百合恵が入って行くと、しのぶは左手にボイスレコーダーを持ち、右手にデジカメを持って、手洗い場の付近に立っている。さとみは一番奥の個室の前にいた。その脇にみつと虎之助がいる。
「しのぶちゃん、そろそろ時間?」
さとみが個室を見ながら言う。
「ええと……」
しのぶがデジカメを洗面台に置いて、ポシェットを開けようとしている。携帯電話を取り出して時間を確認しようとしているようだ。百合恵はすっと左腕をしのぶの前に出し、腕時計を示した。しのぶが百合恵を見上げると、百合恵は優しく微笑み、うなずいてみせた。
「はい、あと一分程です」
「そう。じゃあ、電気を消してちょうだい」
「は、はい」
いつもと違う雰囲気のさとみに戸惑いながらも、しのぶはドア付近にあるの電灯スイッチを切った。
一瞬で真っ暗になる。
しのぶが持っているボイスレコーダーの作動中を示す小さな緑色の電源ランプが妙に明るい。不安そうにしているしのぶを百合恵が背後からそっと支える。それは、危険になったらいつでも外へ連れ出すことが出来るための準備でもあった。
さとみはじっと個室を見つめている。その後ろにみつと虎之助が並んでいる。
「……ううう、うああああぁぁ……」
深い洞窟の奥から聞こえてくるような、苦痛と悲しみを伴ったすすり泣きが聞こえてきた。
「始まったわね……」
さとみはつぶやく。みつと虎之助は無言でうなずく。
さとみの目の前には個室では無く、広く薄暗い空間が広がっていた。それを見たさとみは、みつがミツルに囚われていた、窓もドアもないコンクリート張りの広い部屋を思い出していた。……あの黒い影が後ろにいて力を貸しているんだわ。さとみは思った。イヤな冷や汗が背中を伝う。
しばらく目の前の空間を見ていると、奥の方から何かがぞろぞろとこちらへ近づいてきた。さとみは霊体を抜け出させた。
「みつさん、あれ、何だろう?」さとみがみつに訊く。「人のような気もするんだけど……」
「わたしにもそう見えます……」みつは迫って来るものを見つめながら答える。「これは天誅が必要かもしれません……」
「なんだか一杯いるわよ!」虎之助が声を強める。「わたしたちを襲おうって言うのかしら? ふん、返り討ちにしてやるわ!」
それらが近付いてくるにつれ、呻き声やすすり泣きが強くなってくる。姿がはっきりと見えるほどになった時、それらはからだが半透明になった男たちだった。どれも痩せ細りふらふらしている。焦点の合わない虚ろな眼差しでこちらへ歩いて来る。さとみたちに気がついたのか、一斉に両手を差し出した。
「……助けてくれぇ……」「救ってくれぇ……」「お願いだぁぁ……」
男たちは力無くつぶやく。何とも言えない暗澹たる様子に、さとみだけでなく、みつも虎之助も怯む。男たちは何か見えない力によって足止めをされているらしく、あと一歩が近づけず、足踏み状態を続けている。
「けーひゃっひゃっひゃあああ!」
突然、けたたましく甲高い女の笑い声が響いた。しのぶのボイスレコーダーに入っていた声だ。何処から聞こえるのかと、さとみが見回す。
「ここだよ!」
さとみたちの背後から声がした。皆が振り返る。
そこに居たのは、腰の周りだけを覆っているような短い黒のスカートに、胸の周りだけを覆っているような黒いノースリーブの服を着た、若くて肉感的な女が、素脚を組んで腰かけるようにして宙に浮かんでいた。ぷっくりとした赤い唇と、とろんとした甘え上手は雰囲気の眼元が印象的な美人だ。
「あなたが……?」さとみが呆れたような声を出す。「あなたが、したの?」
「わたしは何もしていないさ」女は伝法な物言いをする。「ちょっと甘えた仕草をしたら、あいつら(女は言いながら呻きすすり泣く男たちを指差す)が付いてきやがっただけだよ」
「付いて来たって……」さとみはむっとする。「明らかにあなたが誘ったんじゃない!」
「あら、わたしに盾突こうって言うの?」女は笑む。妖艶さに中に凶暴なものが見えた。「それに、女侍に女拳法使いも一緒とはねぇ……」
女はつまらなさそうにため息をつく。みつは刀を抜いて女に向かって中段に構える。虎之助も腰を軽く落とし何時でも跳びかかれる体勢を作る。
「おいおい。勘違いするなよ」女は苦笑する。「わたしは女に興味はないんだ。それに、分かるだろう? 今はとっても強いんだよ」
女は影の力を得ている事を自覚しているようだ。それでもみつと虎之助は構えを解かない。女はやれやれと言ったように後ろ頭を掻いて見せた。
「うわああっはっはっはあああ!」
今度は男の笑い声が響いた。これもしのぶのボイスレコーダーで聞いた声だ。さとみたちが振り返ると、もう一つの空間が見えた。そこには、痩せ衰えた女たちがうろつきながら呻きすすり泣いていた。男たち同様、あと一歩の所で足止めされている。
「何処を見ているんだい、お嬢さんたち」
爽やかな声がした。声の方を見ると、若い男が、女の隣の宙に立っていた。すらりとした長身を黒のスラックスとシャツで包んだ美形だった。程よくカールした黒髪を軽く掻き上げた。優しそうな笑みを浮かべた唇の間から見える白い歯がきらりと光った。並んだ二人は雰囲気が似ている。
「僕たちは双子なのさ」男が微笑みながら言う。「僕は流人(りゅうと)、こっちは葉亜富(はあぷ)って言うんだ。生前は『誑し込み(たらしこみ)のジェミニ』って言われていたよ」
