goo blog サービス終了のお知らせ 

ゴーゾン!

遠慮はそんりょ

複雑に絡み合って

2006-12-08 05:35:12 | 大学受験
ここで、自分の特徴を一部挙げたのがよい機会なので
とりあえずここいらで、落ちた原因の主たるものを挙げてみました。

今後触れるため用にキーワードを書きなぐっただけのものなので
、とか・に論理性のない部分があり見づらいですが
とりあえず…

◎は自分の性格、★は分かったこと

1浪~3浪までは第一志望は一橋大学でした。

<本文>

◎完璧几帳面潔癖主義…教科書も頭の分野からキレイに、ノートも板書用と清書用、1問目から分からないともういらないダメ答案、もう履歴が汚れたから無理・なげやり(浪人期)、一日サボった日があればもうダメ・また0からやり直し
◎情報不足…塾の選択、大学に合格した人の勉強法を知らない・知ろうとすることも知らない、スタートダッシュ失敗
◎過信、視野が狭い…ついていけないけどそこにいないのも不安な上級クラス選択、過去(=基本)に戻るのが怖い、Z会
◎貧乏…お金をケチった(後で結局かかる)→参考書代・予備校代・受験料・浪人期の費用
◎INPUT/OUTPUT/FEEDBACKの各バランスが悪い…復習をしない、問題対応数の絶対的不足→知識を入れようとする学習のみ、練習不足
◎我慢ができない、楽天家…寝る大好き(睡眠障害・入試で寝る)、どうにかなるだろう、神様はいる、奇跡は起こる、持久系能力無
◎負け癖、落ち癖、うれしい涙知らない…ネガティヴ心理

★やっぱり全国区で教えている先生が良い、地方の予備校は「密室」、衛星配信系は先生の緊張感(常に最新を・聴講人数も桁違い→質の高さ)
★余裕があれば大学の授業も覗いてみるべき…一般に上級の学校へ行けば下位の学校の内容は易しく思える
★勉強だけでなく、勉強法を勉強するのも大切…和田先生、入試は論理学、野口先生、○○大学合格記、「何となく勉強」と言う表記が多い
★急ぐのに回らず、しかもショートカット…急がば回れは真理
★第1志望より高い大学を受けるつもりで…第1志望の大学を目標にしての勉強では厳しい(一橋→代ゼミTLの件)

</本文>

これらが複雑に絡み合って、不幸の道になります。
次回はいよいよ現役時代のセンター試験に入ります…
どうだったのでしょうか、、、乞うご期待!
ブックマーク・RSSリーダー登録ヨロ!



大学受験#9 落ち癖

2006-12-07 03:58:21 | 大学受験
高校3年の秋、推薦入試のころです。

<本文>
11月末、K大学推薦入試。
記述式英語のみ一発勝負!

初めての大学受験。でもあまり緊張していない。
試験開始。でも、ほとんど前に進まない…
試験終了。解答用紙はほとんど埋まっていない。

…結果、不合格。

対策不足です。実際、高3になって塾や学校でやっていたのは
センター試験型の問題ばかりで、記述式の試験問題は全くといっていいほど
対策を採っていませんでした。
赤本は買ったものの、買っただけです。

ほとんど試験対策もしていなく手ごたえも皆無でしたから、まあダメだろうとは思いましたが
それ以上に高校入試のときのことを思い出して、
「またがんばっても報われないのかな…」という不安が起こり
合格発表の結果を知った日は学校を休みました。
落ちた悲しみや悔しさではなく、未来が怖くなって
また一日中泣きました。

僕は特別進学クラスで文系の中では一位でした。
理系で1番だった僕の友達は同じころ某国立大学の推薦入試に
合格してしまいました。
国立大学合格を熱望していた高校サイドはそれはもうたいそう
喜びました。
僕もうれしかった。彼も別の学区のトップの高校に落ちて
ここへ来た仲間だったから。
でも、悔しくもあった。
「何で。。。」

学校ではできれば2次試験での合格を望んでおり、
クラスではすでに国立大学を狙っていけるのは僕だけになってしまい
かなり無言の重圧を受けていました。
各教科の先生がとっかえひっかえ僕のところに来て
「補習しよう!」「今日放課後残れる?」とか。。。

ここは、くよくよせず自分にハッパをかけて、気持ちを切り替えました。
K大学を受験するチャンスは、まだあるからです。
センター試験まで、あと1ヶ月!
とりあえず、大手のセンター試験対策問題集を
ときまくりました。
</本文>

「落ち癖」とでも言いましょうか。
高校入試で一度ショックを味わってから
「合格するイメージ」が全然つかめないのです。
「合格なんて絶対しない」「合格するのがおかしい」「だから何をやっても無意味なことになる」と。
で、何も手につかなくなる。

スポーツ選手がよくイメージトレーニングをするようですし
実際心理的な効果はあるのでしょう。
でも、高校入試という一般人としては
初めて大きな勝負に出て
それで敗北した経験しかなけりゃ、勝つイメージなんてどうつかめばいいのでしょう。

僕は大学入試という競技で、結局黒星の経験しかないので
受験生に勉強面でこうすればいいなんてコメントはできないけど
ひとつだけ言えることがあります。

「今やらないと、僕みたいになるよ…」
はっきり言って、地獄です。
それは、本当に絵に描いたような、闇のトンネルの中。

出してよ!ここから出してよ!
もがいても、何もつかめない闇。
貴重な19,20歳のころに、惨めな思い出は作りたくないでしょう?

