パーソナリティ障害をもつ娘とともに

大学休学中の娘がいます。カウンセリング・薬物療法を行い、親子共々苦しい生活を送っています。

ショック

2008-01-31 01:25:02 | Weblog
40代後半にもなると、身体面でも問題は出てくる。22歳から育児休業の1年間を除いて働き続けてきた。少子化と騒がれているが、働く女性だけでなく育児は大変な労力と忍耐力を必要とする。ましてや給料をもらいフルタイムで働く女性にとって妊娠・出産・育児は結構堪える。政治家のみなさん、産めといわれても子供が病気になったとき気持ちよく休めることはなかなかないんですよ。体はひとつしかないですしね。

まあ、この話はおいておくとして、人間ドックでかなり深刻な病気がでてきました。今月の22日に知らされたのですが、ここに書き込める精神状態になるまでに時間がかかりました。
今から精密検査を受けるかどうか迷っています。運を天に任せてみようかとか。
家族はいまひとつことの重要性がわかっていないようで。最初の2~3日は娘も困ったようにして静かにしてましたが、急にこの障害から抜け出せるような奇跡は望むべくもなく。

まあこれで主治医の言われる諦念なるものがわかりかけたような気もしますが。
私の人生いったいなんだったんだろうと結構自暴自棄な気持ちになることもあります。まあ娘はいつもこんな気持ちで生きてるのかもしれませんね。

もう少し時間がほしいですね。しかし確定したら娘が30~40歳になるまで見守れないかもしれません。
これも運命なのでしょうか?かなりショックです。神様 あんまりじゃないですか
こんなに一生懸命生きていたのに。まだ私たち一家に苦難を与えるのですかって気分です。

でも泣いて、怒っても1日、笑って過ごしても1日。どうせなら笑ってすごしたほうがいいよね。
仕事をしてると少しは気持ちがまぎれます。通常の生活を維持して勇気を蓄積して立ち向かう力をつけたいなあと思っています。

かなり弱気な愚痴でした。聞き苦しい部分はご容赦ください。

3日間 寝込んで思った事

2008-01-21 14:42:24 | Weblog
先週の金曜日から日曜日にかけて、私はずっと寝込んでしまった。眠れたか?と言えば起き上がれなかった、と言った方が正確なのかもしれない。
娘は金曜日の夕方帰宅した。駅までは這うような思いで迎えにいった。その後はまた寝室にこもった。
そして気がついたことがある、私がいろいろ心配し食べず、眠れずしていても1日は過ぎていくし、こうやって自分の体のしんどさにより、娘の事が考えられなくても1日は過ぎていく。
頭では理解していても、実感としてはなかなかつかめなかった感覚。また今日は仕事をしながら娘のことを心配しているのだけれど。

この感覚は大事にしないときっと長期間の戦いには負けてしまうだろう。娘と私は別の人格であり、娘の感情が私の感情ではないのだ。
自分を大切にできなければ、私自身も娘を大切にできず、自分の価値観で彼女を振り回してしまうだろう。
心配しなすぎても不幸、心配しすぎても不幸。肝に銘じたい

娘より自分が先に壊れそう

2008-01-16 17:37:55 | Weblog
このところ、心配事が多すぎて、食べられない、眠れない、勤務先では普通に仕事をしているけれど、自宅に戻れば動揺を隠し、平静を装う。眠るときも娘が同じベッドに入ってくるので気が抜けない。お恥ずかしい話だけれど。
唯一一人になれるのは通勤の自動車の中だけ。あとは仮面をかぶった自分を演じる。
さすがに3日間水分だけだと(食べるふりはしているけれど)体がふらふらする。
仕事に行くふりをしてどこか気晴らしともおもうけれど有給休暇は貴重だから、働ける時には無理をしてでも行こうと思ってしまう。

神様、そろそろ私もエネルギーが枯渇してきました。少し楽にしてくださいなどと念じてみる。
今日は5年前になくなった父の命日だ。何も知らずに旅立った父、娘を本当に可愛がってくれた父、知らずに逝って良かったかもね。
毎朝お茶をあげて、祈ってくるのだけれど、今日はその横に日本酒もおいてきたよ。あんなに好きだったお酒も痛みのために最後は飲めなかったものね。
あの世ではきっと痛みも苦しみもなく過ごしているのかしら?それだったら苦しみから解放されて良かったよね。

私はいつになればこの苦しみから解脱できるのか?きっと自分自身の考え方を変えない限りだめなのだろうなあ、と思いつつ、壊れないようにそっと息を潜めて生きている。なんて辛いことだろう。

何も恥じることはないと実母は言う

2008-01-15 18:49:07 | Weblog
娘は手紙ではなく、自分の出身中高へメールを送信した。しかも携帯から。
昨日までは3連休だったから何にも音沙汰がなかった。しかし激昂するであろう夫を思うと、手紙は阻止できた、と信じている彼にメールを送信したとは未だにいえない。
自分の立場が危うくなるのではと言うことが彼の中では最優先なのだ。誰だって自分はかわいい、それを全面的に否定なんかできない。私だって正直な気持ちは彼と同じ気持ちも心のどこかにあるのだから。

昨日は一人暮らしをしている81才の実母に思わずすべてを話してしまった。
母は言った、おまえは本当によく頑張って働き、ここ数年間辛い状態であるにもかかわらず仕事もきちんとしてきた。○○さん(夫)の急な発病・手術・療養にも一人でやり遂げ泣き言をいわなかった。立派だったよ。だから孫の事は病気がさせていることで、何もおまえが悪い訳ではない。胸をはってどうどうとしていなさい。
○○さんのことをどうのこうの言う気持ちは私にはない、これも運命だと思って受け入れていくしかない。私にできることは悲しいけれど何もない、ただおまえが自分の心と体を保てるように祈っている。

