SSCドロップインセンター 

少年事件・非行問題・いじめなどの相談を受け、一緒に解決の道を考えるソーシャルワーカーたちの活動の紹介です。

ハナマサの偉大さ

2009-05-28 19:07:39 | お知らせ(センター主催)
5月31日を目の前にして、あわただしく動き回っています。無駄な動きもあるかもしれません。

ホーショールの中身の羊の肉をインターネットやモンゴル食材店で捜していましたが、「肉のハナマサ」にありました。

それだけでなく、今回の料理の材料がここでほとんど揃ってしまいます。

「ハナマサ」恐るべし。しかも安い。

しかし、夕方なのに、客がほとんどいませんでした。

大丈夫かな?

行政窓口は「相談窓口」か?

2009-05-28 08:57:13 | 成人のこと
繰り返し考えてみたいと思います。
行政窓口は、はたして「相談」ができるところなのでしょうか?

ドロップインセンターは少年の問題を扱っていますので、生活保護やその他成人の問題が持ち込まれることは、それほど多くありませんが、それでも年10数件ほどはあります。

最後に、絶望寸前で相談にやってくる方がほとんどです。

その絶望寸前に追い込まれた原因のひとつが行政窓口の対応にあります。

区報や、法律、条令など、行政サービスをパンフレットなどで調べ、少しの明るい希望を持って、窓口をおとづれると、サービスを受けられないばかりか、「自分が悪いことをした」かのような言われ方を公務員からされることもあります。

残念ながら、行政窓口は属人的なところがあります。

私も、行政に対するアプローチについて相談を受けるときに、窓口に誰がいるかを調べます。30年もこの地にいれば、窓口の担当はみたことのある、また話したことのある人は多くなっていますし、誰かに聞くこともできます。
そして、「会ってはいけない公務員」を避けるようにします。

中には丁寧な対応のできる人もたくさんいます。
が、その人のような対応を期待していくと、がっかりすることがあります。

よく調べ、準備をして、サービスをうける「蓋然性」を構築して窓口にいかなけれならないのであれば、行政窓口は「相談窓口」ではないということです。

もっとも「相談」の解釈にもよりますが。

子どもへの勇気

2009-05-26 18:32:59 | 成人のこと
赤ちゃんポストに「預けられた」子どもが、昨年24人だったとニュースで言っていました。

2年前、退院を二日後に控えた私の病室の下で、赤ちゃんが置き去りにされていたのを思い出しました。

24人の赤ちゃんの命が助かった、ととらえるのがよいのでしょう。

先ほどもニュースで、生まれたばかりの赤ちゃんを、窓から外に放り投げた母親のことを聞きました。「家族に迷惑をかけたくなかった」そうです。

育てる育てないはともかくとして、生まれたいのちを「生かす」ことにはどうしたらいいのかを、小さな勇気と、周りの支援によって考えていく必要がありそうです。専門家だけの知恵ではだめですよ。手が足りません。

社会のダイナミズムに転換していかなければと思います。


5月31日 モンゴルへの風散歩

2009-05-26 08:31:35 | 成人のこと
モンゴルが近づいてきました。参加スタッフの人数も増えてきました。会場になる世田谷ボランティア協会との打ち合わせも進み、次第に形を整えてきました。

ところで、アムラーさんは多忙の中にあるようです。日本国内をコンサートで飛び回っています。

私達の手作り企画とは違い、緊張の高いステージでの演奏になっていることでしょう。

5月31日は、緊張を解いて、気楽に演奏をしてくれればと考えています。

当日の開会は15時。19時までの間に、アムラーさんのコンサート、天馬の会のコンサート、モンゴルの写真解説、モンゴルの映像紹介、デールの試着、馬頭琴体験を行います。

アムラーさんのコンサートは、2回予定しております。

時間がはっきり決まりましたら、またお知らせいたします。

豊かさゆえの貧しさ

2009-05-25 16:35:47 | 成人のこと
いま、日本では、その気にさえなれば、食べるものがなくて死んでしまうことはほとんどありません。
「ワーキングプア」と言っても、毎月10数万円の収入はあるようです。

