19日14時ごろ。石巻で竹内さんと別れ、さてこれからどうしようという事になる。
「奥松島のほうに走って、浜焼きの店があったらそこで昼飯でいいんじゃないか?」
「いいんじゃないすかね。」
てなわけで奥松島まで下道。途中矢本のショッピングセンターに寄ったり、空自松島基地の前を通ったり。
奥松島入り口で、神北さんは絶景に大喜びで写真を撮っている。大層お気に召した模様。
「この後どうしようか。」
「まだ日が暮れるまで時間あるし、奥松島一周してから決めません?」
「そうだな。」
てなわけで一周。
とある漁港では、釣り人ならば根性で行く崖下突堤で、神北さんが死にそうな顔して引き返してくる。
「片手はカメラでふさがってるし、突堤には時々大波がかぶるし。」
一周しても浜焼きの店は無い。
「どうしましょう。正直、一昨日の夜から魚がずっと続いてるんですが。」
「じゃ、仙台で牛タンにしよう。」
「いいですねえ。」
と、奥松島から高速で仙台に。
仙台港北インターを降りて、仙台駅裏の繁華街へ。目指すは仙台牛タン焼きの元祖「太助」。
近くのパーキングに入れて徒歩。通りから少し入った所で店を見つける。「食べる事に集中する為、読書等禁止」の張り紙など、頑固親父のラーメン店のような雰囲気。
早速牛タン定食。
炭火で焼いた牛タンに麦飯、テールスープにキャベツの漬物というのが定番か。脂が多く旨い。
ただ、この旨さなら必ずお代わりをするであろう神北さんが動かない。まあ、牛タン高騰してて追加で取ると結構高いからね。
店を出たところで、神北さんが言う。
「おいしかった?」
「はい。」
「ニセモノです。」
「なにィィィ?」
店名を見ると、『旨味 太助』とある。つまりは、開祖の息子だか弟子だかのノレン分けした店らしい。
路地をもう少し奥に入り、『味 太助』を見つける。こっちが今は亡き開祖の店。
もう一回牛タン定食。
焼き方はこっちのほうが焦げが多い。その分さっぱりしている。テールスープはマイルド。
店内には地元のAMラジオが流れ、家庭的な雰囲気。
心行くまで牛タン焼きを堪能し、仙台駅を出発したのが大体17時。国道4号を南下する。
途中、国道6号との分岐(電車で言うと東北線と常磐線の分岐)で渋滞したものの、順調に南下する。
「どこまで行く?米沢にいい温泉があるんだが。」
「とりあえず福島まで行ってから考えません? カーナビと宮城県の地図はあるんですが、福島県の地図が無いんですよ。」
「じゃ、目標は福島駅で。駅近くの本屋で、地図を手に入れよう。」
と、行きあたりばったりにチェックポイントが決まる。
「『萩の月モドキ評論家』としては萩の月を買わねばならんのじゃ』と言い残して神北さんが寝てしまったため、まっすぐ東北道を南下しながら専売店を探す。松島や仙台では結構見た店だが、なかなか見つからない。
仙台を出てしまうんじゃないかという最後のところで、『萩の月』『笹かまぼこ』『三色モナカ』の複合店が見つかった。
買い込んでついでに少し休憩。南下を続ける。
福島駅前に着いたのは21時ちょっと前。
郡山に向かうか米沢に向かうか、地図を見て決めようと本屋を探すが、東横インの看板を見て気力が萎える。
チェックインしてiMacを運び込み、一通りmixiなど確認してから下調べ。
「まっすぐ南下すると郡山。西に行くと米沢。南西には会津若松がありますね。」
「なに、会津若松?」
神北さんがひらめいたらしい。
「会津若松から裏道通って那須塩原に入り、ニュー塩原で風呂だけ入ってくるというのはどうだ?」
「面白い、乗った。」
てなわけで大体決まり。
翌20日朝、ホテルで出すおにぎりと味噌汁の朝食を取り、7時半ちょっと前に出発。
非常に順調に国道をひた走り、会津若松に着いたのが9時。コンビニで休憩。
ここでこの旅最大の危機に陥る。
トイレに紙が無い。
こんな古典的なトラップに引っかかるとは思わなかった。
何とかトラップを脱出し、山道をひた走る。
途中、谷にへばりつく様にある温泉地で、神北さんが写真を撮ったり。
福島と栃木の県境にある道の駅で少し休憩を取ったり。
懐かしのホテルニュー塩原に着いたのは11時。思っていたよりも早い。
入ってみると、大改装中の東館だけでなく、西館もちょこちょこ改装中。
風呂から上がって、スープ入り焼きそばの店、釜彦へ。
「スープ入れ焼きそばと焼きそばはどう違うんでしょう?」
「よし、試そう」
各自にスープ入れ焼きそば1人前づつと、焼きそばとスープとソースカツどんは半分づつ。
焼きそばは普通の焼きそば。
「このあとどうします?」
「莉緒ちゃんの顔見にいかね?」
「じゃ電話を。あ、電波届かない。」
「こっちも駄目だ。」
と東北道に向けて下山。アグリパル塩原から電話をして、行ける所まで下道で行こうと一般道を南下。
4号線に戻った時点で渋滞がひどく、矢板から東北道。
栃木の熊さんの家に着いたのは14時半ごろで、15時にはおいとましていた。
その後、順調に東北道を走り、浦和の神北さんのところに着いたのが16時半。
