新日本婦人の会 えひめblog

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アーサー・ビナードさんの伊方原発訴訟口頭弁論陳述①

2014-05-15 08:56:33 | 原発問題

Img_3628 去年、今治の母親大会の記念講演をしてくださった詩人アーサー・ビナードさんが、2014年3月11日にされた伊方原発訴訟口頭弁論意見陳述の内容です(愛媛民報2014年4月13日付)。

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 この3月11日という日に、伊方原発運転差し止め訴訟の原告の一人として、意見陳述をいたします。

 私は1967年にアメリカ合衆国のミシガン州に生まれました。海と見まがうほど大きな五大湖で泳いだり魚釣りをしたり、水のありがたさを忘れるくらい水資源に恵まれた環境で暮らしていました。

しかし、中学生になって、私は故郷ミシガンの豊かな水がいかに危うい存在かを知りました。実は自分が生まれる少し前の1966年に、エリー湖のほとりに建っていたエリンコ・フェルミ原子力発電所が大事故を起こして、原子炉が破損しました。

 ただ、ぎりぎりのところで爆発を逃免れて、核物質の大部分は炉の中にとどまりましたので、エリー湖は放射能のスープにならずに済みました。奇跡が起こったといっても過言ではありません。

 高校生のころから私は英語で詩のようなものものを書き始め、大学に進んで英米文学を学びました。卒業論文をまとめる際、ひょんなことで日本語に出合い、魅了されて1990年に来日しました。

 東京の日本語学校に入り、勉学にいそしみ、そのうち日本語でも詩を書き出して、絵本の創作も手がけるようになりました。そして2002年の春、再び故郷の湖を、危うく失うところでした。

 エリー湖のほとりに建つもう一つの原発、デービス・ベッセ原子力発電所が、制御不能に陥る一歩手前で止められ、奇跡的にメルトダウンが回避されました。圧力容器の異常に作業員がたまたま気づいて制御棒が入り、そのおかげで故郷は強制避難区域ならずに、今も私は防護服なしでも帰ることができます。

 2007年の夏には、新潟県で大地震が発生して、柏崎刈羽原子力発電所が事故を起こしました。けれど、原子炉の冷却が綱渡り状態で続けられ、最悪の事態を免れました。メルトダウンをきたさなかったのは、まさに奇跡でした。

 2011年3月のきょう、太平洋の底で巨大地震が起こり、岩手県、宮城県、福島県の沿岸部を中心に、たくさんの人が津波にのみ込まれ、計り知れない命が失われました。

 そしてそのとき、福島第一原子力発電所では、奇跡は起こりませんでした。1号機と2号機と3号機がメルトダウンをきたし、爆発して、大量の放射性物質が陸に降り積もり、海に流れ出しました。起こるべくして起こった人災です。

 それなのに、責任を取るべき立場にいる人物は口をそろえて「想定外」と言いました。つまり「原子力の安全性」とは、運よく奇跡が起こることを前提に、天の助けを当て込んで組み立てられているもの、そういった実態があぶり出されたのです。

 エリー湖のほとりではなく、日本海のほとりでもなく、瀬戸内海のほとりでもなく、太平洋のほとりでメルトダウンが起きました。


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