会社帰りに本屋に寄って、県民性のことを書いている本を立ち読みした。
わが福岡県は、昔「筑前」「筑後」「豊前」と3つの国に分かれていたせいか、それぞれ特徴があるようだ。
ぼくは筑前に属しているから、「個人主義者」ということらしい。筑後は粘り強い性格、同じ北九州市でも旧豊前の小倉は「保守的」ということである。
全体的には、「酒好き」「祭好き」「新しい物好き」「ギャンブル好き」「金遣いが荒い」ということらしい。ぼくの場合、「ギャンブル好き」以外は当たっている。つまり「個人主義者」でもあるわけだ。
県民性といえば、博多気質、川筋気質などという分け方もある。川筋気質というのは、遠賀川流域、いわゆる筑豊の炭鉱気質である。五木寛之の「青春の門」の世界だ。
ぼくは遠賀川の近くに住んでいるので、当然川筋気質というものが入っている。地元では、多かれ少なかれみなそういう気質を持っているのでわかりづらいのだが、他の地域に行った時にその気質というのが見えてくる。
例えば東京に住んでいた時、「おれはここの人間じゃない」といつも意識させられたものだった。もちろん言葉の違いもあるが、やはり一番大きかったのは気質だった。もう少しいたら、その違いも埋まっていたのだろうけど、数年住んでいたくらいでは到底埋まるものではなかった。
しかし、どうして県民性というものが出てくるのだろうか。福岡県というのは、かつては北九州工業地帯や筑豊や大牟田の炭鉱に、全国から多くの人が集まった場所であり、今も九州の中心地ということで、県外から多くの人が集まってくる。
先日の新聞に、福岡県の人口が初めて500万人を超えたと書いていた。ということは土着の人間の割合は以前に比べ、減っているはずだ。
そのくせ、県民性というのはあまり変わってないような気がする。ということは、県民性というのは遺伝ではないのかもしれない。
そこには人の気質を形成する地霊のようなものがあるのではないか、とぼくは思っている。アメリカ人の持つ理想のヒーロー像は、開拓した祖先ではなく、土着のインディアンなのだと言うし。
ぼくは、その地霊を「水」だと見ている。人間の体の大半は水で占めているのだから、その気質に何らかの影響を与えているのは確かだろう。
その水の象徴が「血」である。血液占いがあるくらいだから、血は人の性格や気質に多くかかわっているのだろう。ということは、水が気質を作っているということになるではないか。
よく兄弟を示すのに、「同じ血が流れている」などと言う。血は水から出来ているのであるから、同じ水から出来ている血は、同じ血であると言うことが出来るだろう。そうであれば、出身地が違っていようが、祖国が違おうが、その地域である程度生活した者は、同じ水で血を作っているのだから、みな兄弟ということになる。だから気質が似てくるわけだ。
他の土地で出会った人が、同じ出身地だった場合、何か親近感を感じるものである。それは兄弟だからである。
知らない土地に引っ越しても、いつしかその土地の人間と馴染んでくるのは、その土地の人と同じ血、つまり兄弟になったからである。
ぼくは高校の頃、外国人学校の生徒から理由もなく殴られたことがある。その時はかなり悔しい思いをしたものだが、今ならそのことを許せる。なぜなら、彼らも同じ遠賀川の水で育った兄弟であるからだ。
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