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怪談 青井の井戸 21

2021年09月30日 | 怪談 青井の井戸(全41話完結)
 翌朝、母がわたくしの部屋へお越しになりました。鋭い声でわたくしの名を呼び、わたくしがお返事を差し上げる前に障子戸が開けられました。何事と思う間もなく、母はわたくしの頬を強く打ち付けたのでございます。
「お母様! 何をなさるのです!」
 わたくしは、何が何やら分からぬまま、打たれた頬を押さえて申しました。正座をしたままで見上げるわたくしを、母は冷たい眼差しで見下ろしていらっしゃいます。
「きくの! お前、お父様に口答えをしたそうですね!」
 母は怒りからでございましょう、からだ震わせておいででございました。
「何をおっしゃるのです、わたくしはそのような事は致しておりませぬ」
「昨日、お父様と何があったのです?」
「須田新三郎様との婚儀を仰せつかったのです」
「その際に、お前は何を申し上げたのです?」
 母はわたくしが青井の家を途絶えさせるような話をしたことをおっしゃっているのです。父は母にその事を話したのでございましょう。母の顔を見ますと、怯えたような翳がございました。父が、わたくしの幼き頃に見せたように、母を責めたのでございましょう。幼い頃なら、父を怖れも致しましたが、昨日の父を知ってしまえば、なんと気の弱い張り子の威厳の持ち主であることよ、としか思えませんでした。
「……はて、何と申し上げたか、覚えがございませぬ」
「ええい! 虚(うつ)けた事を申すでない!」
 母は今一度手を振り上げ、わたくしの頬を打とうとなさいました。わたくしは母を見つめました。母の手が止まりました。明らかに動揺の色が見て取れました。
「何を申し上げたかは覚えてはおりませぬが、本心で申し上げたのではございませぬ」
「ならば、お父様をからかったと申すのか!」
「娘の戯言ごときでお母様を煩わせるとは、お父様も気弱におなりでございますね……」
「きくの!」
「そのようなお父様に振り回されるお母様もお気の毒でございます」
「きくの! 何と言う口の利き様ですか!」
「お父様が信三郎様を婿に取り、後を継がせるとおっしゃるは、妥当な事かと存じまする」
「きくの……」母がため息をおつきになりました。「……いったいどうしたのです? つい先頃までは大人しく聞き分けの良い娘であったのに……」
 母は答えを探していらっしゃるようでございます。わたくしは黙して母を見つめておりました。
「……おお、そうか!」母は合点が行った様なお顔をされました。「お坊様ですね。お前が庭で会ったとか言うお坊様。青井の家は周りより妬まれる家柄故、どこぞの家の雇った紛(まが)い坊主が、お前に何か良からぬことを吹き込んだのではないですか?」
「良くは覚えておりませぬが、そうかも知れませぬ……」
 勝手に勘違いする母を、わたくしは面白く見ておりました。
「良いですか、きくの……」母は威儀を正しておっしゃいます。「周りが何と言おうが、青井の家は殿をお守りする格式のある家柄。努々(ゆめゆめ)、下らぬ世迷い言を真に受けてはなりませぬよ」
 母はそうおっしゃると踵を返し部屋を出て行かれました。
 わたくしは礼をして母をお見送りいたしましたが、母の見せた滑稽さに口元が緩んでおりました。
 

つづく

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