そのためには、いまひとつでも数学や英語の
問題を解かないといけません。少しでも。

コピーの自分

2006-12-05 19:51:26 | 大学受験
すばらしいWeblogを発見してしまいました。

浪人せよ!! 受験体験記
ninnjyayasikiさんのブログ

僕がこのブログを立ち上げるにあたって
「3浪、多浪」で検索かけたんですが引っかかりませんでした。
漢数字もありますよね^^;

若干相違点が見られるものの、ほぼリアルの、コピーの自分を見ているようです。
やっぱり、3浪する人間の性格はある一定の傾向へ
収束していくのでしょうか?ふしぎです。

このページをもっと早く見ていれば、自分の人生
明らかに変わっていたなぁ。。。

ninnjyayasikiさんの文章はとても魅力的で
僕なんて文才ないからうまく表現できなかったことも
すばらしく書き表されており、胸の透く思いです。

最近よく思うんですが、
理系に進もうなんて考えたことなかったけど
自分は文系ではないな、と。
今日ninnjyayasikiさんのBlogを見て
また改めて思いました(´;ω;`)

今は受験生はとっても忙しそうで
見ていないだろうけど、
たぶん、自分の次の進路を探すとき、すなわち3月ごろに
道しるべを探してここを訪れる受験生もいるかと思います。
(自分が3浪するときもネットで探しましたが
当時はまだインターネット創世期で、多浪の情報がほとんどありませんでした)

ぜひninnjyayasikiさんのBlogも参照して欲しいと思い
勝手にリンク貼らせて頂きました。

いちおう分かりやすいように
相違点、当ブログのスタンスを挙げておきます。

1.浪人するな!(ninnjyayasikiさんのブログ名と逆です^^;すみません;)
でも、ここで言う浪人は1浪まではむしろ推薦!2浪はダメ。それ以上は。。。
2.貧乏
次回以降触れますが、お金をケチったから故の失敗が多数あります。
予備校選び、受験校の数、and so on...
3.メインは国立大学
すでにカテゴリ「大学受験」でも触れていますし、貧乏との兼ね合いもあります。
4.結果に不満足
「――この結果には非常に満足した。」(浪人せよ!! 受験体験記 2005年12月17日付け)とninnjyayasikiさんは言われています。が、僕の場合は不満足といいますか、、、結局今いる地方国立大学夜間部へは
小論文で合格しました。結局、学力では認められていません。今まで受けた大学すべてに、自分の学力が否定された感が今でも強くて
悔しくて悔しくてたまりません。

なんだったんだろう。今までの時間。



大学受験#8 英語のこと

2006-12-05 04:16:57 | 大学受験
今回は日記ではありません。

たしか高校3年の1学期くらい。
記述式の英語の試験ではなかなかよい偏差値。英検準2級もこのころ取った。
でも、センター試験の英語がなかなか伸びない。

そのとき、英語の先生が、
「第1問から解いてるの?こんどは第6問から解いてみ?」

たったこの一言で、40点も点が伸びました。
僕は律儀にページめくった第1問からいつも解いていました。
なんてバカなんでしょう。

第1問(2~3点)の配点なんて微々たるもの。それなのにいつもじっくり慎重にやりすぎて
結局第5、6問(5~7点)の配点の爆発的に大きいところにたどり着くまでに
はい、時間切れ~~になっていました。
そんなことに全く、気づかなかったのです。

このときの先生の一言は、大きかったですね。

センター試験は、時間との勝負といわれますが
こと英語に関しては本当に秒単位以下、コンマレベルで処理しないと
間に合いません。
このテスト以降、大問6,5,4,3,2,1の順で解くようになりました。

あと、夏休みに手に入れた
大和書房受験面白参考書「富田の英文読解100の原則」(上下巻)で
僕の英語は開眼しました。
(※この手の参考書話は向き不向きがあるので参考程度に)
ほんとに「出会えてよかった~」と思いました。
何となく英語を勉強していて、こんな法則があるっぽいな…と
個人的に思うことがあったのですが、それが面白いほど整理されていて胸の透く思いでした。

3浪のとき、代々木ゼミナールへ通うことになるんですが、
代ゼミで富田先生が教えていることを知ったときは感激しました。
でも、あんなキャラだとは思いませんでしたが(笑)

