SSCドロップインセンター 

少年事件・非行問題・いじめなどの相談を受け、一緒に解決の道を考えるソーシャルワーカーたちの活動の紹介です。

少年たちの変化

2010-06-08 09:10:52 | 少年のこと
研修が終わって、ようやくいつもの業務に戻ることができています。昨年度の助成金の報告書を懸命に仕上げています。1年間の少年たちとのかかわりを整理しているとあらためていろいろなことが見えてきました。

年度末、事業のまとめのところで元暴走族でいまミュージシャンになっている青年たちと座談会をしました。

昔話から最近の少年の傾向まで、話の内容はかなり広い範囲に及んだのですが、彼らが一致していたのは、少年たちのエネルギーのなさでした。

「やりたいことがあれば、やればいいのに、言いたい事ははっきり言えばいいのに。」
こんなことをいっていました。

「おさない、ということではないようですね。表現することを抑えられてきたのかな?」

こんなこともいっていました。

報告書に詳しく書いていますが、「いいこ」が多くなってきて、どうじに大人たちがそれを求めているようです。大人たちも「いいひと」が増えてきたのでしょうか。

「いいこ」「いいひと」とは、自分をあまりださないことと考えているようで、それはほかの人が自分を出すことに対するマイナス感情になっているような気がします。
それが他人の口を封じる、表現をしてはいけないという風潮になっているような気もします。

「妄走族」のリーダーを間近に

2010-04-11 09:10:34 | 少年のこと
「妄走族」というラップのチームがあります。
ツッパリ系の中高校生には絶大な人気を博しております。

現在30代に突入した彼らの中学校時代を、一緒に振り返り、今の中学生たちについて語り合いました。

20年ほど前の少年達は「誰に対してもはっきりとものを言い、時には態度で主張する。」ということをどこかで美徳としていたそうです。

自分達の主張を叩き潰そうとする大人もいたが、話を聞こうとする大人もいた。

自分自身にもイライラすることもあり、主張のすべてに正当性を謳うわけではないが、常につっぱっていたという話をなつかしそうにしてくれました。

芸能界に入って学んだことはと聞いてみると、

「人に頭を下げることです。」

「しかし、気持ちまでうつむくことはありません!」

気持ちのよい時間を過しました。

体験入学

2010-03-12 09:29:02 | 少年のこと
昨日、東京調理師専門学校のオープンキャンバスに行ってきました。

「この学校に行きたいがどうか?」という相談を受けたのですが、私にはこの手の知識がなかったのですが、「感想なら言うことができるかも」ということでの体験入学でした。

参加者は20数名で、年齢もそれぞれ。私が最高齢者ではないようでしたよ。

体験入学ですから、学生獲得のために多少のサービスメッセージはあるのだろうと思っていました。

あにはからんや。

最初の挨拶はにこやかに、学校の「よさ」をアピールするものでしたが、現場で実際に調理をしながら説明をする、日本料理のクラスの主任(だと思います。)はにこやかながら、厳しい内容が語られました。

その厳しいコメントに、私もつい引き込まれ、まわりの参加者も食い入るように主任の手さばきに見入り、聞き入っていました。

「ここに来る人たちは本気だ。」

就職率は100%だそうです。

「進路変更」としての退学者もそこそこいるようですが、際立った人数ではないようです。

私も入って勉強したくなりました。

貧困と虐待

2010-03-10 08:55:24 | 少年のこと
あらゆる人があらゆる人に対して怒りを持つ可能性がある最近です。

人が社会の中で役割をなくし、自分だけでなく他人も「必要ない」と感じてしまう、そしてその他人が、僅かでも自分の行く道を遮ろうとすると、怒りが噴出してしまうようです。

今の社会では、一人ひとりの作業が必要とされる部分は、文明の発達とシステムの中で消滅し、社会の機能は一部の有能な人間によってのみ操作されているように見えます。

自分が社会の中で役割を持てないという自己喪失感は、その深さの分だけ他人に向けられ、自分の存在と同時に他人の存在を尊重できなくなります。

それだけでなく、自分の「やりたいこと」を僅かでも遮ろうとするものに対しては、極端とも思える攻撃になっています。

親のわが子に対する虐待も、このことに起因することが多いような気がします。

これは、飢餓状態です。

飢餓状態の中で当然にヒューマニズムは消滅し、自分が生きることに対してさえその気力を萎えさせます。

この飢餓状態をどのように解決するのか・・・

子どもの声の社会化

2009-12-10 10:23:41 | 少年のこと
先日、「子どもの現状」に関する講演を聞きに行きました。

講演者はもと小学校の教員で現在は大学で教鞭をとっているとのことでした。

講演の冒頭で、自死をした女の子の遺書をかざし、それを読み上げ、続いて両親の手記を読み上げました。

一般には出回っておらず、その方の独自のルートで入手したそうです。

後半では、ご自身の受け持った家族の様子を実名をパワーポイントと資料で示し、その母親の手紙や子どもが泣きながら教師に対して告白した内容を話しました。

私は不快感で一杯だったのですが、それは自分の中だけの問題なのでしょう。

私は、草薙厚子さんの書かれた少年の精神鑑定を掲載した著書や、少年の実名をタイトルにした本を手にすることはありません。それは、子どもとの信頼関係で得た情報についての取り扱いは、誠に慎重にあるべきで、その緊張感を緩めるとたちまちその信頼関係は崩れ、子どもを傷つけることになるからです。

