渋土器会

男立ち梅をもとめて渋きかな  思い出話と近況。会長、石、門、オギ、タカ、梨、ノムさん、コマさん、オバ、平、サトくん、大

「渋土器会」の名称の由来

2008年10月07日 | 渋土器ヒストリー
1983年2月に京都・奈良へ卒業旅行に行きましたが、この旅行での会長らしい面白エピソードが、「渋土器会」の名称の由来になっています。みなさん、覚えていますか?

「渋」は、渋谷の意味もあるのですが、京都の嵯峨野にある向井去来(松尾芭蕉の弟子)の草庵「落柿舎」で会長が詠んだ俳句の一節からとってあります。

男立ち 梅をもとめて 渋きかな

男9人の旅行だったので、本来は、「男たち」のはずなんですが、「男立ち(だち)」と濁ったのは、旅行前にAクンとBクンが吉原でソープしてきたからだと、会長が言っていたような……。いかにも会長らしいですね。

何が「渋い」のかわかりませんが、「渋きかな」のフレーズが可笑しくて、名称をつける時に拝借したわけです。

土器については、奈良か京都か忘れてしまいましたが、古刹の裏庭にころがっていた土塀のかけらを会長が拾って、真顔で
「これは、縄文土器の破片かもしれない」と言い張ったことからつけられたわけです。

超個性的な会長の思わぬ発想や行動は、みなを大いに楽しませてくれたはずです。振り回されることも多々ありましたが、永久に渋土器会の会長でいてほしかったです。<大>

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2 コメント

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久し振りの渋谷 (ノムさん)
2022-02-03 22:53:10
 会長の墓参りに行ってきました。2月2日午前、快晴。墓地には、住職かと思える人が清掃作業らしきことをしていましたが、他に人影はなく、墓石等をじっくり眺めてきました。ビルの谷間にある様子は、変わりありません。会長家のお墓は周りを見下ろす高台にあり、今更ながら、驚くような形態です。
 子供と二人で参拝し、八幡宮にも行きました。交通安全のお守り購入と御朱印帳記帳をしました。昔の菓子屋があった箇所のあたりには何もなかったですが、40年近く前のことを思い出していました。ついでに大学ものぞいてきましたが、入学試験当日にあたり、建物内部に入ることができず、学食を覗きたかった希望は果たせませんでした。
 その後、渋谷駅を過ぎてセンター街を行ったのですが、渋谷駅の上には巨大なビルがたち、ヒカリエを圧倒する大きさでした。昔の東横線や学バス、東横のれん街などは全くなく、まさしく大都会でした。ただし、埼玉から出てきた田舎者のふさわしい居場所に感じられず、急いで立ち去り、昼食もセンター街奥の「渋谷餃子」という店で摂りました。結構いい味でした。
 また、みんなで集まり、飲み会をしたいな・・・と思います。会長や大もいなくなり、集まることもなくなったけど、当時は大したことでもないことに時間をかけ、贅沢な季節だったと感じます。こんなことを感じるのは、年を重ねた証拠。
 では、またね。
束の間のお墓まいり (のむサン)
2024-06-08 16:38:44
 6月5日(水)急に表参道や渋谷に仕事で行くことになりました。金王神社近くの横浜銀行渋谷支店へ行きましたので、戻る途中、会長のお墓を覗いてきました。特段変わった様子もなく、平日のため学校に向かう・返ってくる学生らしき人が多く歩いていました。会長が亡くなってから10年以上、月日の経つのは早いものです。
 大も亡くなってから6年近くなる。今更ながら、年もとるわけだ。今年は7回忌に当たるのかな。多磨霊園にお墓があるのは覚えているが、具体的な場所はおぼろげであり、一人で行ってもきっと迷うでしょう。大のお墓まいりするために皆で集まるのはどうかなと思います。
 これを見たら、連絡ください。

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