中学時代の教科書は表紙から裏表紙まで
完璧に覚える必要があると思います。抜けは許されません。単語1つも。
トップ高校の人と同じ塾のクラスだったときto不定詞の3用法を知らないといっていたときは
衝撃でした。(僕が落ちた高校です。腹が立ちました。)
所詮英会話も、単語自体は中学校の教科書にのっているものしか
使わないし、大学入試英作文でも下手に高校で習う単語を使うと
減点の対象になります。あくまで、中学レベルの単語をどう組み合わせるかです。

次にアップするブログも英語上達のために
読んで欲しいですが、あまり教育上よろしくないです(笑)


大学受験#7 「ここへ来たい!」

2006-12-05 00:37:03 | 大学受験
今回はいよいよ高校3年生に…
推薦入試までのコト

<本文>
高校3年。
受験ムード一色、というかそういう風景を楽しむ一環で
なんとなく休憩時間中には参考書を開いてみたり…

予備校の夏期講習にも参加。あれやこれや選んでも、相変わらず予習復習一切なし。
しかしこのころ、参考書に手をつけ始め、自ら進んで勉強するという姿勢が
夏ごろになってようやく、芽を出した。

今思えば、いろんな教科の知識で記憶に残っていたり、勉強している風景が頭に浮かんでくるのは
ほぼ「自分で参考書を買って自習室や自宅で勉強している」状況であることに気づく。
結局、学校や塾での授業はすべて受身の態勢で、自発的に知識を得ようと
していないということの現れであろう。

高校3年の7月。僕はこの時点での第一志望を公立K大学外国語学部に決定。
オープンキャンパスに参加。このとき初めて「大学」というところに足を踏み入れた。
きれいな校舎、楽しそうな学生。一気に「ここへ来たい!」という気持ちになった。
パンフレットはその日以来、いつも肌身離さず持ち歩いた。
何か、毎日パンフレットを見て強く思っているだけでも、合格したい思いが通じるかなと思って。

高校サイド、家族ともに国公立しか頭にないので、そのチャンスを増やすために
1校推薦してくれるとのこと。
もちろん選んだのはK大学。
高3になると毎月のように模試があるが、その成績はずっと横ばいで、
45~55くらいであった。
こんな成績では推薦しても勝ち目はないので、次の全国模試でいい成績なら
推薦で受験してもいいよ、と。(学校側はあくまで冬の試験による国立大学合格の実績が欲しかったので
推薦入試自体積極的ではなかった。)

その次のセンター型模試、僕は神がかっていました。
偏差値65です。
それまで、マーク式の試験では振るわないものの、記述式では
けっこう高偏差値を叩きだしていたので、それも考慮して
あっさり通過!推薦OKです。

11月末、K大学推薦入試。
記述式英語のみ一発勝負!
</本文>

志望校を早めに実際見に行くことはとても有用なことだと思います。
ますます勉強に気合が入るものです。
でも、勘違いしないで。
よく、「毎日志望校のこと思っていたら合格しました!」なんて
予備校や通信教育の合格者体験記に書いていますが、
思っているだけじゃ、合格しません。

想ったり祈ったりするのも大事だとは思いますが、
ひとまず受験生は少しでもペンを走らせているほうが
合格に近づきますよ。

奇跡なんて、起こりませんから…
神様なんて、いませんから…

大学受験#6 遊んだ。

2006-11-30 18:19:50 | 大学受験
今回は高1~高2の話です。

<本文>
定期試験の成績は1位か2位。
授業も週6日。0限から8限and補習と学習は学校の授業のみでやる。
塾には行っていない。家での勉強時間は皆無。1分もない。

なんとなく授業を聞き、ノートをとって、定期試験のときは、丸暗記。
解き方とか全く理解せず、、、

高校1年の初めての全国模試。
偏差値50くらい。
偏差値という値がどうやって導き出されるかも知らず、順位も分母が大きすぎて???

まだ焦らず。
ていうか、焦りようがない。敵のことをまったく知らないんだから。

高1のいつだったかの試験で、がくんと落ちる。
高校生活が楽しく、ちょっと遊びすぎたか。
そのとき、先生に呼ばれた。
「春に悔しい思いしたんじゃないの?どうしたの?どうして頑張らないの?」
思い出して、職員室で泣いた。



高校2年、17歳!
とにかく、遊んだ。何もかもが楽しかった。

春から、地元の予備校に通う。
ローカルではCMもバンバン打つ老舗で有名なところだった。
英語だけ選択。ハイレヴェルコースに入る。
怖い男の先生だったので、予習をしていく。
基礎からじゃなく、いきなり応用問題。
和訳も、実際方法論を展開してくれるわけではなく、単語単語で逐語訳っぽい、
分かったような、分からないような文章。
受験英作文なんて学校ではやらず、これもルールが分からないまま
ただ和英辞書で単語を並べるだけ。そんな予習。
授業も今思えばただの英語マニアの先生で、
単語については、かなり細かい分析をするが、
、、、それだけの先生。
なにを覚えたかという記憶はない。復習は一切しない。

