下野街道

栃木県の住人となり、終の棲家と決めた今は、先人の歴史と文化を追及して、古きを訪ねて奥の細道を歩きたい。

会津西街道

2006-07-21 13:55:33 | Weblog
今市から延びる西街道は、下野国と岩代国との国境・山王峠を越え会津若松に至る
32里の行程で会津南山地方を通るので、公称は『南山通り』である。

宿は、大桑・高徳・大原・藤原・高原・五十里・中三依・上三依・横川・山王峠へ
昔は奥州藤原秀衛の軍勢が通り、もっぱら軍事道路とされていた裏街道であった。
藤原には宇都宮氏の関所が、鶴ヶ淵城跡沿いの古道にも長沼氏の私設横川関所が設けられたと言う。

この街道は、会津藩にとって参勤交代や物流に大切な街道で、遠回りの奥州街道よりも経済的に格段の差があった。これには会津藩保科家の存在が大きい。

大雨が続き、サイクリングには不向きなので保科正之の勉強をする事にする。
徳川三代将軍家光の異母弟で、鎌倉三代に仕えた信州高遠藩主・保科肥後守正光を養父として養育された。

信州高遠・出羽山形から会津初代藩主となった至誠・至純の名君である。
家康の17回忌に家光と日光へ参拝し、四代家綱の烏帽子親で後見人であった。

「託弧の遺命」と言われ、誠実な徳川家臣として会津藩の基礎を作ったのでる。


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