太吉はまだ火をつけていない松明を持って浜へ走った。舟寄せ場に数人が松明を灯して立っている。太吉はそこへ向かった。
「おう、太吉……」立っている中にいた長が暗い表情で太吉を迎える。「……鉄から聞いた通りだ」
「へい……」太吉は松明に火を貰った。「鉄兄ぃは海の方を探すって言ってやした」
「そうか」長は頷く。「わしらは浜を探す。太吉は浜の南の外れの方を探してくれんか?」
「へい!」
太吉は言うと走った。いつも陽気で楽しい権二の姿が浮かぶ。そして、虚ろな目をして魂の抜かれたような権二の姿も浮かんだ。……くそう! 何があったってんだ! 悔しい思いで走っていた太吉の足が止まった。
「おせん……」
太吉は呟いた。おせんは、死んだ藤吉が惚れていた女の名だ。
……そう言えば、権二さん、浜辺に立っていた藤吉さんを見かけたことがあるって言ってたな。太吉は藤吉のあの満足そうな死に顔を思い出した。……ひょっとして、権二さんもおせんに会ったんじゃねぇのか。鉄兄ぃの所で飲んだ帰りに、藤吉さんの事でも思い出して、ふらっと浜へ寄ったんじゃねぇか。そこでおせんに会ったとか…… それで、藤吉さん同様に魂を抜かれちまったなんて事があったんじゃ……
太吉は辺りを松明で照らした。誰も居なかった。ほっと息を吐くと、太吉はまた走り出した。走りながら不安が広がる。
「……まさか、おせんってのは妖しのものじゃねぇだろうな……」
太吉たち漁師は決して臆病ではない。板子一枚下は地獄と言われている、厳しい漁を毎日行なっているのだ。滅多な事では動じない。また漁は力仕事でもあるため、負けず嫌いの気風もあり、弱音を吐く事も無い。しかし、自然の力に対しては、自分たちがどんなに動じない心を持とうが、負けず嫌いだろうが、太刀打ち出来ない怖れの対象であることは十分に知っている。いきおい、神仏への信仰が強かった。また、自然の力の延長上に位置する迷信や人外のものも、太刀打ち出来ない怖れの対象だった。
太吉が懸念したのは、まさにそれだった。妖しのものが相手ならば手も足も出ない。もし権二にそれが憑りついたのなら本当の助けを差し伸べられない。妖しのものならば、権二が命を落とすまで憑き続けるだろう。そして次の獲物を探すだろう。……次はオレかも…… 太吉の胸に不安がよぎった。
「これ……」
太吉は不意に野太い声を掛けられた。少なくともおせんじゃないさそうだ、足を止めた太吉は声の方に松明をかざす。
そこには、厳ついからだをした、薄汚れた衣をまとった坊様が立っていた。
つづく
「おう、太吉……」立っている中にいた長が暗い表情で太吉を迎える。「……鉄から聞いた通りだ」
「へい……」太吉は松明に火を貰った。「鉄兄ぃは海の方を探すって言ってやした」
「そうか」長は頷く。「わしらは浜を探す。太吉は浜の南の外れの方を探してくれんか?」
「へい!」
太吉は言うと走った。いつも陽気で楽しい権二の姿が浮かぶ。そして、虚ろな目をして魂の抜かれたような権二の姿も浮かんだ。……くそう! 何があったってんだ! 悔しい思いで走っていた太吉の足が止まった。
「おせん……」
太吉は呟いた。おせんは、死んだ藤吉が惚れていた女の名だ。
……そう言えば、権二さん、浜辺に立っていた藤吉さんを見かけたことがあるって言ってたな。太吉は藤吉のあの満足そうな死に顔を思い出した。……ひょっとして、権二さんもおせんに会ったんじゃねぇのか。鉄兄ぃの所で飲んだ帰りに、藤吉さんの事でも思い出して、ふらっと浜へ寄ったんじゃねぇか。そこでおせんに会ったとか…… それで、藤吉さん同様に魂を抜かれちまったなんて事があったんじゃ……
太吉は辺りを松明で照らした。誰も居なかった。ほっと息を吐くと、太吉はまた走り出した。走りながら不安が広がる。
「……まさか、おせんってのは妖しのものじゃねぇだろうな……」
太吉たち漁師は決して臆病ではない。板子一枚下は地獄と言われている、厳しい漁を毎日行なっているのだ。滅多な事では動じない。また漁は力仕事でもあるため、負けず嫌いの気風もあり、弱音を吐く事も無い。しかし、自然の力に対しては、自分たちがどんなに動じない心を持とうが、負けず嫌いだろうが、太刀打ち出来ない怖れの対象であることは十分に知っている。いきおい、神仏への信仰が強かった。また、自然の力の延長上に位置する迷信や人外のものも、太刀打ち出来ない怖れの対象だった。
太吉が懸念したのは、まさにそれだった。妖しのものが相手ならば手も足も出ない。もし権二にそれが憑りついたのなら本当の助けを差し伸べられない。妖しのものならば、権二が命を落とすまで憑き続けるだろう。そして次の獲物を探すだろう。……次はオレかも…… 太吉の胸に不安がよぎった。
「これ……」
太吉は不意に野太い声を掛けられた。少なくともおせんじゃないさそうだ、足を止めた太吉は声の方に松明をかざす。
そこには、厳ついからだをした、薄汚れた衣をまとった坊様が立っていた。
つづく
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