食べるだけなら、なんとかなりそうです。
しかし、それ以外にかかるものがありそうです。「生きる」ことのベースが、この豊かな日本あって、大分アップしているように見えます。

そうした「ワーキングプアの若者」と高齢で1人暮らしの方の生活を混同して、とらえてしまうと、本当に貧困でもがいている人の問題を見落としてしまいそうです。

「貧困」の問題をどこまで整理して行政がとらえているか、丁寧にみて見る必要がありそうです。

世界へ

2009-05-25 08:33:58 | 成人のこと
看護士になって6年、病院の中でも部署をまかされるようになってきたところで、初志を貫く決心を固めた彼女は、足がかりをイギリスに求めました。

さらに深い知識をもとめ、広い視野を養い、英語力を獲得して、医療の行き届きにくい国へ行くということです。

彼女はまだ28歳。

「いってきます」と力強く私の手をにぎり、世界に出発しました。

一切の迷いのない、まっすぐな目にを行く先に向けていました。

うーん、くやしい。

2009-05-24 15:45:33 | リサイクル事業
リサイクル事業の収益は、資源の売り払い代金です。今、新聞はキロ6円、段ボールはキロ4円、鉄はキロ6円から9円くらいです。相場ですから、毎週値段が変わります。
そして、買取金額は買い取る会社が決めます。
誰に対しても同じ金額で買取をする会社もありますが、相手によって金額を変えてくる会社もあります。

ある収めにいった会社。

計量伝票を持って、事務所に行き、そこで金額を受け取ります。

女性事務員が、奥に座っている上司に

「いくらですか?」

と聞きます。

「うん、30円」

はっきり聞こえました。

そして、その上司が私の顔を見た後、小声で女性事務員に

「いや、25円」

と値段を言い直しました。

私は、その会社では、安いランクに位置していたようです。

これが現実なのですね。

アルミ缶を自転車に山のように積んで回収しているおじさん達、かれらはもっと安いのだといいます。

軽度発達障害

2009-05-23 10:46:01 | Weblog
軽度障害、とくに、一見しただけではわからない障害を持った人へのケアはまだまだ山のような課題を抱えています。

重い障害を持った人に対するケアは、多くの人の力、とりわけ当事者の身を削るような活動によってその存在が認知され、具体的なケアの方法試行錯誤されてきました。もちろんすべての人に対して十分なケアがされているとは思いませんが、その都度議論をする土壌はかなり広がってきています。

軽度発達障害の方に対するケアは、その様子がわかりにくいこともあって、遅々として進みません。進まないということは、周囲の理解も得られにくいということの意なります。

それどころか、根性論による障害の克服を声高に叫ぶ人たちもあらわれ、軽度障害を持つ人たちの自尊心を削り取ってしまうことになっています。

世間の偏見の目は、机上の説得では払拭することはできません。

どこかが出発点になって、障害を持つ人たちに対して何が必要で、何をすべきかを議論し、実践を積んで試行錯誤を繰り返していくことによって、偏見を理解に転換させることになるのだと思います。

まず、「知る」ことから。

定期的に勉強会を重ねていきます。

人と車

2009-05-22 17:21:56 | 街中で
廃品回収で各家を回りますから、住宅街や時には狭い路地を走ることもあります。

お年寄りが道の真ん中を、ゆっくりゆっくりと歩いています。

私は特に急がないので、車を止めて歩行者が安全な場所に移動するまで待つことにしています。

ときどき、歩行者が私の車に気がついて、あわてて脇によることがあります。

歩行の困難なお年寄りが、自分の動きをもどかしげに感じているような表情で移動するのを見ると申し訳ない気持ちになります。

人が道の真ん中を歩くことができる町であればと、加害者の私が言うことではないかな?