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怪談 青井の井戸 20

2021年09月29日 | 怪談 青井の井戸(全41話完結)
 戸を開け、礼儀通り一礼をいたします。父が「中へ」とおっしゃるまでは廊下で待ちます。廊下の冷たさが着物を通してわたくしの両脚に伝わってまいります。父は、わたくしに背を向けたまま文机に向かっていらっしゃり、何やら手紙を認めておいでのようでございました。わたくしは、益々、父に嫌悪感を持ちました。全ての御用をおすましになってから呼べば良いものをと、思ったのでございます。わたくしは自分の思いを面に出さぬ様にして、じっと父の言葉を待っておりました。
「きくの……」
 ようやく父はわたくしの名をお呼びになりました。ではございますが「入れ」とはおっしゃりませぬ。わたくしは廊下に座ったまま、父の背中を見つめておりました。
「須田新三郎を存じておるか?」
 父は背中を向けたままでおっしゃいます。信三郎様は、あの夜、父と共に居たお方でございます。
「……お名前だけは……」
 わたくしはお答えいたしました。答えながらも、あの夜の事を思い出し、恐怖と嫌悪感とが胸中に広がりました。
「その信三郎が、青井の婿となっても良いとの話なのだ」
「……それは……」
 わたくしは驚愕いたしておりました。父が背を向けているのは幸いと申すものでございました。もし、父が、今のわたくしの顔をご覧になれば、蒼白な顔に両眼を大きく見開いた、鬼でも見たような様相でございましたでしょう。わたくしは父が振り向くを怖れ、思わず顔を伏せました。
「言わずもがなだ」父は背を向けたままでございます。「お前の結婚だ。青井にはきくのしか子がおらんからな。婿を迎えるしかあるまい」
「……信三郎様とは一、二度、それもお顔を見かけた程度にございまするが……」
「お前も年頃じゃ」父はわたくしの言葉を聞いてはいらっしゃらないようでございました。「これにて青井も盤石じゃ。婿を取らねば、青井は途絶えてしまうわ」
「途絶える……」わたくしは呟いておりました。何かがわたくしの中で蠢いたのでございます。「……それは、お嫌でございまするか?」
 わたくしのこの一言に、父が振り返りました。わたくしも顔を上げました。父は子供の頃に見た、鬼の様なお顔でございました。ではございましたが、わたくしは平然と見返すことが出来ました。つい先程まで父を怖れていたのが嘘のようでございました。わたくしのこの様子に、父はたじろいでいらっしゃるようでございます。父は再びわたくしに背をお向けになりました。
「良いか、きくの……」
 父は背中でおっしゃいます。声が幾分、沈んでいらっしゃるようでございました。わたくしは父の背を見つめます。
「青井の家は、代々殿のお身の回りを守ってきた家柄ぞ」
「存じておりまする……」
「それを途絶えさせるなどと言うは、殿への不忠義なるぞ」
「左様でございますか……」
「お前ごときの愚かな思いでどうこう出来るものではないのだ」
「……愚かな思い、でございまするか……」
「左様だ。これはもう決まった事なのだ」
 父はそうおっしゃると、改めてわたくしへと振り向きました。もう父は鬼には見えませぬ。わたくしは平然と父を見返えしておりました。
「左様でござりまするか。……で、他に御用はお有りでございまするか?」 
「無い!」
 父は威厳を保つかのように強く言い放たれました。
「……では、失礼をいたしまする……」
 わたくしは静かにそう答えると、一礼し障子戸を閉めました。
 ひんやりとした廊下が、今のわたくしには心地良く思えました。
「……鬼を継がせる、か……」
 わたくしは独り言ちつつ、父の部屋の前から下がりました。 


つづく

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