときに上層部が現場に責任を押し付けてくると分かって、2007年に残りたいと思うだろうか?
 また、上層部は今回が「スタッフ育成の場」だけではなく「上層部の指揮能力プレゼンの場」であり、自分達の発言・一挙手一投足が注目されていることを理解しているだろうか?

 ところで、翌日配られたスーベニールブックによると、事務統括兼企画統括が事務統括に、企画副統括が企画統括になっていた。
 はっはっは、「企画の情報を押さえ込み、企画タイムテーブルを一人で作り、真夜中に企画担当に電話指示を出す。」のは企画統括だよね。
 会計の役職も、結構変わっている。
 なんかなー、ひょっとしたら編集のミスかもしれないけど、事実は変わらないしなー。
 どうも今回のスーベニールブックは、あまり経験の無い人が作ったらしいからね。
 だって、ゲスト・オブ・オナーの紹介ページで、同じページの中に論理矛盾が発生してるもん。
 抜粋しようか。野田昌宏さんのページ。
 「~私も先月一杯で日本テレワーク相談役をリタイアして、~」(本文)
 「日本テレワーク㈱元代表取締役(現在は相談役)」(紹介文)
 ね。経験浅いか、読書量足りないかのどっちかでしょ?

 会計も、どの時点かは知らないが大幅に経費削減をしたらしい。具体的金額は全く知らないが、機材費は「G-CONの半分」らしいし。
 まあ、その締め付け政策の影響か、「機材担当の知らないところで、企画に必要な機材も削ってしまった」と言う痛ましい事故もおきているし。

 バミりも終わり、机を並べなおしていると、SF大会歴史展示をしていた山本さんがやって来た。
「使こうて無かったら、コンベックス貸してくれへん?」
「コンベックスて何です?」
「…お前が手に持っとるのは何や?」
「…巻尺」
…いや、普通分かりませんて。

 部屋を借りているのは21時までらしいので撤収。スーベニールブックが届いたのは、20時50分らしい。
 結局、机の間の粗配線までしか出来ず、ネットワーク基幹部の構成まで出来なかった。マシンのセットアップや動作確認なぞ、夢のまた夢。
 それがあんなにも翌日の企画始動時に響くとは。。

 夕食に出るが、メチャクチャ気疲れしてメニューを決める気力も出ない。なんか全員同じメニュー。
 ホテルの部屋で駄弁ってから、翌日に備えて0時頃就寝。

HAMACON2備忘録/1 搬入

2005年07月22日 00時23分36秒 | 日常
 7/15金曜日。
 午後半休で15時半に会社から戻り、なんやかんやで家を出たのが16時半。
 18時にはシール企画の場所であるファンラウンジに搬入し、他の面子はスーベニールの袋詰め手伝い、塩坂と他に1~2名でシール企画のバミり、ワイヤリング、設営を出来るところまで。と言う打ち合わせが出来ている。まあ、スーベニール詰めの担当者の為だ。バミりは人数少ないほうがいいかもしれないしね。

 とりあえず、ホテル(シールのバックオーダー作業の為、物資運搬を考えてインターコン)の駐車場に車を入れ、チェックイン。
 駐車場は出し入れ自由で、2泊で48時間まで有効なサービス券がつくが、車を出す度にホテルのベルキャプテンに券をもらわないといけないので、手続きはかなりめんどくさい。後から考えると、多少時間を食っても、搬入口につけたほうがよかった。 

 てっきり、ホテルやパシフィコの駐車場と、物資搬入口は、地下で繋がっていると思っていた。が、どうも搬入用の入り口は別らしい。
 てなわけで、駐車場の通路に車を停め、人力で段差を超えて台車&リフトで搬入する。
 「ああ、搬入口の案内が一言有ればなあ」と、つくづく思った。我々のように迂闊だったり、地理不案内な人が多い大規模イベントでは、こういう気配りが大事になる。ましてや、下見になど全く来られず、日本語も読めない海外在住者の為のワールドコンをやるのであれば。

 でも、翌朝、「搬入出口」と書いてあるのを見て、「あれは「はんにゅう・でぐち」と書いてあって、どこかに「はんにゅう・いりぐち」があると思っていた」と、二人ばかり言っていたのは、結構間抜けだった。「はんにゅうしゅつぐち」です。

大会から帰った。

2005年07月18日 01時05分57秒 | 日常
SF大会から無事帰宅。マシン接続も終わって書き込み。

やー、いかに今日の横浜港大花火大会の交通規制を切り抜けるかいろいろやったけど、まさかそれが裏目に出るとは思わなかった。
18時から規制で、16時に車出しちゃって規制区域外の親戚の家に置き、30分ほど歩いて戻ったら既にクロージング終わってて、17時半にはみなとみらい脱出できたもんな。タクシーで車に戻ったのが間抜けなんだけど。