学校では相変わらず拘束時間は長いが、予習や復習は全く。。。
僕のいた特別コースは、先生こそ有名大学卒業だが
卒業したばかりで、実際に学校という現場で教えた経験はない。
教え方自体、ちょっと不安のあるような先生ばかりだった。

手元に残っている模擬試験の結果。
(マークなのか記述なのか成績表から分からない。)
第2学年 3回 7月実施 3教科。国語/数学/英語→60.3/68.9/52.2
第2学年 5回 11月実施 5教科。国語/数学/英語/地理/生物→55.9/66.7/59.4/52.9/51.3
第2学年 6回 1月実施 5教科。国語/数学/英語/地理/生物→58.3/64.1/57.1/46.5/48.4

志望校も、ただ当時一番好きだったというだけで
英語関係の学部にしようかな、というレベル。志望校自体は白紙状態。

この時期、勉強よりも土曜のカラオケ、夏休みの友人との旅行
コンサート、修学旅行、毎日放課後はファーストフードの店でだべる、プリクラ…
そんな日常生活が楽しくてしょうがなく、それしか頭にない。
</本文>

予備校へ行きだしたのはたぶん、好きなはずの英語の成績が
頭打ちだったせいかもしれない。
上記の成績を見ても分かるように、このころはなぜか数学のほうが
成績が良かった。(でもかといって、数学を理解していたと言うと、全然そうではない。どうやってやっていたかもう忘れてしまった。ただ定期試験の丸暗記でも模試で対応できてしまっていたのだろう。良くないことだ。)

地元で昔からある有名だったからといってこの予備校に行ったのも
結果としては良くなかった。
予備校独自のテキストを利用していたが、どうやらもう何十年も改訂していなさそうな内容で、信用できなかった。
また自分は英語ができると思って、ハイレベルを選択して
不幸にもクラス分けテストで合格してしまい、基本も何にもできていないのにいきなり応用で…と、無駄だった。

かといって、外国語学部志望なのに初級クラスだと不安。
ハイレベルにいるだけで安心。ハイレベルの先生に教えてもらっているだけで満足、みたいな全く意味のない考えを起こしていたのも問題。

過去の塾選択の失敗が全く生かされていなかった。
分からない授業なのに「切る」勇気がなかった。

大学受験#5 死ぬ気で

2006-11-25 17:56:27 | 大学受験
今回は高校入学のころです。
てか、1月までに終わるかなぁ
なんせ今回から、高校3年+3浪の計6年分だからなぁ(ワラエナイ…

<本文>

僕は第一志望であったA高校のほかに、「滑り止め」として私立2高校受験していました。それは2つとも合格していました。
一方の高校は地元の私立ではトップクラスの高校で、歴史もある学校です。
もう一方は、地元ではカス高校扱いで、どこにも行く高校がない人たちが行く学校というような高校です。
僕は結局、後者の学校へ入学することになりました。

当時の僕はそこそこトップレベルの位置にある人間。何でそんなところに入学したかというと、
その学校はそんなイメージを払拭させようと、本来の普通科とは別に新たに「大学進学特別コース」を設け、
国立大学へ合格させようというプロジェクトが発足していたのです。
そのコースの生徒は、奨学生扱いだったのです。。。

僕が合格していたのは、その「大学進学特別コース」。
我が家は貧乏でしたので
奨学生扱いを利用すべく私立トップのC高校をけって、D高校に入学したのです。
今思えば、浅はかだった?
いや、でも、よかった。かけがえのない友人と、数え切れない思い出ができたから…

先生は、有名大学出身の先生ですべて組まれ、
勉強を学ぶ環境も整っていました。
ただ、そのコース自体まだ手探りで、先生の入れ替わりが頻繁に行われていました。まだ実績が出ていなく、カリキュラムもまだ確立されたものではなかった。

悲壮感に包まれながらの入学式後、僕は校長室へ呼ばれました。
「君はこんなに成績だったのに、A高校に落ちてしまったのか、でも、ここで頑張って
見返してやりなさい」
校長先生はじめ上層部は僕の入試の成績を片手にそんなこと言いました。
A高校不合格でこのD高校へ来た生徒は僕が初めてで、学校側も期待していたのでしょう。
かまって欲しい、ちやほやされたい性格の僕は、ここで少し励まされました。
学校も僕に期待している、頑張らないと、と。

新学期早々、志望校についてのヒヤリングがありました。
大学について全く知識のない僕は、何を書けばいいのか分かりませんでした。
(この時点でもはや、手遅れです)
大学といえば、高校の次に行くところ。しか知識が頭にない僕は、
学部?学科?国立?私立?????でした。

とにかく家族からは、お金がないから国立!
校長先生からも、国立!
旺文社の分厚い大学案内が渡され、「国立」という分野から
とりあえず一番得意だった英語から探そうと思い
都会に行きたい思いもあり
「東京外国語大学」と書きました。