二人は楽しそうに笑う。
つづく
「しのぶちゃん、そろそろ時間?」
さとみが個室を見ながら言う。
「ええと……」
しのぶがデジカメを洗面台に置いて、ポシェットを開けようとしている。携帯電話を取り出して時間を確認しようとしているようだ。百合恵はすっと左腕をしのぶの前に出し、腕時計を示した。しのぶが百合恵を見上げると、百合恵は優しく微笑み、うなずいてみせた。
「はい、あと一分程です」
「そう。じゃあ、電気を消してちょうだい」
「は、はい」
いつもと違う雰囲気のさとみに戸惑いながらも、しのぶはドア付近にあるの電灯スイッチを切った。
一瞬で真っ暗になる。
しのぶが持っているボイスレコーダーの作動中を示す小さな緑色の電源ランプが妙に明るい。不安そうにしているしのぶを百合恵が背後からそっと支える。それは、危険になったらいつでも外へ連れ出すことが出来るための準備でもあった。
さとみはじっと個室を見つめている。その後ろにみつと虎之助が並んでいる。
「……ううう、うああああぁぁ……」
深い洞窟の奥から聞こえてくるような、苦痛と悲しみを伴ったすすり泣きが聞こえてきた。
「始まったわね……」
さとみはつぶやく。みつと虎之助は無言でうなずく。
さとみの目の前には個室では無く、広く薄暗い空間が広がっていた。それを見たさとみは、みつがミツルに囚われていた、窓もドアもないコンクリート張りの広い部屋を思い出していた。……あの黒い影が後ろにいて力を貸しているんだわ。さとみは思った。イヤな冷や汗が背中を伝う。
しばらく目の前の空間を見ていると、奥の方から何かがぞろぞろとこちらへ近づいてきた。さとみは霊体を抜け出させた。
「みつさん、あれ、何だろう?」さとみがみつに訊く。「人のような気もするんだけど……」
「わたしにもそう見えます……」みつは迫って来るものを見つめながら答える。「これは天誅が必要かもしれません……」
「なんだか一杯いるわよ!」虎之助が声を強める。「わたしたちを襲おうって言うのかしら? ふん、返り討ちにしてやるわ!」
それらが近付いてくるにつれ、呻き声やすすり泣きが強くなってくる。姿がはっきりと見えるほどになった時、それらはからだが半透明になった男たちだった。どれも痩せ細りふらふらしている。焦点の合わない虚ろな眼差しでこちらへ歩いて来る。さとみたちに気がついたのか、一斉に両手を差し出した。
「……助けてくれぇ……」「救ってくれぇ……」「お願いだぁぁ……」
男たちは力無くつぶやく。何とも言えない暗澹たる様子に、さとみだけでなく、みつも虎之助も怯む。男たちは何か見えない力によって足止めをされているらしく、あと一歩が近づけず、足踏み状態を続けている。
「けーひゃっひゃっひゃあああ!」
突然、けたたましく甲高い女の笑い声が響いた。しのぶのボイスレコーダーに入っていた声だ。何処から聞こえるのかと、さとみが見回す。
「ここだよ!」
さとみたちの背後から声がした。皆が振り返る。
そこに居たのは、腰の周りだけを覆っているような短い黒のスカートに、胸の周りだけを覆っているような黒いノースリーブの服を着た、若くて肉感的な女が、素脚を組んで腰かけるようにして宙に浮かんでいた。ぷっくりとした赤い唇と、とろんとした甘え上手は雰囲気の眼元が印象的な美人だ。
「あなたが……?」さとみが呆れたような声を出す。「あなたが、したの?」
「わたしは何もしていないさ」女は伝法な物言いをする。「ちょっと甘えた仕草をしたら、あいつら(女は言いながら呻きすすり泣く男たちを指差す)が付いてきやがっただけだよ」
「付いて来たって……」さとみはむっとする。「明らかにあなたが誘ったんじゃない!」
「あら、わたしに盾突こうって言うの?」女は笑む。妖艶さに中に凶暴なものが見えた。「それに、女侍に女拳法使いも一緒とはねぇ……」
女はつまらなさそうにため息をつく。みつは刀を抜いて女に向かって中段に構える。虎之助も腰を軽く落とし何時でも跳びかかれる体勢を作る。
「おいおい。勘違いするなよ」女は苦笑する。「わたしは女に興味はないんだ。それに、分かるだろう? 今はとっても強いんだよ」
女は影の力を得ている事を自覚しているようだ。それでもみつと虎之助は構えを解かない。女はやれやれと言ったように後ろ頭を掻いて見せた。
「うわああっはっはっはあああ!」
今度は男の笑い声が響いた。これもしのぶのボイスレコーダーで聞いた声だ。さとみたちが振り返ると、もう一つの空間が見えた。そこには、痩せ衰えた女たちがうろつきながら呻きすすり泣いていた。男たち同様、あと一歩の所で足止めされている。
「何処を見ているんだい、お嬢さんたち」
爽やかな声がした。声の方を見ると、若い男が、女の隣の宙に立っていた。すらりとした長身を黒のスラックスとシャツで包んだ美形だった。程よくカールした黒髪を軽く掻き上げた。優しそうな笑みを浮かべた唇の間から見える白い歯がきらりと光った。並んだ二人は雰囲気が似ている。
「僕たちは双子なのさ」男が微笑みながら言う。「僕は流人(りゅうと)、こっちは葉亜富(はあぷ)って言うんだ。生前は『誑し込み(たらしこみ)のジェミニ』って言われていたよ」
二人は楽しそうに笑う。
つづく