シール企画そのものは大成功。もちろん反省点はある。これは後日。疲れてるからね。大会参加記も含めてまとめなきゃいかんのだろうなあ。
やっぱ、考えて意見を出し合って考えて試してみて考えて必要なものを無理しても調達して考えて、その結果だと思う。

大会そのものはねえ。うーん、表面的にはある程度うまくいったように見える、かも知れない。始める事が出来て、終わることが出来たと言うレベルで。

事前に考えられるトラブルの種が有って、駒八会で「まさかこんなの引っかからないよなあ」と笑い話にしていたのが、ことごとく引っかかっているとは思わなかった。

簡単な一例を挙げると、会場撤収時、いや普段も会場内にゴミ箱が無い。ごみ集積所の案内も、今年4月に変わった横浜市の分別方法も全く案内されていない。「ごみはお持ち帰りください」と言う訳でもないらしい。
とりあえず我々は、紙・プラ・瓶・缶・ペットボトルで分けて、大変心苦しかったが、企画のエリアであるその場に置いてきた。
なので、それに関して実行委員会が心証を害することがあると思う。でも反論する用意はいくらでもある。
こちら側がやったやむをえない非道はそれくらいか。


いやいや、参加者もしくは関係者としてはともかく、研究者としては行く末も含めて非常に興味をそそられるものであるよ。

バトンがバトンが。

2005年07月02日 02時00分24秒 | 日常
ミュージックバトンを回したここのきから、コミックバトンと読書バトンが帰ってきた。
うひー。めんどくせー。

いやでも類似企画とはいえ、この手の自分を見つめなおす作業と言うのは面白いね。

コミックバトンから。

■あなたのコミックの所持数は?
分からない。

だってさー、持ってる本を合わせると6立方メートルくらい余裕であるよ。
そんなもん数えるほうが無理だって。ましてや小説とコミックの分別なんてとてもとても。
ま、一度全部棚に並べて蔵書録作ってみたいとは思うけど、いつになることやら。

■ 今読んでいるコミックは?

意味不明。
今追いかけているものと言うことで。

荒川弘 鋼の錬金術師
津田雅美 彼氏彼女の事情
荒巻義雄・飯島祐輔 新旭日の艦隊
赤松健 ネギま!

この辺はいいでしょ。説明なくても。

大河原遁 王様の仕立て屋

この人は、苦労人だよ。
初めて知ったのは多分高校のとき。フレッシュジャンプの読みきり「ロンリーアーミー」だったはず。
そのころのペンネームは『大河原正敏』だった。
ところでその頃、月刊マガジンで「修羅の門」を始めたのが『川原正敏』。偶然とは恐ろしい。
大人の事情だったんだろうねえ。その後、週刊少年ジャンプで「かおす寒鰤屋」が10週で打ち切られたときには、今のペンネームだった。

■最後に買ったコミックは?

6時間前に買った「ひんでんブルグ『おしおきの時間』」
14時間前だと「島本和彦 炎の筆魂 三」「水兵きき『みかにハラスメント』」

■よく読む、または思い入れのあるコミックは? 5冊?

上に上げたのを除くと

浦沢直樹「MASTERキートン」
曽田正人「シャカリキ」
この2つは、読者として好きなもの。

ぢたま某「好きだけど好きだから」
琴吹かづき「RAPE ME」
世棄犬「DOG MAN}
この3つは、編集者として苦労させられたもの。


で、読書バトン。

■部屋にある本棚の数

1つ。取り壊し予定。

えーっと、6立方メートルの本は押入の下半分に1間半と、ダンボールに入れて別の部屋に約半分の3立方メートル。
そんなもの本棚に収められません。
で、「自室スチール棚林立計画」を立てたら、ウチ建てた建築事務所に、「2階でそれやると普段は保つけど、地震の時に床抜けるからやめれ」と言われた。
で1階でそれをやろうと計画中。しばらくは無理そう。

■最初に買った(読んだ)本

記憶に無い。読んでたのはあるけど、もらい物だったはず。

漫画以外か。うーん。小説だと、多分

高千穂遥 ダーティペアの大逆転

のはず。
ちょうどアニメ化されたときの新刊だったんじゃないかな。

■今読んでいる本

須賀しのぶ 流血女神伝 砂の覇王8 集英社コバルト文庫。

9まで読んだら続きを読むか、
秋月こお フジミ交響楽団シリーズ バイオリン弾きの弟子たち 
になるかは分からない。

■良く読む本、または特別な思い入れのある本を5冊

SF以外でか。ファンタジーも駄目?
田中芳樹と笹本祐一と火浦功と榊一郎と秋山瑞人と新井素子と小野不由美は禁じ手かい!

浅田次郎 天切り松闇がたり
トム・クランシー 恐怖の総和
宮部みゆき 火車
京極夏彦 魍魎の匣
ジェフリー・アーチャー 目指せダウニング街10番地

まとめて

たけうちさん

ふじさわさん

ふるいちさん

すどおかおるさん

やまもとひろしさん

へ。池田さんこの手の嫌いらしいし。