「あなた、、、そこは…難しいわよ?」
担任に言われました。
その場の僕はどう思ったかははっきり今でも覚えている。
「悔しい。」どうしてしょっぱなから、否定されなければならないのか。
そう思っていながら僕は「悔しい→頑張ろう」ではなく
「悔しい→引き下がろう」と言う性格でした。(※1)


</本文>

あとにも先にも、東京外国語大学という名前はここだけでした。w

今日のポインツ。
・(※1)受験だって生きるか死ぬかの真剣勝負!押せ押せの気迫が
絶対必要!だけど、昔から何かにつけて一歩下がり、譲歩する性格の僕は、そもそも
受験には、向いていなかったのかな…
・確かに高校のネームバリューも気になりますが、結局は自分でどう切り開いていくかです。実際高校なんて何処も同じだと思います。先生が、学校が…という言い訳は無しだと思う。
よく英語の○○先生が嫌いだから英語が嫌いになったとか言う人がいますが、
良くそんな恥ずかしいセリフが言えるなぁと僕は思います。
・早い人はもう高校入学と同時に志望校を選定し、目標にしていることでしょう。
確かに、早ければ早いほど良いですが、かといって高3から頑張るのが遅いかというと、そうでもないでしょう。でも、実際は厳しいでしょう。
いや、はっきり言います。

遅いです!

高3から、新浪人生からようやくスタートを切るというひとは
かな――――――(10分くらい続く)――――――――り
努力が必要です!!
死ぬ気で。

「死ぬ気で」という言葉はどの受験生の口からも出るセリフでしょう。
でも、実際、死ぬ気でできる人はいないでしょう?
何ヵ年も受験生をやると、どの場所でどの先生が発したセリフか
忘れてしまいましたが、浪人生になる人は全員「死ぬ気」ができなかった
集まりだと言われました。

ネタバレですが、そんな「死ぬ気」ができなくて浪人生になったのに
2浪も3浪もしても、合格はしないでしょう。

大学受験#4 Don't wanna cry

2006-11-24 15:11:02 | 大学受験
センター試験までにこのシリーズを終えたい気持ちです。
なぜなら、僕のような過ちをもう誰もして欲しくないから…
受験シーズン前までに読んで欲しい…

はっきり言って、3浪は後悔しました。
合格した大学はあったけど、夢が捨てきれませんでした。
かといって、得たものは何もありません。
かけがえのない時間も、若さも失い、
第一志望も、青春も何一つ得られませんでした。
現役受験生、浪人生のみなさん。ここに悪例がいますので
よく見て、後悔しない人生を歩んでください。

では、紐解いてみましょう。
今日は中学3年~高校合格発表です。

<本文>

夏もすぎた中学3年のころ、そろそろ志望校を選定する時期です。
僕は、こんな時期になってもまだ、高校というものが実はよくわかっていなかったと思います。
そんなレベルであることを押さえておいてください。

夏休みは中学校で課外授業。
塾では、泊り込みの合宿など。場所は与えられても、自主的にはやっていなかった。

家族は、とにかくA高校一本!
僕は迷い中です。
僕らが1期生となる新しい高校が一番魅力的。。。。でも、遠いからね…行けるの!?と家族には言われている。暗に否定される。
実家の近くにあり、昔から将来ここへ行くんだろうなぁと思っていた、A高校のレベル的にはひとつ下のB高校が一番ふさわしいけど、当時僕をいじめていた連中がみんな
ここを受けるとうわさで聞いたからやめ。

結局僕も、どうせ射程範囲内にいるしA高校を選ぶようになるだろう。

最終的には
第1志望公立A高校(公立。学区トップ。)
第2志望私立C高校(私立。学区トップ。)
第3志望私立D高校(私立。学区超最低レヴェル高校)
を選択。公立のほうが優位にある地域です。

中3の2学期も終盤。受験も押し迫った頃、公開模試がありそれに参加。
A高校(地域トップ)を第一志望とする生徒とB高校(A高校の次位)を第一志望とする生徒のミキシング判定。
全員名前発表。今では考えられないですが…

←上位…AAAAAAAAAAAABBAB|BBBBBBBBB…下位→
(|より左がA高校合格ライン)(そして|の2個左のAが僕…)
(ここでのABはいわゆる判定ではなく、志望校の仮名)
見事に分かれています。
いや注目すべきはそこではなく、僕がボーダーの横じゃないですか!?
しかもB高校志望が3人割り込んでいる…

