1972年夏、ぼくは翌年に高校受験を控えた中学生だった。中学に入って思春期を迎え、自分の変化に戸惑いながら二年間を生きてきた。それまではその戸惑いが影響していたのか、おかしな行動ばかり取っていたが、中三で何とか落ち着くことが出来た。ただ、当時好きな人がいたのだが、その人を前にするとどう処していいのかがわからない。そのため、その人の前だけはおかしな行動をとり続けていた。
2,元気です。
その頃、吉田拓郎さんの『元気です。』というアルバムが売れに売れ、ラジオからは連日拓郎さんの歌が流れていた。『祭りのあと』が好きだったな。ただ、その時期はまだ拓郎さんを聞いてギターが弾きたいとは思わなかった。当時好きだった人は、起爆剤にはならなかったということだ。起爆剤になる人に出会うのはそれから10ヶ月ほど先になる。アルバム内の『ガラスの言葉』という歌があるのだが、最初の頃はそれほど好きな歌ではなかった。それを気に入るのは起爆剤に出会った後だった。きっと起爆剤の人は、音楽を目覚めさせるために、ぼくの人生に登場したのだろう。いまだにその曲を気に入っていて、その曲を聴くたびにその人の面影がよみがえる。
3,あしたのジョー
当時愛読していたのは少年マガジンで、お目当ての『あしたのジョー』は、ハリマオ登場前後だった。丈の野生化を企てた白木葉子の決断は、結果的にジョーの白い灰を早めることになる。
葉子はやはり、ジョーの言うところの、「運命の曲がり角に待ち伏せしていて、ふいにおれをひきずりこむ。悪魔みたいな女」だったのだろう。
あしたのジョー、ぼくとしてはハリマオからホセ・メンドーサまでの時期よりも、その一年前の力石の死のショックから立ち直り、カーロス・リベラと死闘を繰り返す時期の方が好きだったな。
4,中三の夏休み
さて、翌年に高校受験を控えた中三の夏休みといっても、ぼくは別に勉強していたわけではなかった。ラジオを聴いたり、マンガを読んだり、友だちと泳ぎに行ったり、テレビで『肝っ玉かあさん』の再放送を見たり、親戚に行って犬をからかったりの毎日だった。志望校も決まってなかったし、受験というのが今ひとつピンとこなかったのだ。結局その後3学期になってもピンとこず、受験の前日まで超能力や呪文の勉強をしていたのだった。
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