法律の役割が幅を利かすと、福祉の出る幕がなくなってしまうことがある、と私は考えています。私が関わってきた少年事件では、事件そのものは刑法犯ですから、司法の領域として取り扱われますが、自律・更生については、福祉の役割になってきます。少年事件への福祉の役割は、少年が再犯を起さなくても良い状態にすること、そのために、少年が十分に自分のこと、社会のことを考えることができるような環境を作ることだと思います。この福祉の役割が、現代社会の中で担いにくくなっているように思います。福祉の根幹は「受け入れる」ということそして、少年が「受け入れられたと思う」ことです。それが、しにくくなっている今、であるから、少年法改正など司法の強化が続けられてきた。社会は今、弱者に対する排除の力を強めてきたように思います。なぜ、排除をしなければならないのか?おそらく、私たち市民一人ひとりが何かに侵害され、自分の生活が脅かされることをおそれ、それを未然に防ぐことに力を注ぐからなのかもしれないと思います。私たち自身に余裕がないのですね。余裕というのはおそらくその人の「力」によるものなのかもしれません。抽象的な表現ですが、次回はその「力」について考えてみたいと思います。つづく。
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