でも、ボーダーはクリアしている!
塾の先生もいける!学校の担任も大丈夫だろう!親も期待!
学校でのいじめに悩む僕はもうこのA高校で決めることに。

予定3高校受験終了。
卒業式。
僕は逃げるように卒業式の会場から帰った。
とりあえず、受験の終了と、いじめから開放されたことに
大いなる安堵を覚えた。

先発受験だった
第2志望私立C高校(私立。学区トップ。)
第3志望私立D高校(私立。学区超最低レヴェル高校)
は、ともに合格。

運命の第一志望、A高校。
発表の日。

様子はシリーズ1回目参照。
思い出したくない。

</本文>


志望校の選定に、自分がいなかった。
言い訳。
塾の先生も中学の先生も、今思えば絶対いけるという表情では
なかった気がする。
これも言い訳。
中学の学習内容の本質を本当に理解していたかといえば、そうではなかったような
気がする。所詮中学レベルだけど、でも高校での学習の基礎には
変わりない。漠然と記憶し、ただアウトプットしていただけ。

試験の当日には、解答がテレビや塾から速報が出て、
自己採点しても、「やった!絶対いける!」感はなく、「まぁいけるか、、、なぁ」
という感じ。

不合格のあと僕が落ちたことに対して
いろんな方面から分析(?)が出て
・ちょうど僕らが高校2年になる年に、地元で高校総体があり
スポーツ関連の部活をしていた経験のほうが優先された。
僕は、部活をしていなかった。
・先生方から裏で打診された生徒会の役員立候補を断った。
(A高校受験なら、やっておけよという暗示だったかもしれない)
・中学2年ごろからいきなりおとなしくなり、活発性がないと評価された。
など認められたが、やはり試験の結果であろう。

不合格発表の週に発売された、安室奈美恵の
「Don't wanna cry」の歌詞が印象深い。
泣けてきてしょうがなかった。泣いて、泣いた。

曲は最後に「道は、ひとつじゃないんだよ」という意味の
歌詞があり、胸が苦しかった。
(大人の事情で、歌詞が挙げられないのが残念!)

大学受験#3 ツンデレ先生

2006-11-21 02:16:56 | 大学受験
今回も中学時代の塾(中学2年~3年)についてです。
(註:この日記にはアニメに関する記事はありません。)

<本文>

その塾では、次第にクラスから軽く嫌がらせを受けるようになりました。
先生がいない間、後ろから消しゴム当ての標的になったり
嫌なことを言われたり…
行くのも嫌になり、だんだんサボるようになりました。
塾の時間には、一応家から出て、でも塾へは向かわず。
自転車で街をふらついたり、電車でただ意味もなく遠出してみたり…
その塾は中学2年の夏ごろまで在籍したと記憶しています。

それからは、しばらく何もせず…
塾へも行かず、自宅でも一切勉強せず。
部活へ行くわけでもなく。。。

そんなんで、結局行き着く先は成績下落。

見かねた母はまたしても、うわさで塾を探し出し、そこへ入りました。
中学2年の3学期です。

数学の塾。
ここは、僕にはあたりでした。
スパルタ女教師です!
やらないと、やられます。危険です。
でも、かなり面白い先生でした!

また、学校では当時僕はいじめに遭っていました
しかしこの塾は、ほかの学区にあるため、同じ中学の人間はいませんでした。
その塾のある学区の中学生がたくさん通っていたのですが、
その中学のみんなは、僕のことを本当にとてもよくしてくれました。
激しいけど面白い先生、慕ってくれるクラスメイト。
どんどん成績は上がっていきました。
実際教え方に関しては?だったけど、でも、成績が上がったのでうれしかった。

英語の塾。
上記とは別の塾ですが、学年で英語の成績がよい生徒がみんな通っていた
塾です。
ここでも、激しい女性先生でした。
僕はこういうタイプの先生があっていたようです。
中学英語に関しては納得の教え方です。

この2つの塾で、中学3年に突入です。

成績は次第に20~10位につけてきました。
地域ではトップのA高校も射程範囲に入ってきました。

</本文>


とりあえず僕は怒られないとやらない性格だったようです。
いや、怒られるのが怖くてやっていた、のほうが表現は良かったでしょう。
でもやれば、ものすごくほめてくれるんです。
アメとムチ、ツンデレですか。
勉強なんて当然、自分のためですが
やはり人間見返りがあれば、それを期待して頑張ってしまうものです。

僕は、褒めて伸びる子です。脅しても怒っても伸びます。
ただ、一番いけないのは、放置です。
この放置をやってしまった最初の塾と、その次の塾はダメだったわけです。
「自分を見てくれる」
僕みたいな性格は自分「だけ」を見てくれる。
そんなのが、あっていたようです。
実際僕は利用したことがないですが、家庭教師はいいんではないでしょうか?
でも、競争相手が必要、という性格の人にはダメですね。

どうしても親は塾選びの基準は、どこの学校に何人合格したか?だけで
セレクトしがちですが、やはり実際に勉強するのは自分ですから
どんなやり方が自分にとって一番良いか、
自分が勉強して、教えてもらっていて、その教室にいて
どれだけ「気持ちいい」「理解する快感」が得られるか、
それを一度、分析することが必要です。勉強する前に。
実際、塾なども見学や体験授業でどのような進行でやっているか
見てから選んだほうが良いでしょう。
入ってからでは、お金は戻ってきません。

