悲しみや切なさはブラウン管だけでは伝わらないことがはっきりとわかりました。
現地に行くまでは、私も無責任な言動があったかもしれません。
私の想像力の貧困さゆえかな?
現地で聞く声は、私たちの生きる根幹を震わせるようでした。
私たちは何をしなければならないか?
私たちは何をしてはいけないか?
現地に行くまでは、私も無責任な言動があったかもしれません。
私の想像力の貧困さゆえかな?
現地で聞く声は、私たちの生きる根幹を震わせるようでした。
私たちは何をしなければならないか?
私たちは何をしてはいけないか?
憲法が、国の暴走を食い止める国民のアイテムであることは間違いない。
食い止める側と食い止められる側の関係は、社会をバランスよく進めるのに大変に役に立つと思います。
市民活動は、特に行政活動に対して、その暴走を食い止めたり行政から不利益な扱いを受けて泣き寝入りしてしまう市民を擁護するためにその存在意義を示す。
行政はバランス。それを忠実に自らの行政活動に発揮する公務員たちの「公務員的理屈」にその長たる人物が変革をくわえることが出来たなら、行政バランス論が少し変化するかもしれない。
大いなる期待をこめて。
食い止める側と食い止められる側の関係は、社会をバランスよく進めるのに大変に役に立つと思います。
市民活動は、特に行政活動に対して、その暴走を食い止めたり行政から不利益な扱いを受けて泣き寝入りしてしまう市民を擁護するためにその存在意義を示す。
行政はバランス。それを忠実に自らの行政活動に発揮する公務員たちの「公務員的理屈」にその長たる人物が変革をくわえることが出来たなら、行政バランス論が少し変化するかもしれない。
大いなる期待をこめて。
社会全体が揺らいでいるような報道が毎日なされています。
私たちは本当に大変なのか?
あえてこう考えてみました。
食べ物はある、屋根はとりあえずある、携帯電話はある。
相対的な貧しさを感じている人は多いかもしれないが、命にかかわる絶対的な貧しさと考えてみるとどうなのかな?
私たちは本当に大変なのか?
あえてこう考えてみました。
食べ物はある、屋根はとりあえずある、携帯電話はある。
相対的な貧しさを感じている人は多いかもしれないが、命にかかわる絶対的な貧しさと考えてみるとどうなのかな?
群馬で、小田原であわられたタイガーマスク。
そして、少し遅れたサンタクロース。
はっとしました。
原点ですよね。
制度を作ることに夢中になっていた私たちが忘れかけていたことかもしれない。
そして、少し遅れたサンタクロース。
はっとしました。
原点ですよね。
制度を作ることに夢中になっていた私たちが忘れかけていたことかもしれない。
今年はウサギ年。飛躍の年だそうですね。
なぜ、ウサギ年が飛躍の年なのか?ウサギが跳ねることと、飛躍をかけているのだろうが、根拠に乏しいと笑っていましたが。
朝、目が覚めるときに「ああ、よく寝た!」と三度唱えるとすっきりとおきられると聞いたことがあります。
意識、それも自己暗示にちかい形でできてくる意識なのかも。
年始の冒頭、みんなで「飛躍の年だー!」と叫んでみると、本気で飛躍する気持ちになるのかもしれません。
飛躍って誰かの力ではなく、それぞれの力ですもんね。
今年もよろしくお願い申し上げます。
なぜ、ウサギ年が飛躍の年なのか?ウサギが跳ねることと、飛躍をかけているのだろうが、根拠に乏しいと笑っていましたが。
朝、目が覚めるときに「ああ、よく寝た!」と三度唱えるとすっきりとおきられると聞いたことがあります。
意識、それも自己暗示にちかい形でできてくる意識なのかも。
年始の冒頭、みんなで「飛躍の年だー!」と叫んでみると、本気で飛躍する気持ちになるのかもしれません。
飛躍って誰かの力ではなく、それぞれの力ですもんね。
今年もよろしくお願い申し上げます。
垣間見ただけで、すべてを悟ったようにしゃべりまくる人たちには、これが日本のレベルだと落胆せずにはいられません。
公共の電波でしゃべるのだから。
局は、「これが国民にウケる」との判断で放送するのでしょう?
そして、その放送に反応して、自分の姿が見えないところで、勝って放題にネットに書きまくるのでしょう。
顔を出してはいえないし、ましてや本人の前では言えないでしょうに。
意見を言ってはいけないということではないのです。その意見が誰かを生きていくこともできないくらいに突き落としてしますことを自覚しながら発言をしてほしいと思うのです。
裁判員制度は、そのことの警鐘として始まったのではないかとも思います。
おれたちひとりひとりが、ほかの誰かのひとりひとりの思いを考えることができるようになるためには。
公共の電波でしゃべるのだから。
局は、「これが国民にウケる」との判断で放送するのでしょう?
