素晴らしき日々

一切の生命が幸せでありますように。

人生の片をつけることと、ときめくということ

2023年11月11日 | 日々のこと
近藤麻理恵さんをYouTubeでお見かけした時、「なんと上品な方だろう、こんなに素敵な人なのか」と大変に感銘を受けた。話し方や所作の美しいこと!余計なモノを手放して、ときめくモノだけに囲まれた生活をする人というのは、その生活を繰り返すうちにどんどんと洗練されていくんだなと納得した。

とはいえ、彼女の本を参考に片づけを実行しているにもかかわらず、私はモノを置く定位置を決めずにいる。(このメソッドでは定位置にモノを置くことが要諦の一つ)だから、定期的に少しばかりのリバウンドを繰り返し、リバウンドの量が臨界点を超えると、あかんあかん、またKondoせなあかんと繰り返している。最初は、ああ、またやってしまったと思っていたが、どうも私はわざとそうしているらしい。そうすることで、必ず定期的に自分自身の現状を見直せるからだ。

部屋というのは本当に自分の鏡だと思う。以前ヨガと仏教に凝ったとき、私は潔くベッドを捨てた。ヨガをするための部屋が欲しかったのと、仏教僧侶用の戒律の中でベッドや寝具を使わないという戒があったからだ。さすがに布団は使ったけれど、当時は仏教がおもしろくて夢中だった。つまり、私のときめきは仏教だったのである。そして、化粧をしてはならない、音楽などのエンターテイメントを楽しんではならない等ストイックなものもあった。よって、私は一切化粧を止めた。頭髪も黒に戻してショートカットにしたし、服装はスティーブジョブズよろしく地味に。食べ物も超質素だったので、普通に戻した今では当時より六キロ重い。

そして。そうやってストイックな生活を続けていく中で見つけたのだ。私は「普通にベッドで寝たい!」、「お化粧もしたい、髪色だって楽しみたい!」、「ご飯も食べたいもの食べたい!」。煩悩って、極端な方向へ行かない限りは、必要。そして、その極端のレベルって他者が決めるものじゃない。自分で決めること。これこそが「自灯明」。自費で宇宙に行くのだって、一日に玄米一粒だけを溶かしながら食べてガリガリになるのだって、本人がときめくんだったらそれでいいよな、って思えた。もちろん、法律に触れることはNG。

モノの定位置を決めない生き方も、今の私の自灯明なのだ。
ジャンクフードを食べた後の心地よさと罪悪感も、今では最高のエンターテイメントの一つである。

この記事についてブログを書く
« 村上春樹作品に感謝しかない | トップ | 商品売買 »

日々のこと」カテゴリの最新記事