また、英語の塾ですが、
家で全く予習、復習をしない僕にとっては、良かった。
毎回授業の最初で、単語のテストをやります。
それで、満点でないと居残りでガミガミ怒られます。
ですので、当然家で予習していかざるを得ないように仕組まれています。
具体的な英語の勉強方法については別の機会にじっくりやりたいと思います

今日のポインツ。
・何かと目立ちたい僕は僕をいじってくれる先生があっていた。
怒ったり、褒めたり。ただ一番ダメだったのは、僕を放置した塾。

・この年頃は友人関係が微妙な年頃。
塾の時間まで、同じ中学校の生徒のいる塾へ行く必要がない。
できれば視野を広げるためにも(2006年11月16日分母の広さは?も参照)遠い塾などへ通うのもよい。

大学受験#2 小中時代の塾

2006-11-17 06:17:04 | 大学受験
今回は塾についてです。

ーーー本文ーーー

中学生時代の勉強は、実は「よく勉強した!」という記憶がありません。
系統だった覚え方をしていなかったと思います。

テストでも、一夜漬けで頭に詰め込んで、
それでもそこそこ成績がよかったから困ったものです。
恒久的に[使える]知識として覚えるのではなく、「一時的に」「無理やり」[頭にその事項の文字を焼き付けて]如何にしてテストまでその文字のコピーが頭に焼き付いているかに苦心していました。
当然その「コピー」はテスト終了時刻には消去されています。

塾でも、いつも行けば入学試験の問題や、過去の模擬試験のコピーを渡され、悶々と4~5時間解いていたと思います。
それには楽しさも解く喜びも皆無でした。
ただ苦痛の一言。
解らなければ解らないで放置プレイ。ずーっとボーっと時間だけが過ぎるだけでした。



僕の両親はどちらも中学が最終学歴。

両親はどちらも成績がよっかったものの
貧乏で進学できなかったといいます。
実際、学生時代の成績表を見せてもらうと、確かによかった。
しかし、所詮中学レベル。
今まで散々、無知により人にだまされてきたと涙ながらに語るのを見てきました。
だから、子供だけには、どうやってでも、学をつけさそうと
いろいろ頑張ってくれました。

でも、やっぱり、実際高校や大学の経験がないので
どうやっていいかわからない。親戚でも大学進学者がほとんどいません。
手探り。人からのうわさ、情報だけで育てられました。

幼少の頃から有名大学を目指している家庭では
もう幼稚園時代から英才教育をうけていることでしょう。
しかし、僕が初めて塾へ行ったのは、小学校5年の時でした。
ここでもはや、出遅れた感があります。

さらにショッキングなことに、その初めての塾は
近所に住む、過去に先生だったことがある
母の知り合いの、おばあちゃんでした。
正直、ここで得たものは
皆無
です。
ただ毎日、時計と睨めっこ、金曜の7時から9時。
市販のドリルとにらめっこ。足の痺れだけが記憶に残るのみです。
その塾には6年生の終わりまで通いました。

小学生の成績は、そこそこよかった。
でも、すごいよかったわけではないし、学年の順位が出るわけではないので
相対的な自分の位置は不明。
ただ、当時眼鏡をかけており、おとなしい性格だから
異常に「まじめ・頭いい」キャラに周りは仕立てていました。

でも、自分でも、頭がいいと思っていたので、痛い少年です。

中学入学です。学年の人数も今までより倍に膨れ上がっています。
初の中間試験。「頭いい」と自分で思っていた僕は奈落に落ちました。

150人ちょっとの内、60位。

衝撃でした。初めての勉学に関する挫折だったかもしれません。
当時の担任からも「あなたがこんなんだとは思わなかったわ」といわれました。
きっと、小学校からの情報が行っていたのでしょう。
小学校ではほぼ平均90点台。生徒会役員。各種イベントメイン。芸術関係の
市内賞レース総なめ。な僕が、60位!?

ショックでした。
周りはきっと、中学入学に向けて、勉強していたのでしょう。
でも僕は、全くせず。。。
焦りました。

家族もショックです。
塾へまた、入れさされました。
今度は、地元ではやや名前の知れている塾です。
数学と、英語です。
ここも僕には、合わなかった。

数学の先生がほとんど、教室にいないのです。
問題を渡され、しばらく解いておいて、、、と退出。
勉強する癖の無かった僕は、最初から分からない、
また、考えようとすることもしなかった。一発目から分からないと
もうダメ。
となり、無駄な時間です。
しばらくして先生が戻ってきて、解説するも、
分野の頭っから頭に入っていないことを言われても、当然何にも理解できず。