いやいや、時間以上に長い旅でございました。
「奥松島のほうに走って、浜焼きの店があったらそこで昼飯でいいんじゃないか?」
「いいんじゃないすかね。」
てなわけで奥松島まで下道。途中矢本のショッピングセンターに寄ったり、空自松島基地の前を通ったり。
奥松島入り口で、神北さんは絶景に大喜びで写真を撮っている。大層お気に召した模様。
「この後どうしようか。」
「まだ日が暮れるまで時間あるし、奥松島一周してから決めません?」
「そうだな。」
てなわけで一周。
とある漁港では、釣り人ならば根性で行く崖下突堤で、神北さんが死にそうな顔して引き返してくる。
「片手はカメラでふさがってるし、突堤には時々大波がかぶるし。」
一周しても浜焼きの店は無い。
「どうしましょう。正直、一昨日の夜から魚がずっと続いてるんですが。」
「じゃ、仙台で牛タンにしよう。」
「いいですねえ。」
と、奥松島から高速で仙台に。
仙台港北インターを降りて、仙台駅裏の繁華街へ。目指すは仙台牛タン焼きの元祖「太助」。
近くのパーキングに入れて徒歩。通りから少し入った所で店を見つける。「食べる事に集中する為、読書等禁止」の張り紙など、頑固親父のラーメン店のような雰囲気。
早速牛タン定食。
炭火で焼いた牛タンに麦飯、テールスープにキャベツの漬物というのが定番か。脂が多く旨い。
ただ、この旨さなら必ずお代わりをするであろう神北さんが動かない。まあ、牛タン高騰してて追加で取ると結構高いからね。
店を出たところで、神北さんが言う。
「おいしかった?」
「はい。」
「ニセモノです。」
「なにィィィ?」
店名を見ると、『旨味 太助』とある。つまりは、開祖の息子だか弟子だかのノレン分けした店らしい。
路地をもう少し奥に入り、『味 太助』を見つける。こっちが今は亡き開祖の店。
もう一回牛タン定食。
焼き方はこっちのほうが焦げが多い。その分さっぱりしている。テールスープはマイルド。
店内には地元のAMラジオが流れ、家庭的な雰囲気。
心行くまで牛タン焼きを堪能し、仙台駅を出発したのが大体17時。国道4号を南下する。
途中、国道6号との分岐(電車で言うと東北線と常磐線の分岐)で渋滞したものの、順調に南下する。
「どこまで行く?米沢にいい温泉があるんだが。」
「とりあえず福島まで行ってから考えません? カーナビと宮城県の地図はあるんですが、福島県の地図が無いんですよ。」
「じゃ、目標は福島駅で。駅近くの本屋で、地図を手に入れよう。」
と、行きあたりばったりにチェックポイントが決まる。
「『萩の月モドキ評論家』としては萩の月を買わねばならんのじゃ』と言い残して神北さんが寝てしまったため、まっすぐ東北道を南下しながら専売店を探す。松島や仙台では結構見た店だが、なかなか見つからない。
仙台を出てしまうんじゃないかという最後のところで、『萩の月』『笹かまぼこ』『三色モナカ』の複合店が見つかった。
買い込んでついでに少し休憩。南下を続ける。
福島駅前に着いたのは21時ちょっと前。
郡山に向かうか米沢に向かうか、地図を見て決めようと本屋を探すが、東横インの看板を見て気力が萎える。
チェックインしてiMacを運び込み、一通りmixiなど確認してから下調べ。
「まっすぐ南下すると郡山。西に行くと米沢。南西には会津若松がありますね。」
「なに、会津若松?」
神北さんがひらめいたらしい。
「会津若松から裏道通って那須塩原に入り、ニュー塩原で風呂だけ入ってくるというのはどうだ?」
「面白い、乗った。」
てなわけで大体決まり。
翌20日朝、ホテルで出すおにぎりと味噌汁の朝食を取り、7時半ちょっと前に出発。
非常に順調に国道をひた走り、会津若松に着いたのが9時。コンビニで休憩。
ここでこの旅最大の危機に陥る。
トイレに紙が無い。
こんな古典的なトラップに引っかかるとは思わなかった。
何とかトラップを脱出し、山道をひた走る。
途中、谷にへばりつく様にある温泉地で、神北さんが写真を撮ったり。
福島と栃木の県境にある道の駅で少し休憩を取ったり。
懐かしのホテルニュー塩原に着いたのは11時。思っていたよりも早い。
入ってみると、大改装中の東館だけでなく、西館もちょこちょこ改装中。
風呂から上がって、スープ入り焼きそばの店、釜彦へ。
「スープ入れ焼きそばと焼きそばはどう違うんでしょう?」
「よし、試そう」
各自にスープ入れ焼きそば1人前づつと、焼きそばとスープとソースカツどんは半分づつ。
焼きそばは普通の焼きそば。
「このあとどうします?」
「莉緒ちゃんの顔見にいかね?」
「じゃ電話を。あ、電波届かない。」
「こっちも駄目だ。」
と東北道に向けて下山。アグリパル塩原から電話をして、行ける所まで下道で行こうと一般道を南下。
4号線に戻った時点で渋滞がひどく、矢板から東北道。
栃木の熊さんの家に着いたのは14時半ごろで、15時にはおいとましていた。
その後、順調に東北道を走り、浦和の神北さんのところに着いたのが16時半。
いやいや、時間以上に長い旅でございました。