パーソナリティ障害をもつ娘とともに

大学休学中の娘がいます。カウンセリング・薬物療法を行い、親子共々苦しい生活を送っています。

こんなにいろいろ重なると~

2008-03-24 10:25:54 | Weblog
この10日間は激動だった。人間は失ってみないとわからないもんだね。
娘の事と自分の家庭のことだけで悩んでいられるってことは幸せなことだったのかもしれないとまで思えるような感じだ

それはまず兄嫁の脳腫瘍のオペ、これは大成功術後の経過も良くて一安心、それにまつわる様々な厄介ごとはあったけれど

その後うれしいこと、甥の結婚式、しかしそういう場は娘に凶と出るか吉とでるか、やってみないとわからない。とりあえず凶とはでなかった。
しかし、その会場で倒れた方がおり招待した親戚として救急車に乗り込んだ。
そこから私たち夫婦の救急生活は開始。
その方のご家族が到着されるまで2~3時間披露宴の礼装で病院まち。娘は振り袖姿だから自動車で待ち

それから私の携帯が鳴る母から、母の妹(独身・一人暮らし)
転倒し4日間たっても起き上がれないえ~ずっと黙ってたの?どうして?いったいどうしたの?母のいうことも支離滅裂。今の私たちは自宅から車で2時間離れた場所にいるんだよ~

そして着替えて駆けつけると、ものすごく悲惨な状態、意識はもうろう。失禁状態年寄りが年寄りを見てるとこんなことになるんだね。叔母と母は一緒に住んではいないから、どうやってここまで連れてきたんだろう?

とにかく救急車要請、詳しいことを聞かれててもこちらは答えようがない。救急の医師やナースには(特にナースは私が娘と思い、叱責する)まあ仕方がないけれど、ちょっと、数年間も会っていない叔母のことでいろいろ言われても対応はできかねる(私には兄が3人いるけど、みんな遠くに行ってしまった)そして、地元に残った私に良い感情を持っていない。親も近くにいる私には面倒をかける気はないからと兄達に言い、兄たちは現状をしらないから親は一人で迷惑をかけずに生活していると思っている。5年前に父を看取り葬儀をしたけれど、なんだかな~という感じだった。彼らは浮世離れしたことを言っている。それはそれでいいけれど、地元に残された私はそうはいかないんだよね。

叔母は認知症というのではなく、若い頃は働いていたけれど、人と争うことはないけれど、普通の人間関係や社会生活を送れていなかった。私の母の庇護のもとに生活していた。母が存命中はよいけれど金銭的にきついことは目に見えている。
そしてもう自立歩行は望めないかもしれない。
勤務しながら、娘を安じながら毎日病院に通う。そしてこれからの方策や受けられるサービスを調べている。夫も協力してくれるが、私の心身はそろそろ限界だ、限界を超えても代わりはいないのだから

心で思う、物事の嫌な面をみても落ち込んでも1日、良い面をみて生きても1日
自分の生きている時間をどうせなら楽しくいきる方向に力を使おうそう思いつつ、ここで弱音を吐いている

2 コメント

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Unknown (ロビン)
2008-03-24 11:26:37
ままこさん、ご自分のことだけでもたいへんなのに、いろいろお疲れさまでしたね。もう、こうなったら居直るしかないのかもしれませんね。ままこさんの健康が回復されますよう、お祈りしています。
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Unknown (ままこ)
2008-03-26 00:14:53
ロビンさん ありがとうございます。さすがに疲れました。究極な状態なのですが、逆に今まで何気なく見ていたものにも感動をする心を持てた気がしています。とにかく私は今生きている。辛いけれど生きている。職場人の何気ない言葉にも優しさを感じてみたり(当然彼らは私の複雑な事情は知りませんが)悪いことばかりでもありません。そうでも思わないとやっていけないかも。母は私も健康に関することは知りません。親でもあり子でもある私は母に現状を伝えることは避けたいと思っています。
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