英語の先生も、ただ教科書の文を一人で訳して呼んで
終了。

無駄なお金です。

でも、こんなんでも、変に要領がいい少年だったので
なぜか成績は上がったのです。20~30位になったでしょうか。

困りました。

ーーー/本文ーーー

今日のポインツ。
・幼少の頃から、勉強する意識がついていない。勉強に対する楽しさを知らない。
・でも、変な少年だった僕は、要領だけでなぜか成績がよいから困る。
・親による塾の選択が、周りのうわさ、地域コネクションに振り回されている。

つづきます。

大学受験#1

2006-11-13 02:49:50 | 大学受験
さてさて。
僕のプロフィールにもあるように、僕は受験に関して、かなり苦労しました。
木枯らしも吹き始めたこの季節、受験生は微かな不安を感じているのではないでしょうか。
そんな受験生に、ひとつの参考として読んでもらいたいなぁ。

何年も前に、受験というテーマでWebページを立ち上げようとした際に
書いてきたものをうpします。

長いので分けます。
一応センター試験のころに完結するようにします。

ーーー本文ーーー
長い期間にわたって、苦んでいた大学受験から数ヵ年が過ぎました。ようやくこうして、落ち着いてこの戦いを振り返る機会ができました。

振り返ると、どうしてあのころこんなに苦しんでいたのか、不思議でなりません。結果として自分が当時叶えたかった夢には届きませんでしたが、今は心身ともに比較的満たされた気持ちでいっぱいです。

だから今さら、振り返ることもないな…とも思いましたが、今この時にも大学入学を目指して奮闘している方たちがたくさんいると考えると、少しは自分の経験が誰かの役に立つのではないかと思い、今回このページを立ち上げることにしました。

少し長くなりますが、大学受験生の励みになればと思います。このサイトで皆さんのゆめへ近づけることを祈っています。
(CONTENT挿入)

199x年3月

僕は、あの日第一志望の高校に落ちました。

母と一緒に発表を見に行きました。みんな入学の書類を片手に笑顔で校門から出てきています。その中に、同じ中学校の女の子が、お母さんと一緒に門から出てきていました。やはり入学書類を片手に…。目が合うと笑顔ですが、でも、僕から視線をはずしました。後から思うと、気の毒だと思って目をそらしたのでしょう。そのときは何も感じませんでした。

そして張り出された合格者の掲示板の前。全体をぱっと見て微かに不安な気持ちが起こりました。名前がすぐには目に飛び込みませんでした。
そして、今度はひとつずつ見ていきました。
同じ中学から5名が受験していました。自分を除く4名の名前が並んでありました。きっと受験番号は中学校ごとになっているのでしょう。しかし、自分の名前だけがありませんでした。

ここでようやく、「落ちた」ということを認識しました。

その途端、涙があふれてきました。
周りが歓喜の声で沸き返る中、自分だけ泣きじゃくっています。恥ずかしいとは、思いませんでした。


母に抱えられて、すぐに父の待つ車に帰りました。
車の中でも泣きました。母は「またここからがんばればいいじゃない」と言いました。でも「もう頑張れんわ…」といいました。すると母は「何で…」と、初めてここで泣き出しました。


ここからの記憶は、断片的にしか覚えていません。
自宅に帰って、自分の部屋にこもりました。中学の先生から電話がありました。なんと言っていたか記憶にありません。でもただ泣いていたと思います。
次に、塾の先生から電話がかかってきました。ここでも、ただ電話口では泣いていたと思います。本当によくしてくれた先生で、不甲斐なさと申し訳なさで、余計に泣けてきます。

母はこの日、すでに[保険]として合格していた高校へ手続きに行ったと思います。



僕が第一志望にしたA高校は地元での学区ではトップクラスの高校でした。成績的にはまあ合格できるだろう、というレベルでした。ただ、不安な要素もたくさんありました。

A高校へはこのとき、自分も含めて5人受験していました。
僕は定期試験で一度だけ学年中5位に入ったことがあります。確信はないですが、自分の上の4人は同じくA高校を受験した4人と、同一人物です。
一度だけ5位といっても、15位くらいにはいつもいましたし、A高校を受験するのも毎年15名はいるので、出願しました。

しかしこの年は違いました。5人しかいません。実は傾向的に、受験した人数にかかわらずα中学校からA高校を受験するものは毎年1名落ちていました。

僕の学年ではこの年、定期試験でも比較的5位以内に入る成績の子が、1ランク落としてみんなB高校へ流れてしまったのです。
受験前に不利なことはわかっていましたが、しかし僕は楽観視していました。まだ受験校を変更できる期間でしたが変更はしませんでした。小さいころから僕は自宅の近いB高校へ行きたいな、と漠然と考えてもいました。
だけど変更はしませんでした。

当時僕はいじめられていました。肉体的なものではなく、精神的なものでです。
ずっと仲のよかった仲間から仲間はずれにされていました。この仲間がみんなB高校を受験するという情報が流れてきました。なのでどうしても離れたくて、A高校にしたのです。
ーーー/本文ーーー

つづきます。