子どもの受ける傷を犠牲にしてまで、社会に警鐘を鳴らすようなことは、私はしません。だから、今回の講演にも大きな抵抗感をもったのでしょう。

講演に出席した多くの方は、守秘義務については、意に介しておらず、講演者を賞賛していました。

中には教育者もいたはずです。かれらも社会への警鐘をならすためなら、子どものケースを話すのでしょうか。

私は、私のところへ相談に来ている人のことは、内容はおろか、誰が来ているかということも知らせることはありません。例外的に知らせなければならない時には、本人にきちんと確認して取り扱うようにしています。これは、当然のことだと思います。

子どもの声の社会化は、社会に子どもの現状を知らせるために必要なことです。しかし、それは声を露見される子どもの傷のリスクと引き換えになる危険性があります。

つねづね慎重であり、ひとつひとつの表現が「どうか?」ということを考え合っていかなければならないと思います。

そこに議論も考察も加えず、子どものケースの垂れ流しを許してしまうようなことには決してなってはいけないと考えています。

遠方からの相談

2009-12-07 09:06:22 | 少年のこと
かなり遠方から相談の依頼があります。近所の人では、相談後も顔を合わせることがあるので、気まずい思いをすることがでしょう。わかります。

日帰りで訪問できるところの限界は、やはり200kmくらいでしょうか。相談の内容にもよりますが。

昨日は諏訪。往復200kmですから、日帰りの限界かな?

朝5時半に車で出て、8時半に現地に到着。3人の面接をそれぞれ1時間半程度行い、14時に諏訪を出発しました。電車ですと、現地での移動が大変になるのですよね。

渋滞情報が入りました。小仏トンネルから35km渋滞で渋滞を抜けるのに4時間以上かかるということ。

初狩のパーキングエリアに車を停めて、仮眠を取ることに。

解消しきらない渋滞を眠い目をこすりながら走り、それでも21時には自宅に帰り着きました。

八ヶ岳が紺碧の空に映えていたことと、夕暮れの富士山のシルエットを眺めることができたのが、報酬の一つでした。

アスペルガーについて

2009-11-29 18:59:01 | 少年のこと
世田谷区を中心に活動している「子ども☆若者ネットワーク」の勉強会に参加してきました。

30代のアスペルガーの方のお話でした。

幼少期の体験、印象また、成長期での悩み、大人になってからの社会からの疎外感を、決して社会の責任に押し付けることなく、冷静に話をされました。

そこから見えてくる、日本の社会文化構造、経済構造、福祉施策の脆弱さを当事者の目を通して考えることができる貴重な会でした。

私達「支援」をしようと思っている立場が、実はもっとも当事者にとってじゃまな存在になり、善意が見えるだけにそのことをはっきりと表明することができないという迷惑な存在になっているかもしれないことを危惧する立場としては、あらためて「支援」そのものを考えさせられることになりました。

企画の方々もすばらしい。それぞれの熱意があふれるすてきな会でした。

講演で。

2009-11-28 18:07:40 | 少年のこと
高校生向けにも話しをすることがあります。

よく聞いてくれる高校生には、こちらもよい気持ちにさせられますよ。

その高校から、「続けてきて欲しい」という打診があったそうです。しかし、そのあとすぐに連絡で「予算がないから、今回はあきらめます」ということでした。

「いいえ、ただで行きます。」

予算がない、ということが断る方便であったとしても、まだ高校生達に伝えたいことがあります。

少年の殺人

2009-10-07 09:14:38 | 少年のこと
暴行していたら死んでしまったので、ドラム缶に入れて捨てた、という事件がありました。

「暴行していたら、死んでしまった。」とは、傷害致死であることを言っているのでしょう。

加害者側には未成年の女の子がいたらしいですね。

なぜ、人を死なせるようなことになってしまったのかわかりませんが、数日も家に帰らないでいたことができるような環境にいた未成年者の、ある行き着く場所であったのかもしれません。

彼女達は、この事件が起こったことでそれまでの「自由」な生活に終止符を打つことになります。

この機会に、自分を大切にすることを覚えていかないと、その先もっと大きな事件に行き着いてしまうような「自由」の中に入っていってしまうような気がします。

とはいえ、本人の選択、他からの操作を受け入れることはないでしょうね。

親が変わると子どもが変わる・・・?

2009-10-01 22:33:42 | 少年のこと
少年についての相談を受けている場面では、少年以外の人が相談に来ることが多くあります。

少年は迷っている、それが逸脱行動になる、それを親や周囲の人が見て「何とかしなくては」と思う。

大人達の相談は、「少年を何とかするために力と知恵を貸してほしい」というのが主訴になっています。

多くの相談員が口をそろえて言います、「親が変わらなければ・・・」
たしかにそのとおり。

少年の迷いに目を向けず、逸脱行動という目に見えるものにばかり関心が向いてしまっては、少年が迷いから歩き出すことはむずかしい。

大人が見方と変えることが大切だ、少年の迷いに目を向けましょうということです。

しかし、なかなかそう簡単にいくものではないようです。

大人はどう変わってよいかわかりにくいし、子どもの「迷い」に具体的にどのような視点を持ってよいのかわからない。

相談に来た人がますます混乱に陥ってしまうことはあるでしょう。

子どもが変われば大人が変わる、ということもありそう。

子どもの行動に他の大人が何かしかの関わりを持つことで子どもが少し変わってくることがある。
親はそれを見て「なるほど」と思うことがある。

子どもが自分で考えるようになることが、大人変わることのきっかけになることもあるようです。

私達ソーシャルワーカーはときどきそんな役割を担います。