そして、その放送に反応して、自分の姿が見えないところで、勝って放題にネットに書きまくるのでしょう。
顔を出してはいえないし、ましてや本人の前では言えないでしょうに。
意見を言ってはいけないということではないのです。その意見が誰かを生きていくこともできないくらいに突き落としてしますことを自覚しながら発言をしてほしいと思うのです。
裁判員制度は、そのことの警鐘として始まったのではないかとも思います。
おれたちひとりひとりが、ほかの誰かのひとりひとりの思いを考えることができるようになるためには。
第35回雑居まつりは、あさってに順延されました。
明日は一日準備をしています。
テント張り、机搬入作業、舞台設営など、たくさんの作業があります。
本番同様、大変面白い風景に出会えます。
明日の準備は10時から。私の登場は12時から。
明日は一日準備をしています。
テント張り、机搬入作業、舞台設営など、たくさんの作業があります。
本番同様、大変面白い風景に出会えます。
明日の準備は10時から。私の登場は12時から。
今年も雑居まつりが開催できます。
今年で35年目。
私が参加したのは5回目からですので、私は31回目になります。
31年前、福祉は住民の手による手作りでした。
介護保険や社会福祉士の制度、手話通訳派遣制度や手話検定など、今ある福祉システムはほとんどありませんでした。
昭和24年前後に制定された社会福祉六法に書かれていることを、住民の側から具体的に実現しようと、役所に陳情を出したり、福祉モデルを住民がつくって来ました。
人の熱意が集まり、それが思想信条を越えた集まりとなり、雑居まつりの形でひとつの実現を見ました。
31年前、私が参加したのは手話通訳をしてでした。
友人たちとの会話やジョブコーチの現場で手話を使うことはありますが、通訳はまれになりました。
35年目の今年、かつて雑居まつりをつくり、地域の問題を地域住民の手で解決することに若い力を燃やしたメンバーが、メッセージを舞台上から発信します。
で、私がその手話通訳をやることになりました。
おじさんおばさんのメッセージや詩、手話表現、手話通訳をご覧ください。
舞台上、10時30分です。
雑居まつり
開催 10月10日(日) 10:00~16:00
場所 羽根木公園 小田急線梅丘駅北口3分
でも、雨みたいだ・・・
雨なら雨の雑居まつり。
今年で35年目。
私が参加したのは5回目からですので、私は31回目になります。
31年前、福祉は住民の手による手作りでした。
介護保険や社会福祉士の制度、手話通訳派遣制度や手話検定など、今ある福祉システムはほとんどありませんでした。
昭和24年前後に制定された社会福祉六法に書かれていることを、住民の側から具体的に実現しようと、役所に陳情を出したり、福祉モデルを住民がつくって来ました。
人の熱意が集まり、それが思想信条を越えた集まりとなり、雑居まつりの形でひとつの実現を見ました。
31年前、私が参加したのは手話通訳をしてでした。
友人たちとの会話やジョブコーチの現場で手話を使うことはありますが、通訳はまれになりました。
35年目の今年、かつて雑居まつりをつくり、地域の問題を地域住民の手で解決することに若い力を燃やしたメンバーが、メッセージを舞台上から発信します。
で、私がその手話通訳をやることになりました。
おじさんおばさんのメッセージや詩、手話表現、手話通訳をご覧ください。
舞台上、10時30分です。
雑居まつり
開催 10月10日(日) 10:00~16:00
場所 羽根木公園 小田急線梅丘駅北口3分
でも、雨みたいだ・・・
雨なら雨の雑居まつり。
書き込みがすっかり間遠になってしまいました。
ジョブコーチの依頼件数も増え、戸惑いの連続ながらこのシステムを体になじませつつあります。
サラリーマン姿でジョブコーチへ出勤、帰宅して作業着に着替えて廃品回収。
「変身」です。子どもたちも感心してくれているようです。
朝はだいぶ涼しくなりましたが、日中の暑さはまだまだ続きそうです。
ジョブコーチの依頼件数も増え、戸惑いの連続ながらこのシステムを体になじませつつあります。
サラリーマン姿でジョブコーチへ出勤、帰宅して作業着に着替えて廃品回収。
「変身」です。子どもたちも感心してくれているようです。
朝はだいぶ涼しくなりましたが、日中の暑さはまだまだ続きそうです。
かつて弁護士の友人に成人の懲罰について説明を受けた。
「成人はやってはいけないことをわかっている。わかった上でやったのだから罰を受ける。もうこんな罰を受けたくないという気持ちが抑止力になる。」
少年法と成人に対するそれとの違いはここにあるのだろう。
しかし、私は成人に対しても少年法の理念を取り入れるのがよいのではないかと思う。
加害者を寛大に扱うということではない。さらなる被害者を出さないために、まず、加害者を作らないことだと思う。
「成人はやってはいけないことをわかっている。わかった上でやったのだから罰を受ける。もうこんな罰を受けたくないという気持ちが抑止力になる。」
少年法と成人に対するそれとの違いはここにあるのだろう。
しかし、私は成人に対しても少年法の理念を取り入れるのがよいのではないかと思う。
加害者を寛大に扱うということではない。さらなる被害者を出さないために、まず、加害者を作らないことだと思う。