そういってくれた。母はパーソナリティに障害についてなにか知識を持っているわけではない。しかし、主治医と同じような意見を述べた。
母は10年前腹部の大動脈が破裂し奇跡的に一命をとりとめた。人工血管が3本ほど入っている。それでも父が5年前になくなってから一人で頑張って生活している。

私は思わず幼子のように言った。理屈はわかるけど、それを貫いて生きていく強さが私にあるかどうかが不安なのだと、母は言った、おまえの気持ちは察するにあまりある。こういう経験は私にはないけれど、でもその心持ちは理解できるように思う。辛さはわかるような気がすると。わかるよ、と断定せずわかるような気がすると言われたその言葉に私は感動した。
なまじ、わかる等と言われたら、もしかしたここまで心に響かなかったかもしれない。
娘にとって私も、この母のように確固とした考えを持って強く生きているようにみえるのだろうか。

81才になる母に頼って、心配させてしまった自分を少し(かなり)情けないと思った。ごめんね、親はいつも大変だよね。そしてありがとう。まだまだ私の心のよりどころになって欲しいよ。

辛い1日 手紙を書く

2008-01-11 19:00:16 | Weblog
娘は4月からのことを考えて感情のコントロールが不能状態になっている。
昨日のカウンセリングも口では良かった、と言いながらも帰宅してから、手紙を書くと言い出した。
手紙この障害と気がつかず、それでも様子が変だと思ったころからかなり悩まされてきたものだ。
今から4年前、最初の大学に入学し自暴自棄の生活を送っていたときのことだ。自宅からは通学できる距離ではないので一人暮らしを始めた。都会での派手な環境の中、世間知らずの娘はいろいろな体験をしたようだ。まだここで記載する勇気はないのだが、
こんな理不尽な思いをするのは高校時代の担任・学年主任のせいだと、いつも誰かのせいにしていた。娘はまず高校の校長先生に苦情の手紙を書いた。
次に子供の頃面倒を見てくれた私の母親にあてて接し方が他の孫達にくらべて差別をした、という内容の手紙を出した。そして私の兄には苦情の電話をした。

それでも気が済まず、今度は自分の父親の母(私からすると義理の母)にやはり同居してい孫達ばかり可愛がった、とか自分の父の兄家族ばかりに経済的に援助した等々の手紙を送った。
そして、私の叔母にも嫌みな手紙を送った。それは3年前のことだ。
自分を騙した(娘はそう思っているがお互い様だと思う)男性の大学の学長に、そして最初に入学した自分の大学の学長に苦情の手紙をだそうとした。こればかりはやはりや召させることができた。

しかし、現在は新たに自分の卒業した高校の現在の校長に手紙を書くと言い出している。教育方針がなっていない、生徒を不平等に扱っている、そのおかげで自分は未だに平常な日常生活が送れず、大学も休学し精神科にも通院している、どうしてくれるのだ、当時の担任と学年主任に謝罪の要求をするのだという。もうお二人とも退職されているのに。

現在付き合っている彼にもいろいろな要求をしている。大学をやめたら見捨てられるのではないかという不安が大きく、それを何度も確認する。相手はひとりの人間の一生を左右するような発言について決断できるわけがないのに。
大学を無事に卒業できたら考えよう、という言葉に、そんなに大卒にこだわる人とは思わなかった、などと暴言が始まっている

まだまだ先は長く暗いトンネルは続くのだ

2008年になりました

2008-01-09 12:14:47 | Weblog
あけましておめでとうございます。昨年は自分も体調を崩し辛い年末でした。
腎臓の石はまだまだ私の体から出て行く気配もなく、不安な日々を送っています。
まあ激痛がないからよいかなあ、と前向きに考えることにしました。
娘の方はクリスマスが終わり、なんとなく年末年始を迎え前に進んではいないもののトラブルを起こしてはいません。
暮れには娘のカウンセラーと会いました。とても話しやすい良い感じの方でした。どんどん良くなっている、と言われましたが、実感はわきませんでした。しかし考えてみたらカウンセリングは一度もお休みしなかったし、2~3年前に比べたら罵詈雑言は頻度が低くなっているかもしれません。この障害の回復程度とはこのように牛歩のようなものかもしれませんね。焦りは禁物です
年が明けて1月4日には主治医に会いました。主治医とは1ヶ月に1度定期的に会っています。4日は時間に余裕があったのか30分以上お話ができました。主治医はカウンセラーは(女性の方です)自分の子育てを通して娘さんをみているんだと思います言っていました。だからどんどん良くなって来ている、4月から復学は確かに大変だろうけれどトライする価値はあり、準備段階のこの3ヶ月間は揺れて大変だとは思うけれどカウンセラーと主治医と家族で支えてトライさせたいという気持ちが強い、そしてうまくいくと信じている、といった見解をしめされました。
お薬とカウンセリングと本人の治療意欲で本人が何かやりたいことを見つけるのが治療目標ですともおっしゃいました。

現在はトレドミン6錠 リスパダール1錠、週1回のカウンセリング、1ヶ月1回の診察、これが娘の治療のすべてであり、予定でもある。その他は彼へのメールと電話、辛くなると主治医へのメール。
私から見たらとうてい通常の日常とは思えない生活。いろいろ言うとまた不毛な争いになるから、私と夫は淡々と仕事にでかける毎日。しかしこれからどうなるかと思うとき、眠れぬ夜は続く。