善を善(よ)みして用うる能わず、悪を悪みて去る能わず
――善善而不能用、悪悪而不能去
『管子』
むかし、斉(せい)の桓公(かんこう)がかつて滅びた郭(かく)という国の領内をおとずれたときのこと、土地の遺老(いろう)に「郭の滅びた原因は、どこにあると思うか」とたずねた。遺老は、
「わが国の王は、善を喜び悪を憎むお方でございました。それで滅びたのでございます」と答えた。不審に思った桓公が、
「そなたの申すとおりなら郭の王は賢君であったといえよう。それがなぜ滅びた原因だというのか」
遺老は、こう答えたということだ。
「そうではありません。わが国の王は、善を喜びながらそれを用いようとしませんでした。悪を憎みながら、それを退けることができませんでした。これが滅びた原因でございます」
頭では理解し口では語っても、実行が伴わない、それを戒めたのがこの話である。口頭禅(こうとうぜん)では他に対する説得力も生まれてこない。
以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より
今日も一日顔晴りましょう。
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