吹く風ネット

自己嫌悪

2003年2月1日の日記です。

 1977年2月1日の日記にこんなことを書いている。

「毎日毎日休みも取らず、戦場に向かっている。
 笑っては馬鹿にされ、泣いては卑怯だと言われる。

 日々の終着は、居眠りでごまかし、
 目覚めれば、また戦場に向かう。

 疲れの報酬は、何もない。
 疲れの報酬は、何もない。」

 なんだ、何も変わってないじゃないか。環境こそ変わったものの、根本は26年前つまり19歳の頃と同じである。いったい今まで何をやってきたのだろう。それが人生だと言われればそれまでだが、何かむなしい。

「19歳のぼくは、ギターと戯れていた。
 45歳のぼくは、パソコンと戯れている。
 19歳、ぼくの未来はキラキラと輝いて見えた。
 45歳、ぼくの過去はキラキラと輝いて見える。」

 あの頃から人生設計を立てていた人は、立派になっていることだろう。今もって人生設計を立てていないぼくは、自己嫌悪に陥っている。

『友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買いきて 妻としたしむ』
 石川啄木の有名な歌である。うん、こんな気分ですな。しかし、『花を買いきて』なんて、ぼくの性に合わない。どちらかと言えば、「いじわるばあさん」の中で犬が言っていた、
『友がみな われよりえらく 見ゆる日よ こうやって猫でも いじめてやるんだ』
 のほうが、性に合っている。
 ということで、今日は店の前に座っていた猫をいじめてやった。まあ、いじめると言っても、鼻をつまんでやる程度だったが。もちろん猫は、迷惑そうな顔をしていた。

 何が面白くないかと言うと、すべてが面白くない。他人のことなんて気にもしたくないのだが、つい気になってしまう。いつもなら「でも、負けてない」と思っている強気の自分がいるのだが、今日はどうやらお休みのようである。

 この自己嫌悪は、どこから来るんだろう。そういえば、今日また少し熱が出た。葛根湯を飲んで昼寝したら治ったが、まだまだ体内に菌が生息しているのだろう。
「いいかげんに病院に行け」と言われる。しかし今日は、「病院なんか、誰が行くか!」という気力もない。
 気だるい。この気だるさが、風邪から来ていることは重々わかっている。おそらく今日の自己嫌悪も、そこから来ているのだろう。


『自己嫌悪』

 別に変わったことはありません。
 ただ白髪の数が増えただけで
 これといった悩みもなく
 ただ悩めないことにだけ悩んでいます。
 日々考えることは何もなく
 平平凡凡とやっています。
 女に憧れを持つこともなく
 それについての焦りもなく
 本当に平和な毎日ですよ。
 金に困ることもありません。
 仕事も暢気にやっています。
 ほかに何もありません。
 本当に何もありません。
 するべきこともありません。
 やりたいとも思いません。
 別に変わったことはありません。
 ただそれだけの毎日ですよ。


※2023年2月1日、月の頭にこんな日記を載せてすみません。
 しかし65歳の今日、日記も何も出てこないのです。今日が仕事であったことも忘れているし。「何やってるんだ!」
 と、自分に嫌気がさしました。
 20年経っても自己嫌悪。もしかしたら、ぼくにとって2月1日という日は、自己嫌悪に陥る日なのかもしれません。

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