最近、ネットで、「高齢者が頭と身体を使い続けるためには、車の運転を続けるべきだ」という主旨の記事を見ました。
えっ? うん?? と即座に疑問が。
"頭と身体を使い続けるため=車の運転" という短絡的な図式は根拠のない単なる個人的思い込みに過ぎないと思うし、いくつもの問題点があるだろう。
なぜ車の運転が身体を使うことになるのか? の説明としては車で出掛けると、広い駐車場などで沢山歩くからだってさ。いやいや、意味不明ですね。歩くことなら車の運転をしなくても、どこでもできること。むしろ車利用が、歩かなくなる最大の原因では?
ちなみに私は、名古屋に来てから免許を返上しました。その理由は・・・
1、名古屋の道がよく分からないので、運転に不安を覚えた。
2、高齢になってから万一事故でも起こしたら悲惨な老後を送ることになるだろうから、それを避けたい。
3、名古屋は何処へ行くにも、電車とチャリで十分に対応できる。
この3点でした。
そして、これは否定できない事実として高齢になると体力や運動神経は確かに低下します。だから、個人差はあるとは言え、多くの高齢者の運動能力や反射神経は低下しているはず。だから、高齢者の信じられないような凡事故が絶えない。しかし、車だとその凡事故が死者に繋がってしまう。つまり、殺人!!
それなのに、高齢者による事故や逆走が後を絶たない。それは、ひとえに高齢者自身の認識が甘いからだろう。他人ごとだと思っているのだろう。
例えば、私は最近、一日カラオケをするとかなり体力の消耗を感じます。あるいは、たいした運動ではないことをしても翌日に筋肉痛になってしまったり。体力、反射神経は間違いなく落ちています。
ということで、私は高齢者は車の運転をやめても出かけられる環境にあるならば、一刻も早く免許返上すべきだと思っています。
もう一つ、健康の話。車の運転には、当然健康でなければ注意力が欠けてしまうだろうから、健康に留意することは当たり前。
私が高齢になる前に将来を考えてライフスタイルの手本にしたのは『山奥で一人暮らしをしている人達』でした。
彼ら彼女らは、ほぼ毎日畑や山に出かけて農作業をしています。また、自分の生活に必要な炊事洗濯などの身の回り処理も、全て自分のことは自分でしています。そういう毎日の積み重ねによる足腰の鍛錬と自立意識が、健康の根本だと理解しています。
さらに私がプラスしているのは、カラオケや、人的交流、物事の観察、ブログなどです。ボランティア活動も検討しましたが、集団行動が好きではないので今のところ参加していません。
カラオケは、なかなか相手を見つけるのが大変なんですよ。(^-^) それと、人的交流もイチゴのイチエさんからいつまで相手にされるだろうか?と言う心配もあります。もしかしたら、落語のような話芸まで昇華できれば何とかなるかな?(^-^) ブログは歩ける限り、続けられると思う。
さて、健康に関しての問題点としてもう一つ。高齢者は医者に掛かって色々な薬を飲むことがマイナスになることがある・・・と言う点です。
ある日、日本の医療システムは「臓器別」によって構築されていると知った時に、私は目からウロコでした。
つまり、ある科でいただいた薬を飲むことが必ずしも元気にはつながらないことがある、ということですね。一つの臓器は改善されても、身体全体として元気がなくなることがある。
これは、前立腺癌の検査で如実に感じました。精密検査をして、指定された薬を飲んでいると元気がどんどん無くなったのです。今は止めていますから、元に戻っています。
仮に、前立腺癌は発症するとしても、発症までにはかなりの期間を要するようです。10年くらいかかるとするならば、それで十分。
とにかく、無意味に長生きさせるための臓器別診療は無駄です。元気に過ごせる健康寿命を延ばす総合診療が必要なんです。そして健康寿命を過ぎたら、さっさと死にたいのです。ホント。(^-^)(^-^)
だから、そういう現状下では、医者に頼り過ぎず、あくまでも自分の身体は自分で管理するという意識が大切だと思っています。そして、健康に自信がない人は車の運転をすぐに止めるべきです。